うつ病とストレス

うつ病は、憂うつ気分、意欲や興味の低下、不眠、食欲低下などの症状が現れ、それが持続するようになる病気です。うつ病はありふれた病気ですが、どうしてうつ病になるのか、どのような人がうつ病になりやすいのか、などといった詳しいことはよくわかっていません。うつ病の研究といえば、一昔前までは心理的な側面の探求が中心でしたが、科学技術や医学が発展した現在では、分子・細胞レベルでの研究など、生物学的な研究が活発に行われるようになっています。しかし、このような研究が世界中で進められているにもかかわらず、うつ病の原因は未だ明らかになっておらず、診断や早期発見に役立つ客観的な指標も存在しないのが現状です。

多くの場合、うつ病は、ストレスがきっかけとなって発症したり、症状が悪化したりすることはよく知られています。その一方で、大きなストレスにさらされても発症しない人もいれば、比較的小さなストレスで発症する人もいるといった事実から、遺伝的な要因を含め、もともとストレスの影響を受けやすい(=「ストレス脆弱性」を持つ)こともまた、うつ病の発症に密接に関与していると考えられます。

そういった遺伝子と環境の相互作用の全体像は、遺伝子発現のプロフィールにスナップショットとして現れるため、遺伝子発現パターンを網羅的に調べることでうつ病の原因をより良く理解し、診断の手掛かりになる指標が得られる可能性があります。ただ、うつ病を対象とした網羅的遺伝子発現に関する研究はこれまでにいくつか報告されているものの、その結果は再現性が乏しく、共通の見解が得られていません。

そこで、うつ病の背景にあると考えられる「ストレス脆弱性」に焦点をあてた検討を行うことにより、うつ病の病因解明とそれに基づくバイオマーカー開発に役立つ知見を得ることを目的として研究を行いました。

ストレス脆弱性のプロファイリング

ストレス脆弱性は、心理学的な視点と生物学的な視点から捉えることが可能です。心理的な側面のストレス脆弱性は、パーソナリティやストレス対処方略などの多面的・複合的なプロフィールによって形成されると考えられます。一方、生物学的な観点からは、一つひとつは効果の小さな多数の遺伝子が種々の環境要因と作用しあうことによって、ストレス脆弱性が形成されると考えられます。このような特性を有するストレス脆弱性は、健康な方のなかでもさまざまな程度に、また、健康な方からうつ病の患者さんにかけて、連続的に分布しているものと想定されます。

心理特性と遺伝子発現の統合プロファイリングについての概念図
上:多面的な心理的特性が各個人内で相互作用プロフィールを形成し、結果としてストレス脆弱性が決定されることを示した模式図
下:ストレス脆弱性の連続性モデルに基づいた、表現型(心理特性など)と遺伝子発現の統合モデル

私たちは2014年に発表した論文において「潜在プロフィール分析」という統計的な分類手法を用いて、一般人口から募集した455名の健常(=うつ病ではない)成人が、適応の良好な2つのグループと、そうでないひとつのグループに分類されることを見出しました。そこで本研究ではまず、この3群の心理的な特徴をより詳細に分析することで、一般成人は「ストレスからの回復力を持つ群」「ストレスの影響を受けにくい群」「ストレス脆弱性を有する群」に分類できることを見出しました。

次に、心理特性プロフィールに基づくこの分類と、末梢の血液から抽出したRNAを用いてマイクロアレイにより測定した遺伝子発現プロフィールの関連を検討しました。このマイクロアレイという実験ツールを用いることで、数万種類の遺伝子およびタンパク質をコードしないRNAの発現状態を網羅的に検査することができます。初めに3群間で有意に(=統計的に意味を持って)発現が変動する遺伝子群を同定し、この遺伝子群に対してパスウェイ解析やネットワーク解析を適用することにより、ストレス脆弱性に関与する分子システムとしてリボソーム遺伝子群が重要であることを見出しました。

ストレス脆弱性を有する一般成人と有さない成人のあいだで発現が変動していた遺伝子群による、タンパク質間相互作用解析。ネットワーク解析を適用することにより、ストレス脆弱性に関与する分子システムとしてリボソーム遺伝子群が重要であることを見出した。

リボソーム遺伝子群のなかで、有意な発現変動を示した遺伝子が8個存在し、いずれもストレス脆弱性に関連して発現が上昇しているという結果が得られました。

マイクロアレイで測定したリボソーム遺伝子発現レベルの3群間比較
8個のリボソーム遺伝子(RPL17、RPL21、RPL34、RPL36A、RPL36AL、RPL39、RPS15A、RPS27)の発現レベルを、ストレスからの回復力を持つ群、ストレスの影響を受けにくい群、ストレス脆弱性を有する群のあいだで比較した。

うつ病におけるリボソーム遺伝子発現

次に、これらのリボソーム遺伝子について、うつ病患者さんにおける発現変動を調べました。ここでは、2つの別々のデータセットを用いました。まず、以前の私たちの研究で取得していたマイクロアレイデータセットを用い、リボソーム遺伝子発現をうつ病患者さんと健常対照者で比較しました。その結果、RPL17、RPL34、RPL36ALについて、うつ病患者さんで有意な発現上昇がみられました。

既存マイクロアレイデータでのリボソーム遺伝子発現レベルの3群間比較
6個のリボソーム遺伝子(RPL17、RPL21、RPL34、RPL36AL、RPL39、RPS27)の発現レベルを、うつ病患者、寛解うつ病患者、健常対照者のあいだで比較した。

さらに、別のサンプルを用いて新たに定量PCRを実施し、RPL17とRPL34の発現を検討しました。ここでは、うつ病を大うつ病性障害と双極性障害のうつ状態に区別し、また統合失調症の患者さんも対象とすることで、これらのリボソーム遺伝子の発現変動は大うつ病性障害に限って認められる所見であるのか、あるいは他の精神疾患でも同様に認められる所見であるのかについても検討しました。その結果、特に大うつ病性障害においてRPL17とRPL34の発現亢進が顕著であることが明らかになり、リボソーム遺伝子がストレス脆弱性およびうつ病に関与する可能性が示唆されました。

定量PCRで測定したリボソーム遺伝子発現レベルの4群間比較
2個のリボソーム遺伝子(RPL17、RPL34)の発現レベルを、うつ病患者、双極性障害患者、統合失調症患者、健常対照者のあいだで比較した。

研究の意義と今後の展望

うつ病の網羅的遺伝子発現解析についてのこれまでの研究は、「うつ病」と「健康」を比較するデザインの検討にとどまっていました。それに対し、本研究の特色は、健常成人における多面的な心理特性のプロフィールを調べることによってストレス脆弱性を有する一群を見つけ出し、さらにうつ病患者さんと併せて検討することで、健康な状態からうつ病へと至るプロセスを連続的に捉えている点にあります。

リボソーム遺伝子がストレス脆弱性およびうつ病に共通に関与することを示した本研究結果に基づいて、うつ病の早期発見や診断に役立つ手法の創出へとつながり、また、新たな治療法開発の手がかりとなることが期待されます。リボソーム遺伝子発現は、少量の血液から比較的簡便に調べることができるため、実用化の点でも有利です。今後は、リボソーム遺伝子の発現が治療の進展とともにどのように変化するのか、また、これらの遺伝子がどのようなメカニズムでうつ病の発症や慢性化に関与するのか、などについても検討を続ける予定です。

参考文献

  • Hori H, Nakamura S, Yoshida F, Teraishi T, Sasayama D, Ota M, Hattori K, Kim Y, Higuchi T, Kunugi H. Integrated profiling of phenotype and blood transcriptome for stress vulnerability and depression. Journal of Psychiatric Research, 2018; 104: 202-210. doi: 10.1016/j.jpsychires.2018.08.010.
  • Hori H, Teraishi T, Sasayama D, Matsuo J, Kinoshita Y, Ota M, Hattori K, Kunugi H. A latent profile analysis of schizotypy, temperament and character in a nonclinical population: association with neurocognition. Journal of Psychiatric Research 2014; 48: 56-64. doi: 10.1016/j.jpsychires.2013.10.006.
  • この記事を書いた人

    堀弘明
    国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所行動医学研究部・室長。精神科医。博士(医学)。
    2002年に京都大学医学部を卒業後、現在まで、患者さんの診療と精神疾患の研究に従事。研究では、主にうつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)をはじめとするストレスに関連した精神疾患を対象に、その原因や病態についての理解が進み、より良い診断法や治療法の開発へとつながることを目指して、心理学的視点と生物学的方法論を組み合わせた検討を行っています。