脳サイズ進化の謎

ヒトを含む哺乳類と鳥類は、同じ大きさの魚類や両生類と比べておよそ10倍~20倍大きな脳を持っています。哺乳類と鳥類のなかに高い学習能力や社会性を持つ動物が多く見られるのは、このように大きな脳を持っていることと関係しています。

体のわりに脳が大きく進化する現象は「大脳化」と呼ばれています。大脳化は高度な認知能力とそれに付随するさまざまな行動を可能とするため、いろいろな環境下で生存・繁殖上の利益をもたらすと考えられています。こういった適応的側面だけを考えれば、すべての脊椎動物に大脳化の機会があったと考えるのが自然です。しかし、大脳化はごく少数の例外を除いて哺乳類と鳥類でしか生じていません。なぜ、哺乳類と鳥類だけが大脳化に成功したのでしょうか?私たちはこの謎に迫りました。

北米に生息するミドリツバメ(学名:Tachycineta bicolor)の生後3日齢の雛。このように未熟な状態で生まれるのは哺乳類と鳥類に固有の特徴である(写真提供者:Andrew Iwaniuk・レスブリッジ大学)

アロメトリーと進化的制約

体の大きさはさまざまな生命の営みと密接な関係を持っています。体重を\(x\)、対となる指標を\(y\)とすると
$$y = ax^b$$
の式で寿命・行動圏・代謝の速さなど、さまざまな生命活動のサイズ依存性を記述することができます。この関係をアロメトリーと呼びます。アロメトリーは、本川達雄著『ゾウの時間ネズミの時間(中公新書)』でわかりやすく説明されているため、読者のなかにもご存知の方がいるかもしれません。

脳重量はアロメトリーを示す典型的な例です。この場合、\(x\)は体重、\(y\)は脳重、係数\(a\)は体重が仮に1gであったとしたときの脳重、指数\(b\)は一定の体重増加に対する脳重(以下、脳サイズとします)の増加率をそれぞれ表します。これまで古今東西の生物学者が、さまざまな動物で脳サイズのアロメトリーを記述してきました。その結果、どんな分類群で脳サイズのアロメトリーを求めても指数\(b\)はおよそ0.67から0.75の間の値を取ることがわかりました。

動物の住む環境が変わって大きな脳サイズが有利となる状況が生まれたとしましょう。この場合、自然選択の対象は脳サイズですから、体の大きさを変えることなく脳の大きさだけが進化するのが自然な帰結に思えます。ところが、実際はそうなっていません。脳サイズのアロメトリー指数がどんな動物でも似た値であることは、脳サイズ進化には決まったやり方があって、動物の脳サイズが進化するときは大抵体サイズも一定の割合で一緒に進化しているということを意味しています。

この現象を適応とは逆の視点から考察すると、もし大きな脳サイズが適応的となる状況が生じても、大きな体を進化させることのできない理由が他にある場合、脳サイズは進化しなかったのだろうと考えることができます。このように、適応進化を制限する要因は「進化的制約」と呼ばれています。

100年以上にわたるビッグデータの編纂

私は哺乳類と鳥類はアロメトリーによる進化的制約を緩和することで大脳化した、という仮説を立てました。しかし、進化的制約は謎の多いテーマで、なぜ制約が生じるのか、また制約がどのように適応進化に影響を与えるのかについてまだあまりわかっていません。とりわけ、アロメトリーの脳サイズ進化における役割はこれまで数多の研究者が挑戦してきたにもかかわらずわかっていない難題です。

アロメトリーの研究が難しい理由として、アロメトリーが個体の形質としては測定できず、複数個体の測定値から推定する必要がある点が挙げられます。秤に動物をポンと乗せれば測れる体重や脳重量とは対照的に、アロメトリーは同じ生育段階にある同じ種の動物を何十、何百と測らないと正確に推定できません。そのため、アロメトリーを幅広い分類群で比較研究するには性成熟した個体の体サイズと脳サイズの観測値がさらに何千、何万と必要です。これまで、このようなデータを収集することは不可能でした。

しかし近年、過去に出版された多くの研究が再現不能である問題に歯止めをかけるため、論文に使用したデータの完全公開を義務化されることが多くなってきました。この潮流により、DryadやFigshareといった研究データリポジトリからアクセス可能なデータが爆発的に増えました。その結果、今や大量のデータ、いわゆるビッグデータを使った研究はトップジャーナルを賑わす主要なテーマのひとつです。私は、魚類の脳サイズを主題とした博士論文を執筆しているとき、膨大な脳サイズデータがオンラインデータベースに蓄積されていることを発見しました。このデータを纏めた研究はまだなく、これはチャンスだと思いました。

さらに人との出会いにも恵まれました。時期を同じくして、カナダの脳科学研究者Andrew Iwaniuk博士、デンマークの剥製師Johannes Erritzoe氏と共同研究者の伝手で知り合い、データを共有してもらえることになったのです。Iwaniuk博士とErritzoe氏が数十年におよぶキャリアを通じて収集してきたデータは合計で約3万個体に上ります。彼らのデータはこれまで部分的にしか発表されておらず、大半は未公開でした。このデータとこれまで公開されたすべてのデータを合わせば、歴史上最大のデータができるはずです。哺乳類と鳥類に起きた大脳化の謎を解くことができるとすれば、このデータを編纂するしか道はない、そう確信した私はデータの収集と整理に取り掛かりました。そして1年半に渡る長く険しいデータマイニングの日々を経て、4,587種にわたる成体20,213個体の脳サイズと体サイズから成るデータを編纂したのです。

このデータには大きな博物館のようにたくさんの見どころがあります。そのいくつかをここで紹介しましょう。まず、引用した文献のなかで一番古いものは1903年に比較神経学雑誌に掲載された論文です。引用した文献には英語、フランス語、ドイツ語、日本語で書かれたものがありました。データに含まれている動物で特にめぼしいものとしては、1936年に絶滅したタスマニア島の固有種フクロオオカミ(学名:Thylacinus cynocephalus)や既知の動物のなかで最大の種シロナガスクジラ(学名:Balaenoptera musculus)が挙げられます。

このように現在は採集が不可能であったり法律で禁止されたりしている動物の情報は古い文献からしか得ることができません。そういった情報を掘り起こし、未発表データと共に纏めたこのデータには高い学術的価値があります。このデータは(https://doi.org/10.6084/m9.figshare.6803276)にて完全公開されています。読者のお気に入りの動物のデータがないか、調べてみるのもおもしろいかもしれません。

哺乳類と鳥類だけに生じた制約の打破

このデータを使って、まず私たちはアロメトリーがすべての脊椎動物で共通して見られることを示しました。下図から、哺乳類と鳥類が体の大小とは関係なく、同じ大きさの爬虫類・両生類・硬骨魚類と比べて大きな脳サイズを持っていることがわかります。具体的には、500gの体重を持つ平均的な哺乳類と鳥類の脳はそれぞれ5.73gと4.69gですが、これは同じ大きさの平均的な硬骨魚類の脳(0.59g)と比べて約8倍~10倍の重さです。このことは、哺乳類・鳥類とそれ以外の分類群でアロメトリーの法則が違っていることを示唆しています。

体重(g)と脳重(g)の関係。グラフのスケールは両軸ともに常用対数。色と縁の異なる多角形はそれぞれの分類群に属する動物のうち95%の体サイズと脳サイズを内包する範囲を示す。

次に、私たちは同じ種内の性成熟した個体間における体サイズと脳サイズの関係を鳥類・哺乳類とそれ以外の分類群で比較しました。その結果、鳥類と哺乳類では体の大きさに関わらず成体の脳サイズはおおよそ一定であることと対照的に、魚類では大きな成体は小さな成体よりも脳サイズが大きい傾向にあることがわかりました。また、ここには示しませんが、両生類・爬虫類・軟骨魚類は魚類と同じパターンを示していました。

種間および種内における体重(g)と脳重(g)の関係。グラフのスケールは両軸ともに常用対数。実線は同じ種の成体の個体間における脳サイズと体サイズの関係を、破線は異なる種間における脳サイズと体サイズの関係を示す。

この発見はアロメトリーによる制約が哺乳類と鳥類だけで弱まったという仮説と矛盾しません。また、このパターンを生物学的に解釈すると、鳥類と哺乳類の脳は体と独立に発達している一方で、他の脊椎動物では脳と体が一緒に発達していると言えます。それでは、哺乳類と鳥類はどのように脳の成長と体の成長を分離させたのでしょうか?

大脳化を可能とした特別な脳の発達方法

私たちは再び文献調査によって、受精した胚が成体になるまでのさまざまな発育段階における脳サイズと体サイズのデータを8種類の脊椎動物で収集し、脳と体の発達過程を比較検討しました。その結果、 今回調べたすべての動物において、成長を始めた胚は一定のサイズになるまで脳サイズを急激に成長させ(下図破線部)、その後脳サイズの成長を減衰すると同時に体サイズの成長を加速させて成体になっていることがわかりました(下図実線部)。

8種類の脊椎動物の成長過程における体重(g)と脳重(g)の関係。グラフのスケールは両軸ともに常用対数。破線は発生初期から脳の発達が減退するまでの成長過程を、実線はその後の脳と体の成長過程をそれぞれ示す。マゼンタは哺乳類、緑は鳥類、青は硬骨魚類を示す。

また、哺乳類と鳥類は急激に脳が発達する期間を魚と比べて大きく延長していました。たとえば、マダイとコイは体の大きさがそれぞれ0.04gと2.9gのときに急速な脳の成長が止まって緩やかな脳と体の成長が始まります。これに比べて、同じ時期のニワトリの体は14g、カンガルーでは約1kg、ヒトでは約9kgと、魚とは比較にならないほど大きいのです。これらの結果から、哺乳類と鳥類は胚発生から一定の期間までにしか見られない脳が急速に成長する期間を大幅に延長することで脳と体の成長を分離し、その結果大脳化したことが示唆されました。これらの成果は2018年8月、英科学誌『Nature Ecology & Evolution』で発表されました。

では、哺乳類と鳥類に見られる脳の発達方法がどうして魚類・爬虫類・両生類・軟骨魚類では進化しなかったかについて考えてみましょう。これは推測になりますが、私は脳が発育に膨大なエネルギーを必要とすることと関係していると考えています。脊椎動物の胚発生初期に見られる爆発的な脳の発達には断続的な栄養供給が必要です。これを長期間持続するため、哺乳類と鳥類は他の脊椎動物よりも長い期間にわたって子を養育します。つまり、哺乳類や鳥類の養育は脳の発育に対する投資であると考えることができます。この仮説が正しければ、私たちを含む哺乳類が脊椎動物のなかで例外的に大きな脳を持っているのは、哺乳類の共通祖先が精力的に子育てする形質を進化させたことと関係があるのかもしれません。

おわりに

今回紹介した研究は、100年を超える脳サイズ研究の歴史を通じて蓄積されてきた知識を総動員したビッグデータがもたらした発見です。科学という営みの優れているところは、言葉や文化、時間を超えて知識が後世へ伝わる点です。脳サイズ進化の研究が分野として成熟した今の時代に素晴らしい共同研究者と居合わせ、このような新しい知見を発表できたのは大変光栄なことです。この恩恵に授かったことを社会へ還元するため、データ編纂と透明性の確保には持てる限りの知識と労力を持って臨んだつもりです。もし今回私たちが編纂したデータが将来新しい発見に繋がることになれば、それほど研究者冥利に尽きることはありません。

また、本研究は国籍・肩書き・世代・性別の異なる生物学者の惜しみない協力により完成したことも特筆すべき点です。私たち科学者の義務は社会に還元できる知識を生み出すことです。そのためには社会の研究者に対する信頼と、それを担保する研究者の誠実性と研究の再現性・透明性が欠かせません。しかし、残念ながら不誠実な研究例は跡を絶たず、社会の科学に対する不信感を助長する一因となっています。本研究は誠実に知識を追求してきた研究者達の努力の結晶であり、これは本研究に特別なことではありません。しかし科学に限らず誠実な営みというものは地味なもので、現場に直接関わらないとなかなか目に見えてきません。私たちの研究が研究者同士の信頼関係や研究の再現性と透明性に対する取り組みを可視化した一例として、社会の科学に対する信頼回復の一助になればと思っています。

参考文献

  • Tsuboi, M., van der Bijl, W., Kopperud, B.T., Erritzoe, J., Voje, K.L., Kotrschal, A., Yopak, K.E., Collin, S.P., Iwaniuk, A.N., and Kolm, N. (2018) Breakdown of brain-body allometry and the encephalization of birds and mammals Nature Ecology & Evolution 2: 1492-1500
  • 本川達雄(1992)ゾウの時間ネズミの時間 中公新書

この記事を書いた人

坪井助仁
坪井助仁
スウェーデン ルンド大学生物学科 スウェーデンリサーチカウンシルポスドク研究員。2015年スウェーデンウプサラ大学にて博士課程修了。Ph.D.(進化生物学)。日本学術振興会特別研究員(PD)、マリー・スクウォドウスカ・キュリー個人向けフェローを経て2018年より現職。適応進化を制約する要因に興味を持っています。現在、形質間統合が適応進化に与える影響をテーマに脊椎動物の脳サイズ・シカ科の角サイズ・ショウジョウバエ科とトンボ目の翅形態について研究しています。