生物標本の3Dデジタル化 – 死蔵標本にオープンサイエンスの光を!
生物多様性とオープンサイエンス
生態学者で一度も「生物多様性っていったい何ですか?」と聞かれなかった者はいないでしょう。この質問に対する唯一の正しい答えはないでしょうが、少しカッコつけてメタな視点から私はこう答えるようにしています ——生物多様性とは、人と野生生物との関係性のこと、ひいては人と自然との関係性のことです。
詳述する必要もなく、近年、生物多様性の危機が叫ばれています。もちろんこれは、多くの生物種が絶滅したり絶滅に瀕している状況を示しますが、そのなかにある本質的な危機とは、人と野生生物との関係性・相互作用が失われてしまうことです。長い人類の歴史において、野生生物や自然との関わりは人生の大半を占めていました。しかし近年になって急激にその関係性が窄まり、いよいよ皆無になりつつあります。
そのような歪のなか、生物多様性を研究する生態学者は、単に生物多様性を守るだけではなく、人と生物多様性との、人と自然との関係性を取り戻す努力が求められているでしょう。その手段のひとつがオープンサイエンス、つまり科学の一般への開放・共有といえます。
「死蔵」される数多くの生物標本
オープンサイエンスといわば対局にあるのが、標本庫に眠る生物標本です。そのほとんどが博物館などの標本庫の中に、一般の目に触れることなく収蔵されています。博物館の主要な業務のひとつは、100年単位の遠い未来を見据えて、標本を可能な限り良好な状態で保管し、常に利用できるようにすることです。しかしそのために、標本は収蔵庫に厳重に仕舞われており、一般社会から離れた位置にあることは否定できません。なかでも「模式標本」は、たとえばかつての「メートル原器」のようにその種を定義する重要な標本であるため、一般的な公開や自由な貸し出しは制限せざるを得ません。もちろん研究者は正規の手続きに基づいて、これらの標本を自由に閲覧し研究に利用することができますが、その一方で、博物館を支える多くの一般の人たちにとっては、収蔵庫の生物標本はどこか遠い世界の異世界の話のようで、その利用はおろか存在そのものも認識することが困難でしょう。こうした一般の人たちにとっては、まさにこうした標本類が「死蔵」されていると言えるかもしれません。
また、膨大な生物標本は学芸員らによる日々の並々ならぬ努力によって維持管理されていますが、その経年劣化を一切防ぐことはやはり困難です。かつて戦時下では、戦火により消失した重要標本も少なくありません。生物標本には高い学術的価値と公共的価値があるので、それを経年劣化のない形でデジタル化し、半永久的にWeb上で公開・保存することで、それらの価値を社会と共有することには大きな意義があると考えられます。近年では博物館に収蔵される標本のデータベース化も進んでいますが、一般の人が興味をもって利用するにはまだ課題が多く残る状況です。すなわち博物館標本を一般の人たちのより身近なところに適切に位置づけることができれば、それは、今後の博物館所蔵標本を用いたオープンサイエンスの発展や、博物館所蔵標本の価値を世に知らしめるうえで、非常に有益であるといえます。
日本産ドジョウ類全種類をCTスキャン
近年になって、ドジョウが注目されています。かつて身近にいたドジョウは、大規模な圃場整備など環境の変化によりその生息域が大きく狭まり、環境省のレッドリストでは準絶滅危惧種に指定されるまでになりました。特に九州以南で激減しており、湿地や水路で調査をしていてもドジョウを目にすることはほとんどありません。
一方で近年になってドジョウの仲間は非常に多様であることがわかりました。たとえばもっとも一般的なドジョウ(マドジョウ)にも多様な系統があり、それぞれドジョウ、キタドジョウ、シノビドジョウ、ヒョウモンドジョウ、と名付けられています。さらにシマドジョウ類やフクドジョウ類も含めると、日本には35種類ものドジョウ類が分布する(もしくはした)ことになります。
このような状況のなか、私やドジョウ類を専門に研究する友人は、多様で魅力的なドジョウの世界を一般にも広く知って欲しいと常々思っていました。そこで、もしこれら全種類を3Dモデル化してオンラインで公開したら多くの人の興味を惹くのではないかと思い立ちました。なんとか日本中からドジョウ類の標本を集め、すべてをCTスキャンにかけて3Dデータにしました。
特に絶滅したジンダイドジョウとヨドコガタスジシマドジョウは貴重な標本であり、すぐにでもデジタル化して公開する必要性を強く感じました。これらの3Dデータはオンラインで公開するとともにデータペーパーという正式な学術論文の形でも発表しました。期待どおり各メディアから多少の反応があり、オープンサイエンスとしてはそれなりの成功を得たと思っています。
形態だけはなく、硬さの「ボクセル」からさまざまなことがわかる
生物標本の3Dモデルは、それ自体が生物の美しさを呈し興味深いものですが、得られるものはそれだけではありません。2次元の画像データはピクセルという位置の決まった正方形に光の三原色のデータが付加されて成り立ちますが、CTスキャンによるデータでは「ボクセル」と呼ばれる位置の決まった立方体に、硬さを表すCT値が付加されて成り立ちます。この硬さを示すCT値によってさまざまなことがわかります。
たとえば高いCT値(つまり硬い)ボクセルだけを取り出せば、非破壊的に標本の骨格が抽出できます。また、スナヤツメと呼ばれる脊椎動物の進化の原点にある魚(厳密には魚類に含まれない)をCTスキャンして確認したときは驚きました。骨格のCT値が異常に低いため、他の普通の魚に比べるとまるで亡霊のようにしか写っていないのです。脊椎が進化する以前の状態を、低いCT値がそのまま示していました。また、藻類を好んで食するアユは、皆さんもご存知のとおりまるごと食べれるような全体に柔らかい魚ですが、実は胃や腸などの藻類を消化する器官はよく発達しており、大変硬いCT値を示しました。魚食性のハスと比べるとその差は歴然です。アユのみならず、植食性の強いゲンゴロウブナ、ムツゴロウ、カネヒラなどもやはり消化器官は高いCT値を示しており、柔らかい体とは裏腹に消化器官に大きなコストをかけていることがわかります。
3Dデジタル化の意義と可能性、そしてアナログの重要性
生物標本の3Dデジタル化にはまだまだ多くの可能性が隠されているでしょう。最近流行りの人工知能で言えば、学習させるにはデジタルデータである必要があります。人工知能の生物の3次元レベルにおける認知には、各種の3Dデジタルモデルをできるだけ多く用意して与えることで、将来的には学習させることができるかもしれません。これらを学習した人工知能は、カメラなどに搭載されればさまざまな応用が期待されます。また、3Dモデルそのものは、よりリアリティのあるゲームなどの素材にも活用できるでしょう。
とはいえ、最後にちゃぶ台をひっくり返すようですが、3Dデジタル化によるオープンサイエンスはしょせん仮想であり、それだけでは人と野生生物との関係性を取り戻すことはできません。このようなオープンサイエンスがきっかけとなり、人々が生物多様性に興味を持ちはじめ、いよいよ野生生物や自然とアナログな身体的な関わりを持つようになれば、そしてその重要性を感じることができれば、生態学におけるオープンサイエンスはひとつの役割を果たしたと私は考えます。
(※編集部注:2018.8.10 寄稿者からの要望により一部加筆・修正を行いました)
参考文献・URL
- Kano Y, Nakajima J, Yamasaki T, Kitamura J, Tabata R (2018) Photo images, 3D models and CT scanned data of loaches (Botiidae, Cobitidae and Nemacheilidae) of Japan. Biodiversity Data Journal 6: e26265
- 中島淳・内山りゅう(2017)日本のドジョウ.山と渓谷社,東京.
- 日本産ドジョウ全35種類の3Dデータ
この記事を書いた人
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九州大学持続可能な社会のための決断科学センター准教授
京都大学大学院理学研究科にて白神山地に生息するイワナの生態研究で修士号取得。その後、山岳スキーのため2年ほど研究から離れる。三重大学大学院生物資源学研究科にてアマゴの生態研究で学位取得(学術)。学位取得後は淡水魚の生態研究を軸に、Cliff Ecology(垂直断崖の生態学)、佐渡島のトキ放鳥に伴う自然再生、メコン川などモンスーンアジア広域の生態学に従事。近年は、SQL、PHP、JavaScriptを独習しながら、生物多様性のデジタルアーカイブとそのデーターベース化・オープンサイエンスに取り組んでいる。大量の死蔵データを抱えており、その論文化に頭を抱えている。
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