車輪生物はなぜいない?

車輪は人間の最も優れた発明のひとつです。私たちは自転車、自動車、列車などを利用して、地表を自由に移動することができます。同じ距離を同じ時間をかけて自転車で移動するのとランニングで移動するのを比べたとき、自転車で移動したほうがはるかに楽なことからも、車輪という移動装置がいかにエネルギー効率の高いものであるかわかります。

生命現象のエネルギー効率は人工機械のエネルギー効率よりも高いと一般的に言われています。それならば、生物は進化の過程で車輪を移動器官として獲得していてもよいはずです。しかし、大腸菌やサルモネラ菌のような細菌の鞭毛のモーター、ウンカの幼虫の後脚の歯車など、回転運動する器官は生体内に存在するものの、車輪そのものを器官として持ち、その器官を使って移動する生物はいまだ発見されていません。

車輪生物がなぜいないのかという疑問はさまざまなところで取り上げられています。石原藤夫さんの『ハイウェイ惑星』というSF小説は、未来の地球人が宇宙に地球外生命を探索に行く物語です。探索隊が降り立ったある星では、地表が縦横無尽にハイウェイで覆われていました。しかもそのハイウェイは、壊れても自動修復されるため、数千万年、存在し続けていました。この星で探索隊が見たものは、なんと車輪のような構造を進化させてハイウェイを突っ走る動物たちだったのです。不規則な表面上を移動するのに車輪は適していません。なるほど、道路のなかった地球表面はデコボコだから車輪が進化しなかったのかもしれません。この小説の中に、ハイウェイのことを「……この路面のような、ある機能が面にわたって分布している構造物は、生体の皮膚を連想させ……」と説明する一節があります。デコボコな地球表面に車輪生物はいなくても、車輪細胞なら平らな生体表面のどこかにいるかもしれません……。

デコボコな地表には車輪生物はいないが、なめらかな生体表面になら車輪細胞がいるかも?

魚類表皮ケラトサイト

生物の皮膚が創傷を受けると、周囲の表皮細胞が創傷箇所にアメーバ運動で移動し修復します。魚ではケラトサイト(keratocytes)という細胞が、この役割を担っています。アメーバ運動する細胞は一般に不定形ですが、ケラトサイトは核を含む紡錘形の細胞体とその前方の三日月形の広大な葉状仮足から構成され、めずらしいことに、移動中この形を維持し続けます。

一般的なアメーバ細胞の内部では、細胞前方でアクチンという粒状のタンパク質が次々連なり(重合)前端が押され伸長します。後方では、ストレスファイバという繊維が筋肉のように収縮して後端を縮めます。その結果、細胞全体は前方へ移動します。ケラトサイトのストレスファイバは進行方向とほぼ垂直に存在するため、ストレスファイバの収縮は細胞の移動にあまり役立ちそうにありません。それにもかかわらずケラトサイトは哺乳類表皮の一般的なアメーバ細胞の10倍以上のスピードで移動します。私どもの研究室ではこのユニークなケラトサイトをアメーバ運動の研究材料として使ってきました。

創傷は表皮細胞の移動によって修復される。表皮細胞はアメーバ運動によって移動する。魚の表皮細胞ケラトサイトは独特の形を維持しながら高速で移動する。

細胞の中で回るラグビーボール

数年前、研究室スタッフの沖村千夏は、ストレスファイバが染色されたケラトサイトを、毎日顕微鏡で観察していて、ある日「ストレスファイバが回っているように見える」と言い出しました。アメーバ運動の常識として、細胞膜や細胞質が運動に伴って動くことはあるとしても、細胞の骨格となるストレスファイバが動くというのは非常識なことです。ましてや車輪のように回っているというのは、もし本当だったら面白すぎます。私は沖村にストレスファイバの様子をもっと詳しく調べることを勧めました(トンチンカンな意見だと思ってもグッとこらえてやめさせなかったのは私のエライところです)。

沖村は、まず、ケラトサイトの固定標本の断層像を撮影し、ストレスファイバの立体的な配置がどうなっているのかを検討しました。すると、ちょうどラグビーボールの縫い目のように、ストレスファイバが細胞体を取り囲んで配置していることがわかりました。確かに、このラグビーボールはいかにも回転しそうなので、回るかな、と私は少し信用し始めました。

ラグビーボールが回転しているかどうかを確かめる最も良い方法は、移動中のケラトサイトの立体像の動画を撮影することです。それが可能な“光シート顕微鏡”を基礎生物学研究所の野中茂紀さんが開発していました。私たちは野中さんに共同研究を申し込み、ケラトサイト採取元の魚を抱えて山口から岡崎まで赴きました。

持っていった魚から沖村がせっせとケラトサイトを準備し、それをポスドクの谷口篤史さんが撮影しましたが、初めてのサンプルなので当然なかなかうまく行きません。夜中まで作業を続け、ついに一例ストレスファイバをうまく撮影することができました。野中さんが処理した動画をみんなで確認してみると、ストレスファイバは見事に回っていました。研究生活をしているうち、あ、見つけた! という幸せな瞬間はそうそうおとずれるものではありませんが、このときは、まさにそんな瞬間でした。2014年の夏でした。

ケラトサイトのストレスファイバの配置と回転。固定した細胞の底面から上面まで 0.3 µm 間隔で断層像を撮影すると、底面(黄矢印)と上面(シアン矢印)にストレスファイバ(白色)が確認できる。生きた細胞の断面を見るとストレスファイバ(緑矢印)がはっきりと回転していた(Okimura et al., 2018より改変)。
回転するストレスファイバの“車輪”(Okimura et al., 2018 より改変)。

移動の原動力としての車輪

ストレスファイバは細胞の中のいかにも車輪がありそうな場所に存在して、さらに、回転していました。すぐ発表したくてウズウズしましたが、まだ秘密にしておかなければいけません。なぜなら、回っていることのみを見つけただけだからです。前述しましたように、生物は回転機構なら案外いろいろもっています。もっていないのは移動するために機能している“車輪”です。ストレスファイバの回転が車輪であることを示さないわけにはまいりません。私たちは、この回転しているストレスファイバが (1) 細胞の移動の原因であること、(2) 自分の力で回っていることを証明すれば、車輪を見つけたといえるだろうと考えました。

車輪の回転が細胞移動の原因であるならば、移動中の細胞のストレスファイバを壊せば移動がおかしくなるはずです。移動中のケラトサイトのストレスファイバの一部をレーザーで焼き切って車輪を破損すると、見事にケラトサイトの移動は破綻しました。

ストレスファイバをレーザーで焼き切る(左写真 黄丸)とケラトサイトはバランスを崩した。 また、細胞の前後端を切り離しても(右写真 黄点線)ストレスファイバ(黄矢印)は回り続けた。右写真の上下列は同一細胞の連続写真。上列は葉状仮足が見えるように輝度を上げている(Okimura et al., 2018より改変)。

アクチン重合による細胞前端の伸長はケラトサイトでも起きていることが知られています。そこで今度は、ストレスファイバの車輪が、前端のアクチン重合によって受動的に回転させられているのか、あるいは車輪自ら自律的に回転しているのかを確かめるために、移動中のケラトサイトの前後端を分断してみました。すると、期待どおり、前端を切り離されても細胞体内のストレスファイバの車輪は回転を続けました。

こうして私たちは、ストレスファイバが自律的に回転していて、それが細胞移動の原因になっている“車輪”だと確信が持て、ついに今年2018年発表できました。基生研で初めて回っているのが見えてから4年もかかりました……。

車輪細胞ケラトサイトの運動メカニズムイメージ。後端のストレスファイバの車輪の回転と前端のアクチン重合。

おわりに

今回の発見は、生命が車輪を利用して移動することを示した初めての例です。これまで生命は車輪を利用しないと信じられてきた先入観を壊すものであり、私たちの生命の概念を広げる発見といえるでしょう。太古の生命や地球外生命等において車輪をもつものがいるかもしれない、と想像が膨らみます。

私たちが車輪細胞を見つけたのは特殊な魚の皮膚からではありません。金魚すくいの出目金にも、ペットショップの熱帯魚にも、海で釣れるアジにもタイにも車輪細胞が存在します。しかし、これまで誰も気がつきませんでした。ヒトの遺伝子の全配列まで解ってしまった現在でも、実は、ごく身近な生物のなかに生命の概念を変えるようなロマンがまだまだ埋もれているようです。

参考文献
Okimura, C., Taniguchi, A., Nonaka, S. and Iwadate, Y. (2018). Rotation of stress fibers as a single wheel in migrating fish keratocytes. Scientific Reports 8: 10615. doi: 10.1038/s41598-018-28875-z

この記事を書いた人

岩楯好昭
岩楯好昭
山口大学理学部准教授。早稲田大学大学院博士課程修了、早稲田大学助手、徳島大学助手、山口大学助手、JSTさきがけ研究者を経て、現職。光学顕微鏡で細胞の運動を観察しています。誰もがワクワクするような、純粋に知的好奇心をくすぐる基礎研究ができれば嬉しいです。