2012年に、素粒子の質量の起源と深いかかわりのあるヒッグス粒子が発見されました。欧州原子核研究機関(CERN)に建設された大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を使った2つの実験グループ、ATLASとCMSが同時に新粒子を発見し、それに続くさらなる研究でその新粒子がヒッグス粒子だとわかりました。

2018年の6月に、CERNでは、トップクォーク対とヒッグス粒子が同時に生成されている事象の初観測に成功したとプレス発表しました。それを受け、日本国内からATLAS実験に参画する研究グループであるATLAS日本グループもプレスリリースを行いました。本稿では、プレスリリースの内容と、その背景や物理的意義、今後の実験計画などについて解説します。

ヒッグス機構:ヒッグス粒子と素粒子の相互作用で質量が生成

素粒子物理学の標準模型と呼ばれる理論的枠組みでは、すべての素粒子はもともと質量を持っていなくて、ヒッグス粒子と素粒子との相互作用によって質量が生成されると考えます。これを「ヒッグス機構」と呼びます。2012年にヒッグス粒子を発見したことにより、この仮説の信頼度がグッとあがり、この仮説を唱えたアングレールとヒッグスが翌2013年にノーベル物理学賞を受賞することになりました。

しかし、ヒッグス粒子の発見だけではヒッグス機構の検証は不十分です。というのは、前述のように、ヒッグス機構では、ヒッグス粒子が素粒子となんらかの相互作用をすることが前提となっています。ですから、ある素粒子Aについて、その質量の起源が本当にヒッグス機構かどうかを検証するためには、ヒッグス粒子と素粒子Aが相互作用することを確認しなければなりません。

話を一旦巻き戻します。標準模型に登場する素粒子は全部で17種類あって、その17種類はその性質によって3つに大きく分けられます。仮に物質を切り刻み続けることができたとして、ずーっと切り刻み続けると、最後にはもう切り分けることのできない粒になります。このように、物質の根源となっている素粒子たちのことをフェルミオンと呼びます。クォークが6種類、そして、電子やニュートリノなどの仲間が6種類、合計12種類のフェルミオンからこの宇宙はできています。また、これら12種類の素粒子を4種類づつ、質量に応じて軽いグループを第1世代、次に重いグループを第2世代、一番重いグループを第3世代と呼びます。これらフェルミオン以外に、力を媒介する粒子たちが存在します。電磁気力を媒介する光子、弱い力を媒介するW粒子とZ粒子、そして強い力を媒介するグルーオン、以上4種類の粒子が存在します。そして最後まで見つかっていなかったのがヒッグス粒子で、光子とグルーオンを除くすべての素粒子に質量を与える役割を果たしています(光子とグルーオンの質量はゼロです)。

素粒子の分類。物質を構成するするフェルミオン、力を伝える粒子、素粒子質量の起源と深いかかわりのあるヒッグス粒子、以上の3種類に大別できる。フェルミオンは、質量の大きさに従い3つの世代に分かれている。

2012年のヒッグス粒子発見以降、素粒子物理学者は、今説明した素粒子たちがヒッグス粒子と相互作用するのかどうかを調べてきました。WとZ粒子がヒッグス粒子と相互作用することは比較的早い段階で検証され、力を媒介する素粒子の質量はヒッグス機構で生成されていることがわかりました。そして、素粒子物理学者の呼ぶ「発見」とまでは言えないものの、2015年にはτ粒子が、2017年にはボトムクォークが、ヒッグス粒子と相互作用している兆候を掴みました。これにより、もうひとつの第3世代フェルミオンであるトップクォークの質量もヒッグス機構により生成されているのかどうかが大きな注目を浴びていました。特に、トップクォークはすべての素粒子のなかで最も重く、フェルミオン同士で比べると、たとえば、電子に比べて約35万倍というとてつもなく大きな質量を持っています。そのため、トップクォークの質量が他のフェルミオンと同様の仕組みで生成されているのかは大きな謎となっていました。

トップクォークの質量起源を解明

今回のプレスリリース内容は、重心系エネルギー13TeVの陽子・陽子衝突で、トップクォーク対とヒッグス粒子が同時に生成されている事象を観測したというものです。トップクォークもヒッグス粒子も生成直後に別の粒子たちに崩壊してしまうので、崩壊してできた粒子を観測することによって、トップクォークとヒッグス粒子が同時生成されたことを同定しました。ヒッグス粒子はさまざまなパターンで崩壊するのですが、たとえば、ヒッグス粒子が2つの光子に崩壊した痕跡を捉えています。その他にも、ボトムクォーク対への崩壊、WWあるいはZZへの崩壊……などなどを分析した結果、6σを越える有意度でトップクォーク対とヒッグス粒子の同時生成を観測しました。

ATLAS実験で観測した、トップクォーク対とヒッグス粒子同時生成事象候補。ヒッグス粒子は生成直後に2つの光子に崩壊している。

この結果は、ヒッグス粒子がトップクォークとの相互作用により生成されたことを意味しているので、トップクォークとヒッグス粒子が相互作用していると実証したことになり、素粒子中最重量のトップクォークの質量もヒッグス機構起源であることがわかりました。相互作用があまりに弱くて実験的に検出することのできないニュートリノを除くと、第3世代4種類のうち3種類の質量起源がヒッグス機構由来であることを突き止めたことになります。今回の結果を踏まえると、第3世代フェルミオンの質量はヒッグス機構によって生成されていることが濃厚で、素粒子物理学上の大きなマイルストーンになりました。また、格段に質量の大きいトップクォークの質量もヒッグス機構によるものであることを実証したという点で、学術的意義の非常に大きな結果です。

次なる目標は?

次なる目標は、第2世代フェルミオンの質量起源の解明になります。素粒子にはなぜ世代が存在するのか、なぜ3世代なのか、今のところ何のヒントもありません。ですが、素粒子の質量生成を担っているのがヒッグス機構とすれば、世代の謎を解く鍵がヒッグス機構に隠されているに違いありません。ですから、第3世代だけでなく違う世代の素粒子の質量起源の解明が極めて重要です。

そして、これまで触れませんでしたが、ヒッグス機構の全貌解明には、ヒッグス場の性質の動的な変化の検証が最後の砦になります。具体的には、ヒッグス粒子同士の相互作用を調べることなのですが、そのためには、これまでに収集したデータ量の30倍以上が必要だと考えられています。そこで、衝突頻度を現在の10倍に上げる高輝度化計画(HL-LHC計画)が進められていて、2024年から2026年にかけて加速器と検出器双方を大改造する予定です。現在、研究者たちは、LHC実験を推進するかたわら、HL-LHC計画の準備に追われています。

最後に、標準模型だけでは、この宇宙で起きている現象すべてを記述できないことがわかっています。たとえば、暗黒物質の存在です。標準模型では暗黒物質を説明することができません。その他にも、いくつかの直接的・間接的な証拠から、標準模型を超える新たな物理法則がこの宇宙に潜んでいると多くの物理学者が信じています。ヒッグス粒子の役割はあまりにも特別なため、新たな物理法則発見の鍵がヒッグス粒子にあるのではないかと考えている人も多くいます。それゆえ、ヒッグス粒子の性質をあらゆる角度から詳細に調べ尽くすことが、素粒子物理学の発展を促すのではないかと考えられており、HL-LHCをはじめとする次世代コライダー実験が計画されているのです。これからの素粒子物理学も目が離せません。ヒッグス粒子発見に次ぐ大発見にご期待ください。

この記事を書いた人

花垣和則
花垣和則
高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所教授。ATLAS日本グループ共同代表。大阪大学大学院理学研究科博士過程を修了後、プリンストン大学、フェルミ国立加速器研究所、大阪大学を経て、2015年より現職。専門は、素粒子物理学実験。学者になるとは思っていなかったが、大学院時代に研究の面白さに目覚めて人生が変わった。研究者人生の前半はCP対称性の破れ、中盤以降はヒッグス粒子を研究の対象としている。ゲージ理論の美しさに魅せられている。人類が全く想像していない現象を実験で見つけたい。共著『ヒッグス粒子の見つけ方〜質量の起源を追う〜』(丸善出版)。家族は,嫁一人と子供二人。趣味は、将棋観戦とスキー。モットーは『人生ー酒=0』。痛風に怯えているのに、1日たりとも酒を絶てずに困っています。