次世代の計算機「量子コンピュータ」

普段我々が目にしているマクロな世界では、ニュートン力学などの古典力学のルールに従って運動が起こります。現在のコンピュータ(スーパーコンピュータを含む)は、古典力学のルールに基づいて計算を行う計算機だといえます。このように、古典力学に基づく計算機は古典コンピュータと呼ばれています。もう少し詳しくいうと、古典コンピュータは、電圧の高低などによって1, 0という2つの数字(ビット)を表現し、それを古典力学的に操作することで計算を行っています。

一方、ミクロな世界になると、物質の運動は古典力学ではなく量子力学という物理理論に従って記述されることがわかっています。量子コンピュータとは、この量子力学の奇妙な性質を利用して動作するコンピュータです。量子コンピュータでは、ビットの代わりに、0と1の重ね合わせ状態を取ることができる量子ビットを量子力学的に操作することで計算を行います。

量子コンピュータは古典コンピュータよりもどれくらい凄いのか?

それでは、量子コンピュータは古典コンピュータに比べてどれくらい高速なのでしょうか? たとえば、量子コンピュータは、古典コンピュータが苦手とする素因数分解(与えられた整数を素数の掛け算に分解する問題)を効率良く解けることがわかっています。しかし、素因数分解が原理的に古典コンピュータで高速に解けないかどうかはわかっていません。つまり、今のところ、我々は素因数分解を古典コンピュータで高速に解く方法を見つけられていませんが、将来、とても頭の良い人が高速に解く方法を見つけてしまう可能性が残っています。ですので、量子コンピュータが素因数分解を高速に解けるからといって、本当に量子コンピュータが古典コンピュータよりも高速だといえるわけではありません。

そこで、現在、量子コンピュータの古典コンピュータに対する優位性をもっと強力な基盤に基づいて示そうという研究が盛んに行われています。さらに、そのような優位性を実際に実験で実証することを考えると、近い将来に実現しそうな計算能力が限定された量子コンピュータでそのような優位性を示せることが好ましいといえます。このような研究は「量子スプレマシーの実証」と呼ばれ、量子コンピュータ研究の重要な目標のひとつとなっています。

量子スプレマシーの実証

では、何をすれば量子スプレマシーを実証できるのでしょうか? ひとつの方法として、大量の量子ビットから作られる複雑な量子状態(ハイパーグラフ状態と呼ばれています)を量子コンピュータできれいに作り、それを1量子ビットずつ測定すれば良いことがわかっています。というのも、ハイパーグラフ状態はとても複雑な重ね合わせ状態なので、それを測定したときにどのようなパターンの測定結果が得られるかをシミュレートするのは古典コンピュータでは難しいことがわかっているからです。

もう少し厳密にいうと、もし古典コンピュータでそのような測定結果のパターンをシミュレートできたならば、多項式階層が崩壊するということが数学的に示されています(注1)。多項式階層というのはPとNPの関係を一般化したようなもので、計算機科学の分野では崩壊しないと強く信じられています(注2)。言い換えれば、多項式階層が崩壊しないと信じるならば、量子コンピュータが答えを出すパターンを古典コンピュータではシミュレートできないことになります。

量子状態の検証

しかし、上記で述べた量子スプレマシーの実証方法にはいくつか問題点が残っています。量子状態は、量子コンピュータのちょっとしたエラーによって、すぐに用意したかったきれいなハイパーグラフ状態とは異なる状態になってしまいます。ですので、量子スプレマシーを実証するためには、本当に量子コンピュータ内部できれいなハイパーグラフ状態が作れているかを検証する必要があります。

その際、検証は高速に実行できる必要があります。というのも、量子状態が正しく作れているかの確認に時間がかかってしまうと、量子コンピュータによる計算の高速化が失われてしまうからです。

今回、我々はハイパーグラフ状態を含めたさまざまな量子状態を、高速かつ1量子ビットごとの測定だけで検証する方法を提案しました。また、今回我々が提案した方法は量子コンピュータ内部でどのようなエラーが発生している場合でも適用することができます。これまでの方法は限られた量子状態にしか使えないか、とても時間がかかるか、限られたエラーに対してしか適用できないかのいずれかでした。今回の我々の提案によって、多くの量子状態に対して上記3つの問題が解決されたことになります。また、我々の検証方法は量子スプレマシーの実証以外にも、クラウド量子コンピューティングの実現などにも応用することができるため、とても汎用性が高いものになっています。

今後の展望

今回、我々はさまざまな量子状態を1量子ビット測定だけで効率良く検証する方法を提案しました。現在の技術では量子ビットを大量に準備することは難しいので、今すぐに量子スプレマシーの実証ができるとは限りませんが、今回の我々の研究結果によって量子スプレマシーを実証するための理論的な枠組みがより整備されたといえます。今後は、今回の検証方法をより効率化するなどの研究を行い、引き続き量子情報処理の実現や発展に貢献していくつもりです。

今回の我々の研究結果の詳細を知りたい方は、下記の参考文献をご覧ください。

参考文献

  • Y. Takeuchi and T. Morimae, Verification of many-qubit states, Physical Review X 8, 021060 (2018).

(注1)この証明では、“問題をあるひとつの入力に対して解くのが難しいときに、他のいくつかの入力に対してもその問題を解くのが同じくらい難しいだろう”という予想を用いています。今のところ、反例は見つかっていませんが、この予想が本当に正しいかを数学的に証明するのも重要な研究テーマのひとつとなっています。

(注2)PとNPというのは計算量クラスの名前を表しています。Pは古典コンピュータで決定論的に効率良く解くことができる決定問題(Yes, Noで答えられる問題)の集合です。NPというのは、答えがYesだという証拠を貰ったときに、その証拠が正しいどうか(つまり、本当に答えがYesなのかどうか)を古典コンピュータで決定論的に効率良く判断できる決定問題の集合です。一方で、答えがNoのときには、どんな証拠を貰ったとしても、答えがNoだと決定論的に効率良く判断することができます。

この記事を書いた人

竹内勇貴, 森前智行
竹内勇貴, 森前智行
竹内勇貴(写真左)
日本電信電話株式会社 コミュニケーション科学基礎研究所 リサーチアソシエイト。2018年大阪大学基礎工学研究科物質創成専攻物性物理工学領域博士後期課程早期修了。博士(理学)。2014年から2018年3月までインタラクティブ物質科学・カデットプログラム生、2017年から2018年3月まで日本学術振興会特別研究員(DC2)。2018年4月より現職。量子計算の検証や、ブラインド量子計算などの研究に従事しています。
ホームページ: https://yukitakeuchi-web.jimdo.com/

森前智行(写真右)
京都大学基礎物理学研究所 講師。2009年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。リール第一大学、パリ東大学、インペリアルカレッジロンドン、群馬大学を経て現職。専門は量子計算理論。