沖縄伝統の「芭蕉布」‐ 涼しさの理由をミクロの世界から探る
研究のきっかけは、「とにかく蒸し暑かったから。」
読者のみなさまは、芭蕉布を存知でしょうか。沖縄を旅された方なら、どこかで「芭蕉布(吉川安-作詞・普久原恒勇作曲)」のメロディーを耳にされたかもしれません。沖縄の歌にもなった芭蕉布は、琉球王国(かつての沖縄)で織られていた伝統的な織物で、バナナの茎から採れる繊維から作られます。この芭蕉布は、大変に古い織物で14世紀ごろから織られていたという説もあります。沖縄県本島の北部に位置する大宜味村喜如嘉では、伝統的な製法で今日でも芭蕉布を生産し続けています。「喜如嘉の芭蕉布」は、人間国宝の平良敏子先生の偉業により、沖縄を代表する伝統織物になりました(喜如嘉芭蕉布事業協同組合)。
さて、私は蒸し暑いのがとても苦手です。私が以前住んでいたカリフォルニアの内陸部は、夏の気温は高いのですが湿度は10%以下と非常に低く、沖縄とはまったく気候が違います。このカリフォルニアから、湿度が100%に近い夏の沖縄にいきなり移り住んだのです。勤務先に行くのも蒸し暑くて一苦労、クーラーの無かった昔に、人々はこの厳しい気候のなかでいったい何を着ていたのだろうかと思いました。普通なら、クーラーのきいた涼しい職場に着けば、日常的なこのような小さい疑問はすぐに忘れてしまうでしょう。ところが、今でこそバイオテクノロジーや核酸化学・工学の研究をしていますが、私は学生のときに被服学を専攻していました。興味を持ち調べたところ、沖縄ではかつて一般庶民から琉球王まであらゆる階級の人々が、芭蕉布を夏に着用していたことがわかりました。私は、なぜ芭蕉布を夏に国中で着用するようになったのか、さらなる疑問を持ちました。
芭蕉布の研究
沖縄で芭蕉布を着用していた歴史的な背景としては、琉球王府による庶民に対する綿・絹の着用制限と、芭蕉布の生産奨励が挙げられます。また、原材料のバナナが亜熱帯の気候によく合い、栽培しやすかったことも一因でしょう。では、繊維の科学的な性質から考えて、芭蕉布が何百年もの間、廃れずに人々の間で着用されてきた特別な理由はあるのでしょうか。
しかし、残念なことに芭蕉布や芭蕉糸の科学的な研究は1980年代から進んでおらず、特に私が興味を持った材料から繊維を採る工程は、科学的にはまったく調べられていないことがわかりました。私は、最新技術を用いてこの研究を進めることにしました。幸い、私の勤務する沖縄科学技術大学院大学(Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University, OIST)は、世界に誇る電子顕微鏡技術を持っています。このOISTの電子顕微鏡技術が、前世紀で止まっていた芭蕉布の科学的な研究を復活させました。また、関連部署の協力により、機器分析から新しい知見を得ることができました。以下に、この研究の概要を紹介します。より詳細については、記事の最後に挙げた繊維学会の論文誌をご参照いただければ幸いです。
芭蕉布の「21世紀的」な科学研究
芭蕉布はセルロース系繊維であり、その原材料は沖縄の古い言葉で「ウー(苧)」と呼ばれるイトバショウ(バナナの1種)です。このイトバショウは、伝統的な方法で剪定を行いながら、3年ほどかけて丁寧に栽培されます。芭蕉布の糸には、イトバショウの偽茎を構成する葉鞘が使われます。芭蕉布の生産では、この葉鞘の外側が「ウー剥ぎ」(正確には「ウー剥ぎ」工程の「口割」)と呼ばれる伝統的な工程により選別されます。この「ウー剥ぎ」によって得られたサンプルを電子顕微鏡で調べたところ、芭蕉糸のもとになる密な維管束が多く存在していることがわかりました。すなわち、伝統的な工程では、経験的にこの維管束の多い表皮側だけを葉鞘から切り出しており、これが次の精錬工程の効率を上げているものと考えられました。この維管束の断面は、他の繊維断面にはないユニークな形の中空状であり、図に示すようにこれが汗(水)の速やかな拡散など、夏の衣服に求められる性質に寄与していると推測されました。このため、蒸し暑い沖縄の夏に適した布として、芭蕉布が長く着用されてきたのだと考えられます。
「ウー剥ぎ」によって得られた材料は、木灰汁を薄めたアルカリ溶液で1時間ほど煮沸され(精錬)、一晩放置後に水洗いされます。この伝統的な精錬「ウー炊き」は、熟練者によって行われ、すべての工程中最も注意が必要です。この方法は、江戸時代と変わらない様子で今でも行われています。写真に示すように「ウー炊き」後も材料の維管束は良く保存されていました。さらに機器分析(FTIR、XRD)からも「ウー炊き」がマイルドな精錬方法であるにもかかわらず、十分に効果があることが示されました。このようなマイルドな精錬方法を経た材料から、糸のもとになる繊維(維管束)が分離されていくのです。
本研究は長い芭蕉布作製工程のうち、ほんの一部を調べたにすぎません。しかし、ここで得られた知見から、先人たちがその土地や気候に合った植物から創意工夫により芭蕉布を生産していたのだと推測されます。
今後の展望
この研究を開始するにあたり、私たちは、原材料のイトバショウの生産量の減少から、芭蕉布が存亡の危機にあることに気が付きました。産地が原材料不足に陥っている理由としては、イトバショウが農作物ではないために、法制上、支援しにくい状況も一因でしょう。原産地では、芭蕉布生産の維持が切望されています。また、研究で得られた新しい知見を、将来、産業に発展させるためにも材料の確保は必要です。
そこでOISTが研究と原産地への貢献を目的として、琉球大学と連携した産地支援体制を構築しました。論文の共著者でもある、琉球大学の諏訪竜一先生は、沖縄など亜熱帯の有用植物生産研究のエキスパートです。
沖縄県の協力を得て、諏訪先生のグループはさっそく、大宜味村の畑にイトバショウの収量、品質を高める栽培実験の準備を開始しています(琉球大学農学部作物学研究室)。良質なイトバショウ増産研究の幕開けです。私も材料の評価で、この研究を支援できればと思います。
さらにOISTでは、この研究や産地支援への取り組みを地域に積極的に発信しています。本研究がきっかけとなり、メディアの力で喜如嘉の芭蕉布に一般の方の関心が集まり、ひいては地域振興の一助となることを期待します。日常で感じた小さな疑問に端を発した一研究が、今や大きなプロジェクトに育ちつつあります。
参考文献
1) K. Hendrickx, The Origins of Banana-fibre Cloth in the Ryukyus, Japan, Leuven Univ. Press (2008), ISBN-10: 9058676145.
2) Y. Nomura et al., Journal of Fiber Science and Technology, Vol 73, p.317-326, 2017.
この記事を書いた人
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沖縄科学技術大学院大学 サイエンス・テクノロジー・グループ サイエンス・テクノロジーアソシエイト
日本女子大学大学院人間生活学研究科生活環境学専攻修了。博士(学術)。東京大学先端科学技術研究センター博士研究員(日本学術振興会特別研究員)、東京大学先端科学技術研究センター荏原製作所寄附講座(環境バイオテクノロジー)教員(助手)、東京工科大学助手などを経て、2004年に渡米。カリフォルニア大学デービス校工学部医用工学科でアソシエイト・プロジェクトサイエンティスト(シニアサイエンティスト)として、合成生物学等のプロジェクトに10年間ほど従事。2015年7月より現職。
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