「あの人の名前が思い出せないの!」

映画「君の名は。」のワンシーンですが、冷静に考えれば一大事です。私たちの生活には、適切に物事を記憶することが欠かせません。大切な人の名前を覚えることも、仕事の手順を覚えることも、数学の公式を覚えることも、すべて記憶によって成り立っています。

今回は 「ビックリ!」したときに記憶が作られるというルールがヒトから昆虫まで共通していることを示した私たちの研究を紹介したいと思います。

どうして記憶するのか? どうやって記憶するのか?

物事を記憶することは、効率よくエサを探したり、外敵を避けることができるようになるため、環境の変化に適応して生き延びる助けとなります。したがって、ヒトだけでなくあらゆる動物にとって、物事を記憶することは重要です。

たとえば、パブロフの犬の実験が有名でしょう。犬にベルの音を聴かせた後にエサを提示する訓練を繰り返すと(注1)、犬はベルの音とエサを結び付けて記憶することができるため、やがてベルの音を聞いただけで唾液を分泌するようになります。最近の研究では、ショウジョウバエすら匂いとエサの在り処を結びつけて覚えられることが報告されています。

では、動物が記憶を形成するために必要な条件は何でしょうか。その歴史は古く、1972年にRescorlaとWagnerという2人の科学者が、”予測と違ってビックリする”と記憶が作られる、との理論を提唱しています。

たとえば一本調子の授業の中身より、ビックリ箱のように新しい話を展開する先生の授業内容や、なんでもない授業中の雑談が記憶に残った経験はないでしょうか。この”予測誤差”理論は、現在でもほ乳類が記憶を形成する条件を説明する有力な理論として支持されていますが、ほ乳類以外の動物の学習が説明可能かどうか、十分な検証がされていませんでした。

コオロギだって「ビックリ」すると学習する

そこで私たちは、予期誤差理論の基礎となったブロッキングと呼ばれる現象がほ乳類以外の動物でも成立するか、実験を行いました。実験対象として着目した動物は、昆虫のフタホシコオロギです。ほ乳類と進化的に遠く離れた昆虫にも予測誤差理論が当てはまるならば、広く動物の記憶形成に必要な条件を説明可能な理論として位置づけることが可能だと考えられます。

フタホシコオロギは、近年記憶のメカニズムについて研究の発展が目覚ましいモデル動物です。今回は、匂いや模様を、報酬の水や罰の塩水と結びつけて記憶させる実験系を用いました。

コオロギの記憶訓練とテスト
(a)コオロギの訓練には水や塩水を入れたシリンジを用いる。シリンジの先には匂いエッセンスの付いたろ紙や、図のような模様が取り付けられている
(b)匂いの記憶テスト装置。装置内に二種類の匂いが提示されており、コオロギはこれを選択する
(c)模様の記憶テスト装置

まずは、コオロギにある種の模様とミントの匂いを同時に提示して直後に水を与える訓練を行いました。するとコオロギはそれぞれの刺激と水を結びつけて記憶して、ミントの匂いや模様を好み近寄るようになりました。これは、ミントの匂いや模様からは報酬の水を予想していなかったため、「ビックリ」して匂いと水、模様と水を結び付けて記憶したと解釈できます。

では、「ビックリしない」局面では記憶は作られないのでしょうか。これを試すブロッキング実験を行いました。

ブロッキング実験
(a)実験手順の一例。匂い記憶のブロッキング実験では、コオロギに模様と水を結び付ける訓練を行った後、模様に加えて匂いを提示した後水を与える訓練を行った
(b)実験結果の一例。ブロッキングを行ったコオロギは、コントロールに比べて訓練した匂いに近づかなかった。これは、匂いと水を結び付けた記憶が十分に形成されなかったことを意味する

あらかじめ、コオロギに模様と水の関係を記憶させました。次に、模様とミントの匂いを同時提示した後に水を与える訓練を行いました。このとき、コオロギは模様を見ることで水がもらえることを予想できます。すると、ミントの匂いと水の関係は十分に記憶されませんでした。この結果は、「ビックリしない」局面では記憶の形成が起こらないことを示唆しています。

記憶に関わる現象では、特定のにおいや模様、報酬や罰の組み合わせでのみ不思議な現象が成立することがあります。今回のブロッキング実験が特殊なケースでないことを示すため、模様と匂いの組み合わせを逆転させる実験や、報酬の水の代わりに罰の塩水を用いた実験を行いました。すべてのケースでブロッキング現象が成立することが確認できました。つまり、コオロギは「ビックリ」したときにこそ記憶を作る、ことが明らかにできました。

ほ乳類と昆虫、どこまで共通性があるの?

次に、薬物を用いた検証を行うことで、”ビックリ”の情報を伝達する物質を探索しました。結果、コオロギではおいしいエサに関する記憶など、うれしい記憶を作る際に必要な”ビックリ”の情報をオクトパミンと呼ばれる生体アミン(注2)が伝達することを明らかにしました。

オクトパミン・ドーパミンの役割をまとめた理論モデル
コオロギの記憶形成の際に働くオクトパミン(OA)・ドーパミン(DA)神経細胞が、どのような仕組みで機能するかまとめている。オクトパミン・ドーパミン神経細胞に向けられた▲が報酬や罰の情報、が匂いや模様の情報を伝達する。オクトパミン・ドーパミン神経細胞はこの情報を処理して「ビックリ」の情報を生み出す。オクトパミン・ドーパミン神経細胞から伸びたの先へ「ビックリ」の情報は伝達されて、記憶の形成をコントロールする

オクトパミンは、ほ乳類のノルアドレナリンに類似した物質です。一方、毒や外敵の襲撃に関する記憶など、嫌な記憶を作る際に必要な”ビックリ”の情報はドーパミンと呼ばれる生体アミンが運んでいることを確かめました。ほ乳類では、ドーパミンがうれしい記憶を作る際に必要なビックリの情報を伝達しています。したがって、うれしい記憶か嫌な記憶か、という性質の違いはあるものの、昆虫とほ乳類にはドーパミンを介してビックリの情報を伝達する、という点で記憶メカニズムの類似性が見られました。

まとめ

1. コオロギは「ビックリ」したときに記憶することを明らかにしました。
2. その際に「ビックリ」の情報を伝えるメカニズムには、ほ乳類と共通性があることを明らかにしました。

終わりに

私は、いずれヒトの記憶のメカニズムを調べたり、記憶に関係する薬を開発したりするために、昆虫を対象としたパイロット実験を行う時代が来るだろうと考えています。ほ乳類を対象とする動物実験は残酷であるとして、実験が制限・忌避されつつある現状もあります。こうした研究倫理の問題へ対応するひとつの方法としても、昆虫の研究が今後まずます重要になるのではないでしょうか。

研究の過程で、これまで過去にほ乳類で行われてきた予測誤差理論の妥当性の検証に不十分な点があったことを発見し、コオロギを用いた実験によってそれを補完したこともお伝えしたかったのですが、やや難しいため今回は割愛します。もし本記事で私の研究に興味を持ってくださった方がいればScientific Reports注目の記事としてまとめられた日本語の解説プレスリリース原著の論文(英語)に目を通していただけると大変うれしく思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(注1)パブロフの犬の実験
犬にベルの音を聴かせた後にエサを提示する訓練を繰り返す厳密に言えば、“ベルの音”ではなく“メトロノームの音”です。パブロフはメトロノームのテンポを変えることで、どの程度類似した刺激に記憶が般化されるか調べています。メトロノームはカチカチと音が鳴るものが多いですが、大きな音を鳴らすためのベルが付属している場合もあります。パブロフがベル付きのメトロノームを用いていたのかどうか、私は詳しく知りませんが“ベルの音”という理解が広まった一因はここにあるのではないかと思います。
(注2)生体アミン
アミノ酸から作られる低分子です。代表的なものにドーパミンやセロトニンが挙げられます。
ほ乳類から昆虫までさまざまな生物が、情報を伝達する物質として利用しています。

 

参考文献
Rescorla, R. A. & Wagner, A. R. [A theory of Pavlovian conditioning: Variations in the effectiveness of reinforcement and nonreinforcement] Classical Conditioning II [Black, A. & Prokasy, W.R. (eds.)] [64-99] (Academic Press, New York, 1972).

Kamin, L. [Predictability, surprise, attention and conditioning] Punishment and aversive behavior [Campbell, B.A. & Church, R.M. (eds.)] [279-298] (Appleton-Century-Crofts, New York, 1969).

Waelti, P., Dickinson, A. & Schultz, W. Dopamine responses comply with basic assumptions of formal learning theory. Nature 412, 43–48 (2001).

この記事を書いた人

寺尾勘太

北海道大学大学院 生命科学院 博士課程在籍。愛知県出身。

昆虫を対象として、行動決定のメカニズムを研究しています。

 私たちは過去の経験や現在の状況に応じて自身の行動を変化させます。どのような状況や経験が、どのように自身の行動を変化させるか、その仕組みを明らかにしたいと考えています。特に昆虫は、比較的小さな脳を持ち脳メカニズムの解析に適しているため実験材料として用いています。動物間で共通する行動決定の仕組みを調べることで、昆虫だけではなくほ乳類などの動物一般、何より自分自身のことをよりよく理解していきたいと考えています。研究結果は、医療などを通じて社会に役立てていきたいと考えています。