氷はどこまで低密度になれるか? – 空気よりも軽い「エアロアイス」の理論予測
氷の結晶にはたくさんの種類がある
氷は水に浮きます。何をあたりまえのことを、と思われるでしょうが、実はちっともあたりまえのことではなく、たいていの物質では固相のほうが密度が高いので、固体は液体に沈みます。また、高圧でできる氷はすべて、同じ圧力の水よりも密度が高いので、高圧で作った氷も水に沈みます。つまり、固体の密度が液体よりも低くなる現象は、常圧で水を凍らせた場合にしか起こらない、極めて稀な現象と言えます。
一般に、物質の結晶構造は、圧力によっても温度によっても違ってきます。常圧で水を冷やすと、氷I(1)と呼ばれる六角形の結晶構造(雪の結晶でおなじみ)ができますが、2000気圧以上では氷III(3)と呼ばれる、四角形の結晶構造ができます。ある温度、圧力で、どの相(結晶構造、あるいは液体、気体)がもっとも安定になるかを示した図が相図です。なお、準安定相(ある条件で実験で作れるが、最も安定ではない相)である氷IV(4)や氷XII(12)は相図には描かれません。
実は、水の結晶構造は、全部で17種類が実際に作られ、純物質としては異常にたくさんの種類があります。氷の構造なんてとっくに調べつくされていると思われるかもしれませんが、今世紀に入ってから発見された氷が5種類もあり、今後も増えそうです。
0℃、1気圧の水と氷は、どちらも同じ分子でできていても、分子の集まり方が違うために、まったく違う性質を持っています。同じように、結晶の構造が違う17種類の氷は、それぞれ性質が違います。
押してだめなら引いてみる
氷I以外のほとんどの氷は、水や氷に高圧を加えることで作られました。通常の氷や水よりも密度が高い氷は全部で13種類あります。
では、通常の氷よりも密度の低い氷は作れるのでしょうか。2000気圧でうんと押せば、密度の高い氷の構造に変化するのであれば、逆に–2000気圧でうんと引っ張ってやれば、密度の低い氷もできそうな気がします。理論家がそのような氷を予測したものの、負圧を加える実験はとても難しく、実際に作るのは不可能だと考えられてきました。
ところが、2014年に、ドイツの研究者たちが、通常の氷よりも密度の低い氷を作ることに成功しました。彼らは、氷をひっぱるのではなく、ネオンハイドレートという、水とネオン分子が一緒に凍った氷から、ネオンだけを真空引きしてとりのぞくという方法を考案して、世界をあっと言わせました。この氷は、理論家が予想していたのと同じ結晶構造をもっていて、いまでは氷XVI(16)と呼ばれています。
氷XVI(16)は、理論上は負圧で最も安定になると予測されています。常圧では準安定なので、放置すると、より安定な氷Iに戻ります。同じ実験手法を応用して、氷XVII(17)も2016年に作られました。現時点では、通常の氷よりも密度の低い氷はこの2種類だけが実際に作られています。
密度の低い氷はほかにはないのか
密度の低い氷が作れたということは、負圧側にもいくつかの氷があって、水の相図は負圧側にも拡張できることを意味します。では、負圧側の氷は、高圧の氷よりもたくさんの種類があるのでしょうか。また、氷XVI(16)や氷XVII(17)は安定相なのでしょうか。それとも、同じ温度圧力で、氷XVI(16)よりも安定な結晶構造が見落されているということはないのでしょうか。
負圧は実現が困難なので、これらの疑問に実験で答を出すのは今のところ不可能です。そこで、ふたたび理論家の出番です。ある結晶構造が実験的に作れるかどうかはさておき、ひとたび氷の構造が決まれば、その安定性は理論計算で予測できます。結晶構造がたくさんあればあるほど、その予測は正確になります。理論家は、実験にさきがけて、いくつかの密度の低い氷の構造を予測し、それらが安定となるような温度圧力範囲を示してきました。氷XVIよりも密度が低い氷の構造もいくつか予測されています。
酸化ケイ素と水の深いつながり
理論家がこれまでに予測した氷の構造には共通する特徴があります。ひとつは、結晶構造に大きな空洞があること、もうひとつはそれらがゼオライト(沸石)の結晶構造に似ていることです。
ゼオライトはケイ素(シリコン)とアルミニウムの酸化物の結晶で、結晶構造に空洞があるので、ほかの物質を捉えて吸着したり、空洞内での化学反応を助ける触媒になったりする、機能性物質として知られています。
ゼオライトに限らず、酸化ケイ素の結晶構造は氷の結晶構造にとても似ているので、酸化ケイ素のケイ素原子を酸素におきかえ、酸素原子を水素に置きかえると、氷の結晶構造に作りかえることができます。たとえば、トリディマイトとチバイトの結晶構造は、氷I(1)と氷XVI(16)の結晶構造に変換されます。実は、これまで理論家が予測した、低密度の氷の構造は、すべてゼオライトの結晶構造としてすでに知られていたものと同一でした。
そこで、私たちは、これまでに発見されたゼオライトの結晶構造(200種類以上)をあまねく氷の結晶構造に変換し、すべての構造の安定性を比較してみることにしました。こうして、密度0.5〜0.9g/cm3の範囲を網羅的に調べた結果、ゼオライトITTと同じ構造を持つ氷が、これまでに理論で予測されていたものよりも、低密度かつ安定であることをつきとめました。
どこまで密度は低くなるのか – エアロアイスの発見
とはいえ、これですべての可能性をチェックしたとは言えません。ゼオライト以外の構造を持つ、もっと安定な氷があるかもしれません。また、ゼオライトの構造を持つ氷は、最低でも密度0.5g/cm3なので、それより低密度の氷は見落している可能性もあります。
そこで、これまでに理論家が予測した低密度氷の構造に着目しました。どの結晶構造も、多面体と角柱のブロックに分解できるように見えます。それなら、角柱部分を延長すれば、構造に新たなストレスを加えることなく、もっと密度の低い構造が作れるはずです。
これを、エアロアイス(aeroice)と名付けました。エアロアイスの密度は0~0.5g/cm3の範囲で自由に設定でき、コンピュータシミュレーションによってその物性も予測できます。その結果、極低温では多種多様のエアロアイスが安定に存在しうることが明らかになりました。理論計算を行ったエアロアイスの中では最も密度が高い氷(密度0.4g/cm3)でさえも、氷XVI(16)よりも安定であり、しかも密度が低いエアロアイスほど熱力学的には安定であることもわかりました。100xFAUと呼ばれる氷は空気よりも密度が低く、わずか–6気圧で氷Iよりも安定になるはずです。
おわりに
実験で作られた氷XVI(16)やXVII(17)に比べてもエアロアイスは安定で、低密度な氷の安定構造は非常に多様であることがわかりました。負圧側の相図を作るのは、理論計算でもかなり大変な作業になりそうです。それぞれの結晶構造を実際に作る指針はまだ不明ですが、今後も新たな密度の低い氷が続々と発見されると思われます。結晶の空洞部分を他の分子で支えることで、これらの構造を作ることもできるかもしれません。生体分子内にとりこまれた水が、特殊な構造を作ることで、さまざまな機能を生みだす例が知られています。水のつくる構造の多様さを知ることで、生体分子の機能をより深く理解できるようになると考えられます。
参考文献
T. Matsui, M. Hirata, T. Yagasaki, M. Matsumoto, and H. Tanaka, Hypothetical ultralow-density ice polymorphs, The Journal of Chemical Physics, Volume 147 issue 9, page 091101 (2017). (Cover Article, Featured Article) http://dx.doi.org/10.1063/1.4994757
この記事を書いた人
- 1992年京都大学大学院工学研究科修了。1996年 総合研究大学院大学(分子科学研究所) 博士(理学)。現在 岡山大学異分野基礎科学研究所准教授。専門は理論化学。兵庫県西宮市出身。水分子が集団になって創りだす構造や機能に興味をもっています。趣味と本業の境い目はあいまいで、各種ソフトウェア開発、CG制作、3Dプリンタによる模型製作、写真技術(スリット写真、パノラマ)の開発にも携わっています。