X線回折データを用いて分子軌道を直接観測! – 40年以上ものミステリー“構造変化なき転移”に挑む
昨今、機能性物質における分子性結晶の躍進は目覚ましく、有機ELディスプレイなど多くの分子性物質による実用的な製品開発が行われています。分子設計によって無限の材料開発が可能であることから、これからの「ものづくり」を支える一大分野です。X線回折は結晶中の電子による散乱現象を用いるため、電子の数から原子を決定し、その配置を決定することが可能であることから、材料開発には欠かせません。一方で、これらの分子性結晶の機能は、分子軌道と呼ばれる空間的な電子の分布によって説明されることが化学の世界では常識となっていますが、今までは量子化学計算という方法で推定するしかありませんでした。
今回私たちは、大型放射光施設SPring-8で得られる高強度かつ、高品質なX線回折データを用いることで、原子配置だけでなく、その原子の持つ電子の空間分布の可視化から分子軌道の直接観測に成功しました。
研究の背景
原子により構成される分子は数百万種類以上存在するだけでなく、毎年万の単位で新しく合成され続けています。この分子の集合体である分子性結晶は、それらの組み合わせで構成されるため、実際上無限の物質群を設計することが可能です。分子性物質の場合には、分子間の相互作用によってその機能が記述されるために、物質設計に対する指針を示すうえでも、その相互作用の理解が非常に重要です。
この分子間の相互作用の担い手が分子軌道です。現在では、計算科学の発展により、分子設計には量子化学計算が大きな役割を担っています。しかし、単一の分子ではなく多くの分子が集まった結晶中の電子状態を含めた精密な情報を計算で得ることはいまだ困難です。さらに、実際の結晶中の分子軌道の情報を実験的に明らかにすることは、記述するための独立なパラメータが膨大になるために困難でした。
分子を構成するためには、原子同士が結合を作りますが、内殻の電子はこの結合にはほとんど寄与しません。一方、結合を形成する電子軌道の集まりは分子軌道と呼ばれますが、結合を形成する電子は電気的な機能にはあまり寄与できません。分子軌道の一部の電子だけがその分子の性質に大きく寄与します。通常のX線回折では原子の位置の情報程度しか得ることができませんが、我々の開発したコア差フーリエ合成(CDFS; Core Differential Fourier Synthesis)による電子密度解析は、分子の性質を色濃く反映する分子軌道だけを抽出することを可能としました。
擬1次元性分子性結晶 (TMTTF)2PF6
このような新しい実験手法と解析方法を提案するためには、多角的に調べられた標準的な物質の電子状態が説明可能か否かという検証が不可欠です。そこで、本研究では典型的な擬1次元性分子性結晶として知られる(TMTTF)2PF6を選びこの手法に関する検証を行いました。
この系の最初の報告は1978年で、PF6は-1価の閉殻のアニオン(陰イオン)分子、TMTTFは+0.5価の開殻のドナー分子であり、TMTTF分子は二量化することで+1価の電荷をもつダイマー(二量体)を形成して1次元的に積層した結晶構造を形成しています。分子性結晶としては単純な結晶構造にもかかわらず、温度-圧力相図上では多彩な電子物性(金属的伝導相、ダイマー・モット絶縁体、電荷秩序相、スピン・パイエルス相、反強磁性相、超伝導相)を示します。
特に、電荷秩序相では誘電率測定などから二量体内のTMTTF分子間で電荷の偏りが示唆されていましたが、中性子回折などさまざまな実験がためされたにも関わらず、実空間におけるその直接証拠を捉えることができなかったため、“構造変化なき転移 (structure-less transition) ”とも呼ばれて、40年以上もミステリーとされていました。つまり、極めて多角的にこの物質の性質が調べられていたにもかかわらず、分子軌道の観点からはその謎が誰にも解けなかったわけです。
分子軌道分布の直接観測に成功
我々は、この系の良質な結晶を用いてさまざまな測定を試みたデータを収集し、さらにこのデータについて現在提案されているさまざまな電子密度解析の方法を適用してみました。たとえば、SPring-8で得られた高分解能のデータの逆フーリエ変換を試みると、数学的にフーリエ変換の打ち切りと呼ばれる影響のために原子の持つ電子雲をまともに捉えることができません。
そこで、原子の持つ結合に寄与しない電子(内殻電子)の情報とフロンティア軌道と呼ばれる分子軌道を形成する電子情報を分離する解析手法を用いました。この結果、分子を構成する原子の位置などの精密な情報とフロンティア軌道を形成する電子密度の情報を別々に得ることができました。この結果、TMTTF二量体内で電子相関による電荷秩序が平均して電荷移動量 という極めてわずかな分量で生じていることを突き止めました。この電荷移動量が微小だったために、さまざまな実験でその変化をとらえきれなかったわけです。
さらに、その電荷密度の結晶内の分布は、正孔-rich(黄色)と正孔-poor(緑色)なTMTTF分子が互いに最も避けあう2次元的なウィグナー結晶状態(電子結晶)を形成していることが電子密度レベルで初めて明らかとなりました。この結果は、40年間に渡って多くの他の論文によって報告されてきた内容と何ら矛盾がないことが示されて、アメリカ物理学会の刊行するトップジャーナル(PRL)に掲載されました。この手法が十分信頼できるということが示されました。
最後に
私たちが提案するCDFS法による電子密度解析はSPring-8の放射光による高分解能回折データがあれば、特殊な測定技術や解析は必要とせず、さらに無機系化合物にも適用可能です。CDFS法を用いることで今後より幅広い物質・材料の詳細な電子状態を議論することができ、機能性材料へ開発への情報提供が可能となります。
参考文献
Shunsuke Kitou, Tatsuya Fujii, Tadashi Kawamoto, Naoyuki Katayama, Sachiko Maki, Eiji Nishibori, Kunihisa Sugimoto, Masaki Takata, Toshikazu Nakamura, and Hiroshi Sawa
“Successive Dimensional Transition in (TMTTF)2PF6 Revealed by Synchrotron X-ray Diffraction” Phys. Rev. Lett. 119, 065701 (2017).
この記事を書いた人
- 名古屋大学大学院 工学研究科 応用物理学専攻 博士後期課程1年。構造物性工学研究グループ(澤 研究室)に在籍し、放射光X線を用いた構造物性研究を専門に行っています。物質の構造からその性質にアプローチをしており、精密電子密度解析による電子状態の直接観測や、温度降下や圧力印加によって生じる特異な物性の発現機構の解明を行っています。