地震や性被害、虐待などにより心に深い傷を負うと、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症することがあります。PTSDの患者さんは、発症のきっかけとなったトラウマ記憶が、生活のあらゆる場面で突然蘇ったり(フラッシュバック)、悪夢に悩まされたりなどにより、当たり前の日常生活を送ることが非常に困難になります(精神障害/疾患の診断・統計マニュアル:DSM)。そこで、PTSDに苦しむ方々、あるいはトラウマ体験直後のPTSDの発症が危惧される方々に対して、最適な治療法と予防法を見出すことが求められています。

現在医療現場で実践されているPTSDの治療方法としては、米国ペンシルヴァニア医科大学のエドナ・フォア教授が開発した持続エクスポージャー療法(prolonged exposure therapy、以下PE)などの認知行動療法が効果的です。しかし、PEは辛い記憶を繰り返し思い出さなければならないなどの精神的な負担が大きく、また治療期間が長期間に渡る場合があります。今回、私たちの研究グループは、マウスを用いた行動学実験により、PTSDの主要症状のひとつであるトラウマ記憶の汎化を予防することや、苦痛を伴わずに治療をアシストする方法の開発に貢献しうる知見を得ました。

PTSDにおける記憶の「汎化」

PTSDの患者は、通常ではトラウマ記憶とは直接的な関係性の乏しいと考えられる事柄がトラウマ記憶と結びつくことで、日常生活中で経験するさまざまな刺激がトラウマ記憶を再体験するきっかけとなる場合があり、これを「汎化」と言います。たとえば、地下鉄内で酷い暴行を受けたことがきっかけでPTSDを発症した患者さんで、その後、駅に近づくだけでさえも、その記憶が眼前にまざまざと蘇ってしまうため、行動範囲を大きく制限されるような場合があります。

PTSDの動物モデル

PTSDの記憶メカニズムを研究するために、マウスのコンテクスト条件付け恐怖記憶課題が用いられることがあります。この課題では、ある特定の箱(条件)に入れたマウスの足に軽い電気ショックを与えます。この条件付け学習以降、マウスは同じ箱に入れられると電気ショックを受けるかもしれないという恐怖を感じ、すくみ反応(フリージング)を示すようになります。原理としてはノーベル賞を受賞したロシアの科学者であるイワン・ペトローヴィチ・パブロフが犬を用いて開発した古典的条件付け課題と同じものです。パブロフが、犬に餌と結びつけた音を聞かせたとき、犬の唾液の量を計測したのと同様に、私たちの実験ではマウスを特定の環境においた際のフリージングの持続時間を、恐怖記憶の強さの指標としました。

トラウマ直後の環境条件と汎化

私たちは、トラウマ直後の環境条件がその後の恐怖記憶にどのような影響を与えるのかを調べました。まず、「箱A」の中でマウスは電気ショックを与えられます(学習)。その後、箱Aとは似ていて細部の異なる「箱B」にマウスを入れました。そして翌日、マウスを再び箱AとBに入れ、どのくらいフリージングをするかを調べました。マウスが記憶を区別できていれば、箱Bでは電気ショックを受けていないのでフリージングはしないと考えられます。実際、学習の24時間後に箱Bに入れても通常はフリージングしません。ところが、学習から6時間以内に5分間箱Bに入れると、翌日再び箱Bに入れたときに箱Aに入れたときとほぼ同じ時間のフリージングを示すことがわかりました。これとは対照的に、箱Aとはまったく異なる箱Cを用意し、箱AとCで同様の実験をすると、マウスは翌日に箱Cに入れてもフリージングを起こしませんでした。

今回の実験から、まず学習直後には汎化が起こりやすい時間帯があることがわかりました。また汎化が起こる条件として、学習時の状況とどの程度似ているかが汎化を生じる条件となることがわかりました。さらに別の実験から、汎化が起こるにはその箱を学習時に知っていることが重要であることも明らかになりました。

睡眠とPTSDケア

睡眠が記憶の処理に関わっているという多くの研究が世界中でなされています。そこで今回、睡眠中にトラウマ記憶を弱めることができるかを検討しました。よく研究で睡眠中に用いられる刺激としては匂いや音があります。今回はレム睡眠とノンレム睡眠の2種類のタイミングを分けて刺激をすることが容易である音刺激を用いるために、痕跡条件付け音恐怖記憶学習課題を用いました。この課題では箱に入れたマウスに特定の音を聞かせ、しばらく時間を置いた後(痕跡期間)、足に軽い電気ショックを与えます。この学習以降、マウスはこの特定の音を聞くとフリージングを示すようになります。実験では、学習後、マウスが寝ているあいだに、この音を目が覚めない程度の音量で聞かせました。すると、ノンレム睡眠中に音を聞かせたマウスは、翌日に音を聞かせると、レム睡眠中に同じ音量の音を聞かせたり、同じ音量の別の音を聞かせたマウスよりも短時間のフリージングを示しました。またいずれの条件でも睡眠に大きな変化は認められませんでした。

治療への応用は可能か

記憶の汎化における研究成果では、「トラウマを体験した直後に、それを受けたときと似た状況に遭遇するとその状況に対しての汎化が生じやすい」という、トラウマ直後の環境条件の重要性が示唆されました。PTSDの発症の予防には、トラウマ体験後の1か月以内にみられるPTSD様症状を固定化・慢性化させないことが大切だと考えられています。しかし、トラウマ体験直後の介入によってPTSDを予防できる可能性があるとした報告はありませんでした。

実験結果を踏まえると、たとえば、地震などの災害直後に、PTSD様の症状がみられる被災者については、被災を想起させにくく親和性の少ない避難所で過ごすこと、また性暴力被害者は、入院するなど普段はない保護的環境で過ごすことが、なじみのある場所にいるよりもトラウマ体験の汎化を予防できる可能性があります。このように、PTSDの予防あるいは早期介入法として、トラウマ体験直後は日常と異なる保護的環境で過ごすことで汎化を防ぐことができる可能性が示されました。

睡眠中の介入による研究結果は、PEなどの従来の認知行動療法を補助する手段として、意識のない睡眠中に精神的苦痛を与えずに治療効果を上げられる可能性を示しています。研究グループは、今回で明らかになった条件において、どのような脳内メカニズムがトラウマ記憶の汎化や減弱に繋がるかを引き続き調査しています。

 

参考文献
Mol Brain. 2016 Jan 8;9:2. doi: 10.1186/s13041-015-0184-0. Effect of context exposure after fear learning on memory generalization in mice. Fujinaka A, Li R, Hayashi M, Kumar D, Changarathil G, Naito K, Miki K, Nishiyama T, Lazarus M, Sakurai T, Kee N, Nakajima S, Wang SH, Sakaguchi M.

Sci Rep. 2017 Apr 12;7:46247. doi: 10.1038/srep46247. Auditory conditioned stimulus presentation during NREM sleep impairs fear memory in mice. Purple RJ, Sakurai T, Sakaguchi M.

この記事を書いた人

小柳伊代, 李若詩, 藤中彩乃, 坂口昌徳
小柳 伊代
筑波大学医学専門学群医療科学類4年
李 若詩
筑波大学医学専門学群医学類4年
藤中 彩乃
筑波大学医学専門学群医学類6年
坂口 昌徳
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構 准教授

研究室HP
http://sakurai-sakaguchi.wpi-iiis.tsukuba.ac.jp/

連絡先
masanori.sakaguchi[AT]gmail.com ([AT]を@に置き換えてください)