ボルネオ熱帯雨林の塩場(しおば)に集う動物たち
生物多様性の宝庫「熱帯雨林」
熱帯雨林——。野生動物が好きな人なら、反射的に耳を傾ける言葉でしょう。そこは地球の陸地面積の7%程の場所に過ぎませんが、生きものの50%が生息するといわれるほど、多様性が高い森です。
熱帯雨林にはさまざまな動物が生息しています。しかし、森の中には動物が多い場所、少ない場所があり、その分布は一様ではありません。動物は一体どんな場所をよく利用するのでしょうか。大きく影響するのが食べ物です。たとえば、イチジクやドリアンなどの果実がなった木、倒木によって日光が林床まで差し込み、先駆植物(成長にエネルギーを投資するため毒成分が少ない)が繁茂する林冠ギャップなどがあるでしょう。しかし、果実はいずれ無くなり、先駆植物もあっという間に成長するため、そのような環境は一時的です。それでは恒常的に動物の利用が多い場所はあるでしょうか。そのひとつがタイトルにある「塩場(しおば)」という環境です。
塩場と野生動物
ナトリウム(塩)は、動物にとっては細胞内外の浸透圧維持や神経伝達、筋収縮などに必要不可欠ですが、植物にとっては必須栄養素ではないため植物体にはあまり含まれていません。そのため、植食性の動物はナトリウムを食物以外から積極的に摂取する必要があり、塩場はナトリウムをはじめとするミネラル類摂取の場所として重要な環境のひとつです。私は、1997年からボルネオ島北部マレーシア・サバ州の熱帯
まず村人から塩場と思われる動物が集まる場所を聞き取り、その場所の水のミネラル濃度をコントロールと比べて、塩場であることを確認しました。次いで特定した塩場に「センサーカメラ」を設置しました。センサーカメラとは赤外線センサーによって動物を感知すると自動でシャッターを切る優れもので、目視観察に比べて動物に与える影響が少なく、24時間連続記録が可能です。調査の結果、4か所の塩場から調査地で確認されている中大型哺乳類の70%に相当する28種を記録しました。そして、大型のシカ・サンバーとヒゲイノシシに大きく偏りながらも、オランウータンや野生ウシ・バンテン、アジアゾウなどの大型絶滅危惧種が上位に入り、多くの哺乳類にとって塩場が重要な環境であることがわかりました。想定外だったのは、樹上性のオランウータンが、塩場をよく利用することでした。
塩場でオランウータンは何をしていたのか?
オランウータンの母子や若い個体の塩場滞在時間は15分以内であるのに対し、体の大きな優位オスは1時間以上も滞在することがあり不思議に思っていました。その後、塩場での交尾写真が撮影され、長い滞在はメスを待っている可能性が出てきました。単独性のオランウータンにとって雌雄の出会いは容易ではありませんが、塩場ならその可能性が高まります。そのため塩場は、ミネラル類摂取の場という生理的な意義に加え、メスとの出会いの場という社会的な意義も有することが示唆されたのです。さらに、ある塩場を18個体が利用していることもわかり、その重要性が再確認されました。
塩場の重点保護区化
このような結果を受けて、サバ州森林局は、塩場周辺は伐採せず重点保護区にすることを森林管理に採用するようになりました。塩場を保全することで、野生動物の生息地保全を効率的に進めることができると考えられ、他の地域でも同様の対策が求められます。そのためには、各地域においても塩場が多くの動物に利用されていることを示すことが必要です。しかし、種によって利用する塩場に大きな偏りがあり、センサーカメラでそれを把握するには長期間の調査が必要です。またセンサーカメラは撮影範囲の制限や解像度、高温多湿による故障、コストなどの問題もありました。そこで短期間で塩場利用種を把握する手段として、塩場の環境DNAを調べることで利用種を効率良く把握できるのではないかと考えました。
環境DNAを用いた塩場利用種の把握
近年、魚類を含む水生生物の粘液や糞などの排泄物から放出されるDNAが水中を漂っていることが明らかになり、それらは「環境DNA」と呼ばれています。DNAの塩基配列には生物種を特定できる情報が含まれており、それを次世代シーケンサーで決定すれば、海や川に生息する生物種が短時間で特定できます。この技術は「環境DNAメタバーコーディング」と呼ばれ、環境中に存在する複数の生物由来DNAを同時に検出する方法です。魚類では千葉県立中央博物館の宮正樹部長らの研究グループが開発し「バケツ1杯の水から魚種を特定」と大きな話題を呼んでいます。さらに、宮部長らは本技術を陸生哺乳類に適用しました。すなわち、陸生哺乳類が水を飲む際、水場に口腔細胞を含んだ唾液などが放出されるため、そこから利用種が特定できるというものです。そこで本技術を塩場利用種の検出に応用しようと試みました。
まず複数の塩場から各々コップ1杯ほど(100〜150ml)採水、フィルターろ過しました。次いでフィルターからDNAを抽出し、目的領域を増幅、次世代シーケンサーで解読後、得られたDNA配列が何に由来するのかをコンピュータで解析しました。その結果、オランウータンやバンテン、アジアゾウ、センザンコウを含む6種の絶滅危惧種の検出に成功したのです。また検出種は、これまでのセンサーカメラの結果と同様、各種のおおよその利用特性を反映していました。これらの結果から、高温多湿でDNAが分解されやすい熱帯雨林においても本技術が利用できることがわかりました。現段階では検出可能種はDNA情報が豊富な注目度の高い絶滅危惧種に偏ってしまいますが、遠隔地や早急に調査を行う必要がある地域において、短期間で絶滅危惧種の生息状況を把握することができるので、塩場保全を進めるうえで、非常に有力なツールになることが期待されます。
野生動物とその生息環境を理解し、今ある熱帯雨林を残したい
生物多様性の宝庫である熱帯雨林は、大規模な開発によって急激に消失しつつあります。多くの人は、私たちの日常とは関係ない話だと思うかもしれません。しかし、熱帯雨林から切り出された木材は合板やパルプなどに加工されて日本に入ってきます。また、我々が毎日口にしているパーム油は、世界消費量トップの植物油脂であり、日本では植物油消費量の24%を占めています。そんなパーム油主要生産国として、インドネシアとマレーシアの2国が世界シェアの85%を占めています。
熱帯雨林の「保護林」の割合は低く、大部分は木材の商業利用ができる「商業林」です。私の調査地があるボルネオ島北部のマレーシア・サバ州の場合、森林面積の71%が商業林です。野生動物を考慮した熱帯商業林管理ができるか否かが、野生動物の将来を左右すると言えるでしょう。その意味でも、塩場の理解と保全が解決策のひとつであると考えています。
参考文献
Ishige T, Miya M, Ushio M, Sado T, Ushioda M, Maebashi K, Yonechi R, Lagan P, Matsubayashi H. Tropical-forest mammals as detected by environmental DNA at natural saltlicks in Borneo. Biological Conservation. vol.210. PartA. 281–285. (2017).
この記事を書いた人
- 東京農業大学農学部教授(野生動物学研究室)。熱帯アジアの人と自然に関わって20年。ボルネオ島マレーシア・サバ州を中心に野生哺乳類の生態や生息地保全に関する研究を行っている。子供の頃愛読した動物雑誌『アニマ』(平凡社)の影響を受け、熱帯雨林での野生動物研究に憧れを抱く。学部、修士では分子生物学の道へ踏み入るも、沿岸小型捕鯨生物調査での経験がきっかけで熱帯雨林への思いが再燃。博士課程1年の1997年、はじめてマレーシアの熱帯雨林へ。それ以来、博士(5年)やポスドク(8年)、マレーシア・サバ大学の教員(3年)、そして東京農業大学の教員として、熱帯雨林で野生哺乳類の生態や生息地保全に関する研究を実施・継続中。著書に『消えゆく熱帯雨林の野生動物』(化学同人)や『熱帯アジア動物記』(東海大学出版部)、『Natural Salt-Licks and Mammals in Deramakot』(Sabah Forestry Department)などがある。
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