導電性プラスチックでインフルエンザウイルスを計る – 将来、マスクをつけるだけで診断可能に!?
インフルエンザの診断
インフルエンザは、古くから人々にとって最も身近に存在するウイルス感染症のひとつでした。世界中で、毎年300万〜500万人が感染し、25万〜50万人が死亡するといわれています。家畜なども含めて、季節性インフルエンザの流行による経済的損失も甚大です。人々の安全・安心を確保する社会を実現するために、効果的なインフルエンザ対策が求められています。
体内でのウイルスの増殖を防ぐには、早期にウイルスを発見して薬を処方するのが有効です。そのためには、微量のウイルスを迅速・簡便に検出する技術が必要です。しかし、病院やクリニックに行かなければ診断が受けられないというインフラの問題があります。また、近年、強毒性のトリインフルエンザなど、新型インフルエンザの流行が危惧されており、インフルエンザウイルスの型を高精度かつ素早く判別する必要があります。これらの課題に対して、従来の検査法は感度・時間・費用の観点から問題があり、インフルエンザの感染拡大を十分に防止することは困難です。そこで、我々は、高感度・高精度・いつでも・どこでも診断が可能な小型・持ち運び可能なインフルエンザウイルス検出器の開発に取り組んでいます。
インフルエンザウイルスの細胞侵入機構をヒントに
高感度・高精度なインフルエンザウイルス検出を実現するために、我々はウイルスの宿主細胞への感染メカニズムに着目しました。インフルエンザウイルスは直径およそ100ナノメートルの非常に小さい球状物質です。中身はウイルスの遺伝情報が納められており、表面には「ヘマグルチニン(H)」と「ノイラミダーゼ(N)」と呼ばれる2種類のタンパク質が殻に刺さったような状態で存在します。ヒトインフルエンザウイルスには、主にA型とB型があり、A型はさらに「H1N1」のように、ヘマグルチニンとノイラミダーゼの型で細分化されます。ヒトインフルエンザウイルスに存在するのは H1、H2、H3の3種類です。
ウイルスは、単独では自己複製能力がなく、宿主となる動物の細胞に感染して増殖します。飛沫感染などによって体内に侵入したインフルエンザウイルスは、ヘマグルチニンによって細胞表面に存在する特定の糖鎖配列と結合し、やがて細胞内に取り込まれます。ヘマグルチニンと糖鎖の結合は、ちょうど「鍵」と「鍵穴」のような関係で、特異的であると言えます。通常、トリインフルエンザウイルスが人に感染しないのは、動物種によって細胞表面の糖鎖配列が異なり、鍵と鍵穴が合わないためです。ウイルスは感染した細胞内で増殖を続け、その後、ノイラミダーゼの働きにより、細胞との結合を断ち切って細胞外に放出されます。これを繰り返すことでウイルスは体内で増殖します。一般的な抗インフルエンザ薬はノイラミダーゼの働きを阻害することでウイルスを細胞内に封じ込めます。
インフルエンザウイルスにのみ結合する導電性プラスチックの開発
我々は、ヘマグルチニンによる糖鎖認識システムをうまく利用し、目的のインフルエンザウイルスだけを認識する材料を開発しようと考えました。糖鎖は比較的安定であり、工業的にも合成できます。また、ウイルスが結合したというイベントを、何らかの信号として検知する必要があります。そこで、電流・電圧・抵抗の変化をとらえる電気的な計測法に着目しました。半導体チップや電子デバイスに代表されるように、電気系は装置の小型化に適しています。
さらに、塗布や成型加工が容易で、さまざまな材料と組み合わせられる導電性プラスチックと呼ばれる機能性材料に着目しました。導電性プラスチックは、分子が数珠のように繋がった高分子(ポリマー)に電気が流れるというもので、1970年代に白川英樹博士(2000年ノーベル化学賞受賞)らによって発見された材料です。我々は、有機太陽電池や静電気防止フィルムなどに用いられている「PEDOT」と呼ばれる導電性プラスチックを用いて、目的の型のインフルエンザウイルスだけを認識する糖鎖配列を組み込んだ新しい分子を開発しました。そして、ヒトインフルエンザウイルスを電圧変化として、従来法の100倍の感度で検出することに成功しました。
マスクをつけるだけでインフルエンザ診断!?
糖鎖を組み込んだ導電性高分子はこれまでにない新しい材料です。インフルエンザウイルスの感染機構に倣った分子認識は汎用性が高く、糖鎖の種類を変えれば異なるウイルスの検出にも対応できます。将来的に、開発された導電性プラスチックを用いて、さまざまな材料と複合化し、いつでもどこでも診断を可能にする小型・低コスト・省エネ電気的センサーの開発が期待されます。
特にマスクと一体になったウエアラブルセンサーが開発できれば、早期診断が実現し、抗インフルエンザ薬の処方が効果的となり、感染の拡大防止に繋がります。尿検査薬や妊娠検査薬のように患者が自宅で検査できれば、他人との接触頻度が減り二次感染も防げると考えられます。病院やクリニックといったインフラ施設が不要となれば、過疎地域、或いはアジア・アフリカ等の新興国での検査という新しいニーズを発掘することが期待できます。将来的には、GPSの位置情報と融合させたビックデータとして、国内でインフルエンザがどのように流行しているかリアルタイムに表示し、疫学的な知見を得ることも可能になると予想されます。
参考文献
Biosens. Bioelectron., 2017, 92, 234-240.
ACS Appl. Mater. Interfaces, 2017, 9, 14162-14170.
この記事を書いた人
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東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 助教。博士(工学)。香川県出身。専門はバイオセンシング、バイオ界面科学。京都大学工学部物理工学科を卒業後、東京大学大学院工学系研究科マテリアル工学専攻で修士課程と博士課程を修了。東京大学、物質・材料研究機構での博士研究員を経て、2011年より現職に至る。大学院時代に、生物のもつ優れた分子や機能を生かすバイオミメティックス工学の面白さを経験し、その後、バイオセンシングに応用する研究を開始。がん、感染症対策としての早期診断法の研究開発に取り組みつつ、有機バイオエレクトロニクスと呼ばれる新たな研究分野にも従事。
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