選挙における投票は、18歳以上の日本国民すべてに付与される権利です。投票結果は自らの生活に直接反映されますから、とても重要度の高い意思決定場面です。意思決定に際する情報収集の際、他者、つまり候補者自身や他の有権者との関わりは大きな意味を持ちます。具体的には、候補者の選挙運動に接触したり、家族や近所の住民と話をしたりすることがそれにあたります。こうした問題意識をもった社会心理学研究はこれまでにもいくつか行われているのですが、ほとんどが国政選挙を対象としていて、より市民生活に密着しているはずの地方選挙に関する研究はほとんどありませんでした。そこで本研究では、有権者が投票に至るまでの過程でどのような他者にどのような形でどの程度接触したかを測定し、それらが投票への意思決定過程に及ぼした影響を検討しました。

候補者に密着!

この研究では、ある地方都市の市長選立候補者の了解を得て、研究者が選挙運動に「密着」して、スマートフォンのGPSアプリで選挙期間中の移動・位置情報を捕捉し、どのような選挙運動を行ったか(選挙カーでの連呼、街頭演説、練り歩きなど)を逐一記録しました。

GPSで捕捉した候補者の空間位置情報

具体的には、2015年1月に実施された兵庫県赤穂市の市長選挙に立候補した矢野英樹さんです。第3著者の関西学院大学文学研究科・中村早希さんが、随行者として参与観察を行い、スマートフォンのGPSアプリで候補者の現在地を10秒間隔で記録し、また、ある選挙運動(たとえば、選挙カーでの候補者名連呼、街頭演説、練り歩きなど)の開始時刻と終了時間を分単位で記録して、GPSデータと対応づけました。

有権者の声を集める

候補者の運動は有権者にどう響いたのでしょうか。これを知るために、選挙人名簿からのランダムサンプリングによるアンケート調査を投票日直後に実施して、政治行動や政治的態度、政治に対する意識などの市民の心理に関するデータを収集しました。具体的には、赤穂市の選挙人名簿から2段無作為抽出法で抽出した20歳~75歳の2000名に調査票を送付し、908名から回答を得ました。質問項目は、投票の有無と投票した場合は投票した候補者、各候補者への好感度、さまざまな選挙運動への接触の有無、候補者との関係、地域に対する考え方、政治に関する考え方、個人属性(居住年数、自治会など組織参加の程度)などです。下図は、回答者の居住地に応じて候補者3名のうち誰に投票したかの回答をプロットしたものです。

投票行動に関する社会調査結果

候補者の選挙運動と有権者の声を結びつけて分析する

こうして収集した2つのデータを結びつけるために、社会調査の回答者の住所を手がかりにしました。まず、候補者の選挙運動の移動経路データと回答者の住所との距離を算出して、「回答者と候補者の選挙運動との近接性」の指標を作成しました。次に、回答者の居住地間の距離を算出して、ある回答者の回答と「ご近所さん」の回答を紐づけることができるようにしました。

分析の結果、次のようなことがわかりました。まず、候補者への好感度には、社会調査で回答を求めた選挙運動への接触数は正の効果(接触が多いほど好感度が高い)をもちましたが、候補者の選挙運動の移動経路データに基づいて算出した近接性は好感度と関連しませんでした。一方で、投票行動には、選挙運動への接触数と候補者との近接性の高さの両方が関連し、その候補者への投票に向かわせていることが示されました。選挙運動の実施者たちは、選挙カーによる候補者名の連呼が、有権者の候補者に対する好意を増すといういわゆる単純接触効果を経て、集票効果を持つことを期待していますが、少なくとも本研究のデータにおいては、選挙運動が投票に影響するメカニズムは、「有権者に候補者を近しく接触させさえすれば好意を増すことができ、その結果として投票に向かわせる」といったものであるとは言えないことがわかりました。また、「ご近所さん」の回答と紐づけた分析の結果からは、ある回答者の候補者への好感度は、回答者自身の選挙運動への接触の程度のみならず、「ご近所さん」によるそれも一定の影響を与えていたことが示されました。

選挙運動が有権者の心理に及ぼす効果

本研究によって、地方選挙における一般有権者の政治行動には、選挙運動との接触や対人コミュニケーションが重要な意味をもつことが示されました。空間位置情報データを用いてこうした知見を実証的に示した研究は、おそらく日本で他に例がありません。空間位置情報データを用いた研究は社会心理学ではまだごく少ないですが、政治行動に限らず、人間の心理や行動に日々暮らしている環境が一定の影響をもつことは明らかです。スマートフォンを用いてごく簡便な方法で収集できることからも、今後の研究の発展が期待できます。

参考文献
三浦麻子・稲増一憲・中村早希・福沢愛 (2017). 地方選挙における有権者の政治行動に関連する近接性の効果:空間統計を活用した兵庫県赤穂市長選挙の事例研究. 社会心理学研究, 32(3). 174-186

この記事を書いた人

三浦麻子
三浦麻子
1995年大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程中退。1996年大阪大学助手。2004年神戸学院大学助教授を経て、現在、関西学院大学文学部総合心理科学科教授・社会心理学研究センター長。コミュニケーションが新しい「何か」を生み出すメカニズムを解明することに関心を持ち、アウトプットとしての意思決定や創造性、ないしはそのプロセスにおける感情表出や対人ネットワークなどのあり方などを研究している。情報学や工学、政治学や経営学など異分野とのコラボレーションにも積極的にかかわっている。博士(人間科学)。