「アライン」化学種を経る有機合成化学

有機合成化学を専門とする研究者は、パズルゲームのようなルールのもと、望む分子、これまでは入手できなかった分子を合成するための新手法を、日夜、探索しています。東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 生命有機化学分野 細谷研究室においても、医歯薬学系のライフサイエンス研究に役立つ化合物群を、思いもよらぬ手法で合成できるような有機化学の研究に明け暮れています。とくに、ベンゼン環の一部が三重結合になった「アライン」が、安定なベンゼン類とは異なり、きわめて高い反応性を示す短寿命化学種であることに注目し、その反応性を制御し、利用する手法開発に取り組んできました。本稿では、アラインの魅力にとりつかれた一人である博士課程学生の内田さんが、新しい変換反応を見つけた瞬間について紹介します。

新しい変換を発見する瞬間

私たちは以前に、三重結合に隣接する位置である3位にトリフリルオキシ(OTf = OSO2CF3)基を有するアラインの発生・変換に成功しました。この生成物中のOTf基はパラジウム触媒などを用いるクロスカップリングに利用できることに加え、その電子求引性のために発生したアラインが興味深い反応性を示すことも報告しました。こういった背景のもと、当初私たちは、アルコール2を用いる変換反応について検討していました。

このとき、類似の化合物の合成法を参考に、ケトン1とフェニルリチウムとの反応を行い、アルコール2の合成を試みました。そうしますと、なぜか、目的とするアルコール2を得ることはできず、複雑な混合物となってしましました。アルコール2自体は、用いる有機金属反応剤をフェニルGrignard反応剤とすることで合成できたのですが、ここでふと足を止め、「なぜ、フェニルリチウムを用いた場合にはアルコール2が得られなかったのか」を内田さんが考えたことが、今回の発見のきっかけでした。

矢印を使った有機化学における変換の考え方を駆使し、ああでもない、こうでもない、と思案しているうちに、内田さんが思いついたのは、「炭素-炭素結合の切断を伴って、アラインが生じ、これが複雑な混合物を与えた原因ではないか」というアイディアです。もちろん、炭素-炭素結合は一般的には強い結合ですし、類似のアルコールの合成例も知られていることもあり、はじめは半信半疑。ただ、今回はOTf基を有していることもあり、既報の例からだけでは推し量れないと考えて、内田さんは、アラインを捕捉できるフラン存在下でのケトンとフェニルリチウムとの反応を計画し、早速その実験を実行、とフットワーク軽く動きました。

反応の途中経過を、早速、薄層クロマトグラフィー(TLC)で調べてみると、新しいスポットがキレイに現れ、α-アリールケトン3が生成していることがわかりました。予想が見事に当たったわけです。実験を仕込んで間もない内田さんが、興奮して報告しに駆け込んできてくれたときの様子を鮮明に覚えています。こういった発見の瞬間が、私たちを研究に病みつきにさせるわけです。その後、詳細に反応条件や基質適用範囲を検討し、多彩なα-アリールケトン類を高収率で合成できるようになりました。

巧みの技でその機構を明らかに

次の課題は、今回見つけた反応の詳細な反応機構です。とくに、一般的には、生成したα-アリールケトン類の反応性は高く、アルキルリチウム類と容易に反応してしまうことから、「なぜ高収率でα-アリールケトン類を得ることができたのか?」が興味深い点です。この問いに対する答えを、内田さんの巧みな実験操作によって得られた結果が教えてくれました。すなわち、ケトン1とフランの混合物に–78℃でフェニルリチウムを注意深く加え、1分間攪拌後、あらかじめ–78℃に冷やしておいた含水THFを加える、という実験操作で反応開始直後に反応を停止してみました。

このとき、反応停止時の水で系内の温度が上がらないように工夫する必要がありました。そうすると、ケトン1へのフェニルリチウムの付加反応はこの時点でほとんど完結しており、主にアルコール2が得られてきました。しかも、ごくわずかな量(1%)のアラインとフランとの環化付加体3に加え、炭素-炭素結合が切れてからプロトン化された生成物4が得られたのです。

さらに、同様の実験を、10分間、1時間と反応時間を変更し、その結果を並べてみました。そうすると、この炭素-炭素結合が切れてからプロトン化された生成物4の量が時間経過に従って増えていくこともわかりました。こういった反応機構に関する実験結果から、今回見つけた変換が、低温において速やかにケトン1に有機リチウム反応剤が付加した後、昇温するなか、炭素-炭素結合の切断によるカルボアニオンの生成、引き続く、OTf基の脱離によるアラインの発生、フランとの環化付加反応、という機構で進行することを明らかにできました。この明らかにできた機構をもとに、シリルアセタールにフッ化物イオンを作用させることでも、類似のアラインが発生することも突き止め、α-アリール酢酸エステル類の簡便合成法の開発にも成功しました。

さらに、もう一波乱

このように、うまくいかなかった反応からヒントを得て、新しい変換反応を見つけることができました。さらに、丁寧な実験により、その機構解明にも至り、新しい変換の開発へと研究を展開するにも成功しました。

このような一連の実験に、内田さんが1年以上かけて取り組み、得られてきた成果を論文にまとめるなか、2017年のはじめにもう一波乱ありました。お正月に論文チェックをしていた、この4月から博士課程に進む中村さんから、「内田さんの系と同じような変換が報告されてます!!」という一報が入ったのです。アメリカ化学会誌(J.Am.Chem.Soc.)のJust Acceptedという新着の校正前原稿に、内田さんが見つけた変換と類似の変換が報告されている、と言うのです。急いで内容をチェックし、類似ではあるものの新規性が失われてはいないことを確認しました。その後、お正月休み明けの内田さんと3人で打ち合わせをし、超特急で論文を仕上げ、投稿、とドタバタで進んでいきました。とても面白い成果に気を良くしていた時期に、その慢心を諌められたような、そんな展開で2017年が始まったわけです。

その後、審査結果が返ってきて、いくつかの追加実験の結果を加えて再投稿と進み、無事に成果を公開する段階にまで到達しました。紆余曲折あり、実際に論文を読んでくださった方々の目には私たちの見つけた変換がどう映るのか、よくわかりませんが、いろいろな思い出の詰まった論文になりました。この変換で得られた貴重な知見は、多彩な展開につながっていくはずですので、今後の私たちの化学に期待してくださる方がおりましたら幸いです。

参考文献
S. Yoshida, K. Uchida, K. Igawa, K. Tomooka, T. Hosoya: Chem. Commun., 50, 15059 (2014).
K. Uchida, S. Yoshida, T. Hosoya: Synthesis, 48, 4099 (2016).
K. Uchida, S. Yoshida, T. Hosoya: Org. Lett., 19, 1184 (2017).

この記事を書いた人

吉田優, 細谷孝充
吉田優, 細谷孝充
吉田優(写真左)
東京医科歯科大学生体材料工学研究所・准教授。現所属に着任するまでは、ずっと有機反応化学を研究してきました。ここ7年は、ライフサイエンス研究に役立つケミカルバイオロジー手法の開発などにも、独自の視点で切り込んでいます。とくに、「高活性化学種の性質をいかに制御して、有機合成化学に取り入れるか」という点に着目し、多彩な元素の特性をうまく引き出す反応開発に取り組んでいます。

細谷孝充(写真右)
東京医科歯科大学生体材料工学研究所・教授;理化学研究所ライフサイエンス技術基盤研究センター・チームリーダー。20年以上の間、ライフサイエンス研究者たちとの共同研究を有機化学者として推進するとともに、それに役立つ手法開発に取り組んできました。これまでに得られた知見を背景に、反応開発から医薬品開発まで、高い専門性を持った研究者たちと一丸になって取り組んでいます。とくに、彼ら・彼女らの潜在能力を引き出しながら、有機化学の潜在能力を引き出す発見に期待し、日々研究に没頭しています。

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理化学研究所 ライフサイエンス技術基盤研究センター(CLST)分子標的化学研究チームのホームページ