有性生殖を行う動物の性行動で重要なのは、効率よく同種の異性を探索・識別して獲得することです。そのために動物たちは主に視覚や聴覚、嗅覚の情報を用いていますが、なかでも嗅覚はもっとも多くの動物種で利用されていると考えられています。特に昆虫類では性フェロモン(同種の異性に向けて、自身の生殖能を示すために分泌される化学物質)に関する研究が多くなされていますが、その先達となったのはドイツのButenandtらで、彼らは20年間をかけて日本より集めた50万匹以上のカイコガより6.4mgの16炭素鎖アルコールをオスの性行動を誘起する性フェロモンとして単離・同定し、’bombykol’と命名しました。

単一分子で他個体の行動や生理状態に大きな影響を与えるフェロモンに、科学者は強い関心を寄せていたものの、脊椎動物の性フェロモンに関しては、近年まで化学構造の決定に至ったものは数えるほどしかありませんでした。そんな折、繁殖期のアカハライモリ(学名:Cynops pyrrhogaster)で、オスがメスを誘引するフェロモン物質が発見されました。さらに最近メスがオスを惹き付けるフェロモンの正体もあきらかになりました。今回はそれらイモリが持つフェロモンについてこれまで明らかになったことを紹介したいと思います。

イモリと惚れ薬

そのフェロモンはイモリの種内でのみ活性を持ち、当然ヒトを含む他種にはおそらく効果がないわけですが、「イモリの黒焼き」といえば、以前は有名な媚薬として知られる存在でしたし、それ以前にも「イモリのしるし」という、言い交わした男女がすりつぶしたイモリを皮膚に塗っておく風習があり、会わない間にどちらかが不貞を働けば塗った部分が赤くなるとされていたそうです。このように、イモリと男女の恋愛は昔から関連付けられて考えられてきました。日本初の動物図鑑ともいえる『和漢三才図会』ではイモリについて、「性淫能交(性淫らにして、よく交尾(つる)む)」と紹介しています。すなわち、田植えや稲刈りの時期に水田や水路のあちらこちらで求愛行動を繰り返すイモリは、とても性行動の観察しやすい動物であり、そのことが、イモリの体内には恋愛や性に関する薬効をもつ成分があるという俗説となったと考えられます。

イモリの生殖行動

そういった性行動を発現しやすいイモリの特性は、生殖行動を研究する我々にとっては大変有益な性質です。
繁殖期のオスイモリは、水中で他個体に出会うと、近づいていって鼻先を相手の総排出口などに触れさせて雌雄を鑑別します(下図A)。ついでオスは相手が成熟したメスであればメスの前に立ちふさがりメスの進路をさえぎります。オスは自分の頸でメスの吻部をおさえながら尾を付け根から折り曲げて、その先端を左右にふるわせます(下図B)。この行動のあいだ、オスの総排出口には多数の毛様突起が観察されます(下図D)。これは肛門腺(外分泌腺)のうち腹腺と呼ばれる部分から伸びる管状の構造体で、オスは尾を振ることによって生じた水流にのせてその分泌物をメスに送ります。メスがオスの求愛を受け入れる場合、メスはオスの頸部を軽く小突いて応答し、やがてオスは尾を振る行動をやめてメスの先に立って尾をくねらせながら前進します(下図C)。メスは吻をオスの尾の一部に接触させながらオスに追従して歩き、その行進の途中でオスの総排出口より精子塊が放出され、追従するメスの総排出口に付着し、精子がメスの体内へ取り込まれます。

雌雄のフェロモン活性の測定

先にButenandtらがカイコガからbombykolを精製したことを述べましたが、彼らが初めて性フェロモンの精製に成功したひとつの要因は、性フェロモンを含む精製画分を特定するために生物自身を用いる、いわゆるバイオアッセイ系が大変優れていたことが挙げられます。彼らはメスが分泌する性フェロモンを単離していく過程で得られる精製画分のどれに目的の物質が存在しているかを調べるために、生きたオスの蛾の羽ばたき反応を見ることにしました。つまり自然界でそのフェロモンを感知しているオスに「訊ねて」みることにしたわけです。多くの脊椎動物では性行動が発現するための条件は昆虫に比べると複雑で、こういった測定系を構築することは非常に困難でした。ところが、生殖行動を発現しやすいイモリの特性はカイコガ同様、異性がみせる嗜好性(異性への誘引活性)を手がかりに性フェロモンを検出するバイオアッセイ系を構築するのに大変適していたのです。具体的には、底面を3区画に等分した樹脂製の円筒槽に水を入れ、テストするイモリメスオスどちらかをステンレス製の網に入れて中央部で順化させます。次に試したい物質を含むスポンジ3つをそれぞれの区画の中央壁側に配置してから、ステンレス網を取り除き、イモリの好むスポンジを区画ごとの滞在時間によって記録します。この滞在時間を8回ほど毎回動物や水、スポンジ等を交換して計測、統計処理をして、どのスポンジに惹かれるかを判定するという方法を考えました。

オスのフェロモン:sodefrin

メスイモリの嗜好性を元にオスイモリの肛門腺抽出物から、メス誘引物質を単離・精製する試みがなされました。オスが分泌しメスを引きつける性フェロモンは、ゲル濾過による分子ふるいにかけた結果、分子量5,000以下の物質であり、またタンパク質分解酵素の処理によって活性が失われることから、ペプチドであることがわかりました。その後、高速液体クロマトグラフィーによって有効成分の分離精製を繰り返して得られたメス誘引活性物質はアミノ酸10残基からなるペプチド(Ser-Ile-Pro-Ser-Lys-Asp-Ala-Leu-Leu-Lys)でそれまでに知られていない天然物であることがわかりました。

このペプチドは、万葉集に納められた額田王の和歌、「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる」のうち、大海人皇子が額田王の気を惹くために用いた所作である「袖ふる」に因んでsodefrin(ソデフリン)と命名されました。このペプチドは成熟したメスのみを誘引し、未成熟のメスや成熟度に関わらずオスや他種のイモリには有効でないことかが明らかになっています。

メスの性フェロモン:imorin

一方でメスのフェロモンの構造解析は、ごく最近になって成功しました。メスの性的魅力を発信するフェロモンの化学構造はたった3つのアミノ酸残基のからなるペプチド(Ala-Glu-Phe)であり、生殖期にのみ、総排出腔に近い卵管の内壁を縁どる繊毛細胞でつくられ、総排出腔から水中に随時放出され、生殖期のオスでのみ、その鋤鼻(じょび)器官 (多くの脊椎動物でフェロモンを受容する部位)で感覚信号が受けとられることが示されました。また、この物質はsodefrinと同様に、これまでに知られていない天然物であるとともに、脊椎動物で初めて同定されたメスの性的魅力をオスに伝えるペプチド性のフェロモンであることがわかりました。
sodefrinの由来の額田王の歌には、大海人皇子の以下のような返歌があります。「紫の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆへに 吾(あれ)恋ひめやも」。このうち、古語の妹(”imo”)は「恋人・妻」をさしますので、これとsodefrinに因んで、新たに見つかったオス誘引活性物質はimorin(先頭のiはアイと読まれ、アイモリン)と命名されました。

これからの研究

繁殖期に交配可能なメスの放出するimorinを感受したオスは、鋤鼻器官を経て中枢に伝わるそのフェロモン信号によって、今度は自分の求愛行動が誘発されて、総排出腔からメスをつなぎ止めておくフェロモンであるsodefrinを放出すること、すなわち雌雄双方フェロモン信号を出し合うことが、最終的にイモリの生殖を成立させる上で重要であると考えられます。このような生殖活動に重要な役割をもち、繁殖相手の性行動に影響を与える性フェロモンが雌雄両方に備わっていることがわかったことで、今後それぞれのフェロモンがそれを受け取った側の動物に性行動を引き起こすまでの過程を脳内で調べることが可能となりました。性フェロモンの作用機序や性行動が起きるまでの脳内での過程を深く理解することによって、単にイモリの生殖のメカニズムを明らかにするだけでなく、水産・畜産動物や希少動物などさまざまな動物種での生殖や性行動に関する問題の解決に寄与する研究の基盤となることを期待しています。

 

参考文献

この記事を書いた人

中田 友明
中田 友明
日本獣医生命科学大学 獣医学部 講師

1978年東京都生まれ。2002年早稲田大学教育学部卒業。2003年より両生類の性フェロモンの研究を開始。2007年早稲田大学大学院理工学研究科修了。博士(理学)。その後早稲田大学教育学部客員研究助手、(独)農業生物資源研究所特別研究員を経て、2009年より日本獣医生命科学大学獣医学部助教、2014年より現職。さまざまな環境に適応した非モデル生物を含む動物たちの嗅覚系とそれに関連する行動を研究している。