私たち人間の体や身のまわりにあるものすべて、そして宇宙に浮かぶ星々さえもクォークと呼ばれる素粒子で構成されています。このクォークは発見から数十年経ちます。その運動を記述する方程式もわかっています。静的なクォークの結合状態については、スーパーコンピュータ「京」などの大規模数値計算で明らかにされつつありますが、クォークの運動の力学は未だ理解されていません。それは、このクォークの運動の背後に潜む複雑性、カオスが原因になっています。ここでは、クォークの運動のカオスを測る指標の定式化に向けた最新の研究成果について、ご紹介したいと思います。

運動の複雑さって何?

高校の物理の授業で、物体の運動を記述する運動方程式を習います。授業での演習問題では、設定が理想化されており、必ず解が求まります。つまり、初期値としてある時刻における位置と速度を与えれば、物体の運動は完全に決定されます。この運動のどこが複雑なのでしょう? 現実の物理をより正確に記述しようとして構築された運動方程式は、一般には厳密に解けません。そして、その運動は「カオス」と呼ばれる振る舞いを示します。皆さん、自宅の中がぐちゃぐちゃ、やることがいっぱいあってパニック、そんなときに「カオス」という言葉を一度は口にしたことがあるのではないでしょうか。その言葉に表されるように、一般に運動は複雑なのです。特に、運動方程式を解く際に用いる初期値をほんの少し変えるだけで最終結果が大きく変わってしまい、予測不可能になります。この現象を初期値鋭敏性と言います。ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こし得るか? そんな例えもあって、バタフライ効果とも呼ばれます。天気予報を正確におこなうことができないのも、この初期値鋭敏性のためです。なので、運動を厳密に追跡することはとても難しいのですが、その運動の複雑さそのものを議論する理論が存在して、それはカオス理論と呼ばれます。

初期値鋭敏性。ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こすか?(Wikipedia「バタフライ効果」より)

物質の構成要素

私たちの世界を構成している究極の構成要素は何か? この質問に答えるために、日々研究をしているのが、我々素粒子理論と呼ばれる分野の研究者です。物質は分子から構成され、分子は原子から、原子は原子核と電子で構成される。そして、原子核は陽子と中性子で構成される。ここまでは高校の物理で学習します。この先にさらに細分化する構成要素は存在しないのでしょうか? 実は、陽子と中性子はクォークと呼ばれる基本粒子から構成されることが知られています。現在のところ、このクォークと電子をさらに細分化する要素は知られていません。クォークは6種類存在することがわかっています。電子にはそれと同様の性質をもつ仲間が2つ存在します。この電子の仲間たちに、3種類のニュートリノを合わせて、レプトンと呼ばれています。現在、このクォークとレプトンは物質を構成する粒子(フェルミオン)であり、その間の力は4種類のゲージ粒子(ボソン)によって媒介されると理解されています。このクォークとレプトン、ゲージ粒子に、質量に関与するヒッグス粒子を加えて、これらの粒子の運動を記述する理論は、「素粒子標準模型」として、理論的にも実験的にも確立されています。

素粒子標準模型に含まれる粒子 (Wikipedia「素粒子」より)

素粒子の運動の複雑性

この素粒子標準模型に対して、カオス理論を適用することは困難です。さまざまな理由がありますが、その最たる理由は物質を構成する粒子がフェルミオンであることです。一般にカオス理論は、ボソン的な自由度でしか明確な解釈が得られません。我々の最新の研究[1]では、素粒子理論で近年発展した「ホログラフィー原理※1」という新たな手法を用いることで、この困難を解決する手法を確立しました(ホログラフィー原理に関する一般向けの解説は[2]を参照)。

この手法を用いると、フェルミオンの運動を仮想的なボソンの運動に等価変形して書き換えることができます。この書き換えにより、カオスの強さを測る指標であるリャプノフ指数※2を物質素粒子に対して計算することに成功し、フェルミオンの運動にカオスが存在することを示しました。下図は、そのカオスを示すポアンカレ切断の計算例です。本研究は、素粒子標準模型におけるクォークの複雑性を計算する道を開いたことに相当します(より専門的な解説については[3]を参照)。

ポアンカレ切断の具体例。運動の規則性を表す「ポアンカレ断面」を、さまざまなエネルギーについて計算した。エネルギー E が小さいときは規則的な線を描いているが、エネルギーが大きくなると細かな点で埋め尽くされる。この出現がカオスを表す

素粒子の根源に迫る

私たちの世界の複雑性は、根源的にはどのように説明されるのか? 世界を構成する素粒子を司る「素粒子標準理論」は、その数式はすでに知られていても、そこからどのように複雑性が現れるのかは未知です。複雑性を計算できるカオス理論の適用範囲が、量子力学的に解析することの大変困難な物質素粒子クォークにまで広がることは、素粒子の標準理論の複雑性を解明するためのひとつのステップと言えます。本研究を契機として、素粒子の標準理論をなぜ自然が選んでいるのか、についてのより深い理解への発展が期待されます。

引用文献

  1. K. Hashimoto, K. Murata and K. Yoshida, Phys. Rev. Lett. 117 (2016) no.23, 231602.
  2. 橋本幸士 「超ひも理論をパパに習ってみた」講談社
  3. 吉田健太郎 「カオスと超弦理論」 パリティ 2017年1月号 Vol. 32 No. 01

脚注

※1ホログラフィー原理:強く量子力学的に振る舞う素粒子の理論が、ある極限操作をとることにより、仮想的な高次元空間の重力理論と同じになってしまうこと。超弦理論の発展のなかで発見された。
※2 リャプノフ指数:カオス理論において、初期値の微小なズレが時間発展で増幅される度合いを示す数。

この記事を書いた人

橋本幸士, 村田佳樹, 吉田健太郎
橋本幸士, 村田佳樹, 吉田健太郎
橋本幸士(はしもとこうじ)(写真左)
大阪大学大学院理学研究科教授。1973年生まれ、大阪育ち。2000年京都大学大学院理学研究科修了。理学博士(京都大学)。カリフォルニア大学サンタバーバラ校理論物理学研究所、東京大学、理化学研究所などを経て2012年より現職。専門は理論物理学、弦理論。超弦理論と場の理論の数理を用いて、素粒子論を中心にさまざまな物理学の現象と数理構造を対象にした研究を行う。著書に『Dブレーン − 超弦理論の高次元物体が描く世界像』(東京大学出版会)、『マンガ 超ひも理論をパパに習ってみた』(大阪大学出版会)など。

村田 佳樹(むらたけいじゅ)(写真右)
慶應義塾大学 日吉物理学教室助教。1982年東京都生まれ。2010年京都大学大学院理学研究科修了。理学博士(京都大学)。ケンブリッジ大学、京都大学基礎物理学研究所を経て2013年より現職。専門は一般相対論。特に高次元時空のダイナミクスに興味を持っている。最近は、相対論の専門家の観点からゲージ・重力対応の研究を行っている。

吉田 健太郎 (よしだけんたろう) (写真中央)
京都大学大学院理学研究科助教。1975年愛知県生まれ。2003年京都大学大学院人間・環境学研究科修了。人間・環境学博士(京都大学)。高エネルギー加速器研究機構(KEK)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校カブリ理論物理学研究所を経て、2009年より現職。専門は素粒子論で、主に超弦理論の研究をしています。最近は、ゲージ理論と重力理論の双対性の背後に潜む数理物理について、可積分性とカオスという二つの側面からアプローチしています。