静止画から「動き」を感じ取る

マンガは、日本を代表する文化のひとつとして認知されつつあります。今や、老若男女の別を問わず大勢の方々に親しまれているメディアです。特に、ダイナミックなアクション満載の冒険物や格闘物が好きという人も多いかと思いますが、ここでちょっと考えてみてください。マンガはあくまでも「絵」ですから、本当に動いているわけではありません。それにもかかわらず、私たちはマンガの絵から登場人物のアクションのような迫力ある「動き」を、労せずして感じることができます。よく考えてみると、これはとても不思議な能力です。

現代社会を生きる私たちの日常は、マンガに限らずさまざまな静止画に溢れていて、私たちは静止画による動きの表現に、よく慣れ親しんでいます。とはいえ、静止画から動きを認識する能力は、社会が近代化してはじめて身についたものではなさそうです。たとえば、世界各地に洞窟壁画と呼ばれる数万年以上前の人類が描いた絵がたくさん残されています。こうした壁画には、走りまわる動物や、それを追って狩りをする人々の様子などのダイナミックな情景が描かれています。そのような絵画表現の存在は、近現代の文明が成立する遥か前から、私たちヒトが静止画を用いて動きを表現可能であったこと、翻って静止画中の動きを理解する能力を持っていたことを示します。静止画から動きを感じ取る能力は、私たちヒトにとって普遍的で根源的な能力なのです。

赤ちゃんを対象とした実験

それでは、そのような能力は成長過程においていつごろ発達するのでしょうか? 今回、生後4、5ヶ月の赤ちゃんを対象に実験を実施して調べてみました。

実験には、左あるいは右方向へ走っている男性モデルの写真を用いました。赤ちゃんがこうした写真から「人が走っている」という「動き」を感じ取ることができるかを調べたのです。

実験では、まず、お母さんかお父さんに目をつぶった状態で赤ちゃんを膝の上に抱いてもらい、そのままパソコンの画面の前に座ってもらいます。

その状態で、画面の中央にアニメキャラクターを呈示して赤ちゃんの注意を画面の方にひき、赤ちゃんがキャラクターを注視したら、キャラクターと入れ違いで、男性の写真が映し出されます。0.6秒経つと男性の写真が自動的に消え、それと入れ替わりで画面の左右にまったく同じ黒い円が2つ同時に現れます。

このとき、赤ちゃんが左右どちらの円を先に見たか、視線の動きを測定します。こうした手順を、1人の赤ちゃんにつき、男性が右向きになっている写真と左向きになっている写真を用いてそれぞれ10回ずつ、計20回、ランダムな順番で繰り返しました。

大人では、静止画から動きを感じとると、無意識のうちに動きの方向へ注意や視線が引きつけられる傾向があります。したがって、もし赤ちゃんも静止画から動きを感じとることができるなら、男性の走っている方向へ注意が向きやすくなり、結果としてモデルの走っている方向に出現した円をもう一方の円よりも偏って注視すると予測できます。逆に、赤ちゃんが写真から動きを感じなければ、男性の走っている方向に注意が偏ることはなく、だいたい五分五分の割合で2つの円を見るはずです。

5ヶ月の赤ちゃんでも、写真から動きを認識できる

生後4ヶ月児と生後5ヶ月児、それぞれ20名を対象とした実験の結果、5ヶ月児では偶然(50%)を統計学的に有意に上回る割合で、モデルの走っている方向と一致した円を偏って注視しました。一方4ヶ月児では、モデルの走っている方向と一致した円を注視した割合は統計学的には偶然の水準と変わりませんでした。「走る」というダイナミックな状況を写真から認識する能力が、生後5ヶ月頃発達する可能性が示されたのです。

こうした可能性をより確実なものにするため、別の写真を使った実験も同時に実施しました。先の実験と手続きは一緒ですが、2つの円に先立って呈示される写真を、男性が単に右か左のいずれかを向いて直立不動の体勢で佇んでいるものに変更しました。

大人にとって、このような写真はダイナミックな印象を生じず、モデルの向いている方向へ注意が引きつけられたりもしません。実験の結果、4、5ヶ月児ともに、直立したモデルの向きと一致した円を注視する割合は統計学的に偶然とみなしうる水準でした。

つまり、ただ顔や体が左右どちらかを向いているだけでダイナミックな動きを表現しない写真は、赤ちゃんの注視に偏りを生じなかったのです。さらに別の5ヶ月児20名が参加した追加実験では、走っているモデルの写真を上下逆さまにすると、注視の偏りが消えることが示されました。

運動する人物の写真を上下逆さまにすると、大人では喚起される動作の大きさや速さが著しく低下することが知られています。それと類似の特徴が、静止画から人物のダイナミックな動作を認識する機能と関連して、すでに生後5ヶ月の時点で生じていると考えられます。

脳の発達との関連

生後4〜5ヶ月にかけて、静止画から動きを感じとる能力が発達することがわかりましたが、何がそのような発達を後押ししているのでしょうか? ひとつの可能性として、視覚と関連する脳部位の成熟があげられます。

私たちの脳には、視覚と関連する主な領域として2つの神経経路が存在します。ひとつは、後頭葉から頭頂葉へと向かう背側系と呼ばれる経路で、動きの認識と関係します。もうひとつは、後頭葉から側頭葉へと向かう腹側系と呼ばれる経路で、形や色の認識を担っています。背側系と腹側系の働きは普段はある程度独立していて、たとえば私たちの視界に「動き」が生じれば背側系が、「形」の識別をするときには腹側系がそれぞれ活発に活動します。それが、私たち大人が静止画から動きを感じているときには、両者が同時に協調して働くことが知られています。背側系の基本的な機能(例:動きを認識する)はおよそ生後3ヶ月までに、腹側系の基本的な機能(例:形を認識する)は生後4、5ヶ月頃に、それぞれ発達します。したがって、それら2つの神経経路の間で協調的な働きが可能になるのは、両者の基本的な機能が出揃う生後5ヶ月頃であると考えられます。これらの状況から、生後5ヶ月までに背側系と腹側系の機能が成熟し、互いに協調して働くことができるようになることで「静止画から動きを感じとる能力」の発達が生じると考えられます。

おわりに

静止画による動きの認識という視点から、赤ちゃんの視覚世界について少しだけ紹介しました。赤ちゃんの視覚発達については、これまでに多くの研究がなされてきましたが、わからないことがまだまだたくさんあります。さまざまな実験を通して赤ちゃんの視覚世界を明らかにすることで、将来的にはその知見を臨床的なケアに応用したり、あるいは赤ちゃんが喜ぶおもちゃを開発したりして役立てることもできるかもしれません。また何よりも、赤ちゃんの視覚世界についての科学的知見を提供することで、自身の経験を語ることのない赤ちゃんという不思議な存在への社会一般の理解、関心が深まると良いなと思います。

参考文献

Shirai, N.& Imura, T. (2016). Emergence of the ability to perceive dynamic events from still pictures in human infants. Scientific Reports, 6, 37206, doi:10.1038/srep37206

この記事を書いた人

白井述
白井述
新潟大学人文学部・准教授(2009年〜)、新潟大学研究推進機構・研究教授(2016年〜)。ヒトの視覚機能が発達に伴ってどのように変化するのかについて、実験心理学的な手法を用いて研究しています。最近は特に、出生直後から成人期までの幅広い年代において、視覚機能と身体機能が互いにどのように影響しあいながら発達していくのかに関心を持っています。これまでの研究成果について、随時こちらで公開、解説していますのでよろしければご覧下さい。