マイケル=ファラデー以来の謎

雪国に住む人でなくとも、一度はスキーやスケートを楽しんだり、雪だるまを作って遊んだりしたことがあると思います。なかには凍った道で滑って、尻もちをついたことがある人もいるかもしれません。私たちはこのような経験を通して、「氷点下でも氷の表面は濡れている」ことを何気なく実感しています。ちなみに、私たちが雪玉を握れるのは、氷の表面が濡れていることによる毛管接着と、それに伴う再結晶化が起こるためです。

氷の表面融解として知られるこの現象の研究の歴史は思いのほか古く、電磁気学の祖であるマイケル=ファラデーのイギリス王立協会での講演にまで遡るといわれています。以来、多くの研究者がこの現象の解明に力を注いできましたが、氷上で凍らない水膜-普通の水と区別して擬似液体層と呼びます-が発生するメカニズムは今もなおわかっていません。この層の厚さは、数ナノメートル程度と極めて薄く、擬似液体層を直接捉え、かつ精度よく測定することが極めて困難であるためです。実はその存在をはじめて実証できたのでさえ1987年、ファラデーによる考察から一世紀以上経た後のことでした。

では、一口に氷上に擬似液体層が存在するといっても、どのような温度と水蒸気圧で存在するのでしょうか? 常に存在するのか、はたまた存在しないこともあるのでしょうか? この問いは、氷の表面融解の起源そのものにリンクしています。以下では、この問題に対する私たちのアプローチを紹介します。

百聞は一見に如かず:その場観察によるアプローチ

これまでも氷の表面融解の謎を解き明かすべく、さまざまな実験的アプローチが試みられてきました。しかし、意外にも「見る」というアプローチはなされていませんでした。もちろん、ナノメートルオーダーという極薄の擬似液体層を視覚的に捉えることは容易ではありません。そこで、私たちの研究グループは、オリンパス株式会社と共同で、レーザー共焦点微分干渉顕微鏡と呼ばれる独自の光学顕微鏡を開発しました。一般に微分干渉顕微鏡は、試料表面の高さ変化を光の干渉を利用して明暗のコントラストに変換しています。またレーザー共焦点顕微鏡は、ピンホールと共にレーザーを光源として用いることで焦点面におけるノイズ光を大幅に除去し、観察像を鮮明にします。私たちのレーザー共焦点微分干渉顕微鏡は、この2つの顕微鏡法を組み合わせ、さらにさまざまな改良を加えた光学顕微鏡で、一分子レベルの段差を可視化する非常に高い分解能を実現します。私たちはこの顕微鏡を駆使して、世界で初めて擬似液体層の「その場観察」に成功しました。

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図1:A. レーザー共焦点微分干渉顕微鏡で可視化された擬似液体層の様子とその2つの濡れ形態(B, C)。スケールバーは共に20 μmである。青矢印は氷表面を走る単位(一分子高さ)ステップである

自分自身の液膜を濡らさない擬似液体層

図1のB、Cに、擬似液体層の氷の上での特徴的な濡れかたを示しました。図1Bは、擬似液体層が液滴状になっている、いわゆる部分濡れと呼ばれる状態で、キッチンやお風呂でお馴染の濡れ形態です。興味を引くのは図1Cの濡れ状態で、液膜と液滴が共存し、まるで目玉焼きの様に濡れています。このように自分自身の液膜を濡らすことができない濡れ形態を準不完全濡れと呼びます。これは、氷・水・空気間に働くファンデルワールス力に起因する濡れであり、擬似液体層の厚みにより氷への濡れ性が変化する特殊な濡れ形態です。

私たちは、擬似液体層が温度・水蒸気圧に応じて、この2つの濡れ状態のあいだを行き来することを突き止めました。これは濡れ転移といわれる現象で、表面自由エネルギーに支配された相転移現象です。また、温度と水蒸気圧を調節し氷表面を平衡状態に近づけると、図2に示されるように、擬似液体層がこの濡れ転移を経て自発的に撥水することもわかりました。平衡状態、及びその近傍では氷の親水性が低下し、 擬似液体層は薄膜として氷を完全には濡らすことができずに結露のごとく液滴状になるのです。

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図2:薄膜化した擬似液体層の撥水過程(スピノーダル型)。スタート時(0 秒)の氷表面は擬似液体層で完全に覆われているが、撥水によりおよそ 6 秒後には液滴に変化している(単位は秒、スケールバーは 10 μm)

このように、その場観察により明らかになった擬似液体層の姿は、「氷の上を均一、かつ完全に覆っている」という従来の描像とはかけ離れたものでした。

擬似液体「層」は安定「相」か?

この氷上での撥水は何を意味しているのでしょうか? ここで、観察表面のように擬似液体層が氷表面で液滴状に濡れた場合を考えてみましょう。氷表面上には、氷-空気、擬似液体層-空気、氷-擬似液体層という 三種類の界面が露出します。実はこのような氷表面では、擬似液体層が存在しない乾いた氷表面よりも表面自由エネルギーが大きくなります。一般に自然は表面を好みません。表面はその物質の原子、分子が結合する相手を失った不安定な高エネルギー状態にあるためです。それゆえに、擬似液体層は不安定な表面状態を解消すべく徐々に蒸発してしまい、最終的にエネルギーの低い裸の氷表面が現れることになります。

これは、空気中のシャボン玉や雨滴がその表面積、正確には表面自由エネルギー、を小さくしようと自ずと丸くなるのと同じ理屈です。この「擬似液体層は平衡状態では存在できない」という結果は、熱平衡下では同一物質の三相共存状態は三重点以外に許されない、という熱力学の基本ルール「ギブスの相律」に則ったものであり、擬似液体層で濡れた氷の表面と乾いた裸の表面の表面自由エネルギーの比較から導かれる自然な帰結です。

では仮に、擬似液体層が薄膜となり完全に氷を濡したらどうなるか? この場合は先ほどとは逆に、濡れた氷表面の方が裸の氷表面より表面自由エネルギーが下がり、熱平衡下-三重点近傍に限られますが-で擬似液体層が安定に存在し、三相が共存することになります。つまり、表面自由エネルギーの低下によりギブスの相律を破るのです。実はこの掟破りのシナリオこそが、「水と氷は同一物質の液体と固体であり、水は氷表面を完全に濡らすであろう」という仮説のもと、氷の表面融解の定説として長いあいだ受け入れられてきたのです。

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図3:擬似液体層の新しい生成ルートの模式図。QLLは擬似液体層(quasi-liquid layer)を、ESは氷表面の単位ステップ(elementary step)を指す

 

それでは、擬似液体層はどのように生成するのでしょうか? 図3で示したように、私たちは平衡状態ではなく氷表面がある一定以上の氷の成長条件(過飽和水蒸気圧下)、もしくは昇華条件(未飽和水蒸気圧下)に置かれたときに、擬似液体層が生成することを突き止めました。この結果は、擬似液体層が水蒸気から氷へと相変化する過程(もしくはその逆)で過渡的に生成する準安定相であることを強く示唆します。この非平衡領域(氷の成長・昇華領域)における擬似液体層の生成ルートの発見は、他の結晶表面における擬似液体層の探索・理解におおいに役立つと考えられます。

最後に残された疑問

光学顕微鏡というと私たちにとって馴染のあるぶん、古典的な実験手法と思われるかもしれません。しかし、本研究が示すように、時として分光法や構造解析などの微視的アプローチでは得られない見通しの良い視座を与えてくれます。さらに、直接「見る」という強みを生かし、擬似液体層の濡れダイナミクスを非接触・非侵襲で観察することで、従来は困難であった擬似液体層そのものの物性、特にその流動特性(表面張力と粘性係数の比)を直接読み取ることもできます。

一方で、私たちの研究は「なぜ水は氷を完全に濡らさないのか?」という根本的な疑問に答えられていません。過冷却水と氷の構造的類似性を考えると、これはやはり不思議なことに思えます。その答えを得るためには、水-空気界面、水-氷界面における分子レベルでの動的構造・相互作用を理解する必要があるでしょう。したがって、今後は和周波分光法などの先進的な分光法やX線、中性子散乱による構造解析、数値シミュレーションとのコラボレーションが鍵になると考えられます。

氷は水と共に地球上にあまねく存在しており、氷が主役となる自然現象は枚挙に暇がありません。 特に氷の表面融解は、雪玉作りや氷上の潤滑以外にも、凍結によって地面が隆起する凍上現象、雪の形態変化、氷河の流動、オゾンホールの生成プロセス、雷雲での電気の発生機構など、様々な自然現象に深く関与しているといわれています。 今回の研究により氷の表面融解のメカニズムが明らかになったことで、これらの自然現象の基礎的理解がより深まるものと期待されます。

参考文献

  • M. Faraday, Experimental Research in Physics and Chemistry, Taylor and Francis, London (1859)
  • R. Rosenberg, Why is ice slippery? Phys Today 12, 50-55 (2005).
  • Y. Furukawa, M. Yamamoto and T. Kuroda, Ellipsometric Study of the transition layer at the surface of an ice crystal, J. Cryst Growth, 82, 665-677(1987)
  • G. Sazaki et al., Quasi-liquid layers on ice crystal surfaces are made up of two different phases, Proc. Natl Acad. Sci. USA 109, 1052-1055 (2012)
  • K. Murata et al., Thermodynamic origin of surface melting on ice crystals, Proc. Natl Acad. Sci. USA 113, E6741-E6748 (2016)
  • K. Murata et al., In situ determination of surface tension-to-shear viscosity ratio for quasiliquid layers on ice crystal surfaces, Phys. Rev. Lett. 115, 256103 (2015)

この記事を書いた人

村田憲一郎
村田憲一郎
北海道大学低温科学研究所助教。東京大学大学院工学系研究科博士後期課程修了後、東京大学生産技術研究所特任研究員、特任助教を経て、2014年より現職。現在は、新しい光学顕微鏡法を用いた擬似液体層、および結晶・融液界面の動力学に関する研究を行っている。