腫瘍内に形成される血管 – 「がん幹細胞」の片鱗を見る
「がん幹細胞」を作る
iPS細胞はその万能性から、あらゆる細胞へ分化させて、その細胞を再生医療へ応用することに大きな期待が寄せられています。その中で懸念されるのは、予期しない「がん化」とも言われています。しかし、その万能性から「がん化」のみを否定することはかなり難しいことです。なぜなら、細胞の分化を人為的にコントロールすることは、まだまだ大変難しい技術だからです。
この一方で、iPS細胞をマウスに移植すると腫瘍ができることが知られていますが、この腫瘍は奇形腫と呼ばれ、良性であることが知られています。この奇形腫の中にあるのは正常に分化した細胞で、さまざまな組織形態に分化した像が観察できますが、ただひとつがん組織は見つからないのです。したがって、悪性のいわゆる「がん細胞」を作り出すのはそれほど容易でないと想像できます。
そこで私が目をつけたのが、各種のがん細胞株です。がん由来の細胞を培養したその上清には種々の因子が存在することが知られていますが、このような培養上清を用いてiPS細胞を培養すると、がん細胞ができるのではないかという考えに至ったのです。
果たして、肺がん由来の細胞株を培養した培養上清を用いて、iPS細胞を培養すると、未分化なまま増殖を続ける細胞が得られ、これをマウスに移植すると悪性の腫瘍ができたのです。この悪性の腫瘍を形成する細胞は、自己増殖する能力と分化する能力を持っていたので、がん幹細胞ができたと結論しました。外来遺伝子の導入や発がん性物質などによる遺伝子の変異を与えない条件で、人為的にがん細胞ができること、これまでのがん研究の流れからすると、想像できない新しい発見と言えます。
「がん幹細胞」の分化
がん幹細胞の定義として、「自己複製」「分化能」「悪性腫瘍形成」の3点が挙げられます。これらを満たす細胞は、がん幹細胞の必要かつ十分条件です。しかし、この「分化能」とは一体何でしょうか。
iPS細胞が分化する場合には、神経細胞や筋肉細胞などと言われると理解しやすいと思いますが、がん幹細胞が分化するというのは、理解することが難しいかもしれません。がんの分類から、扁平上皮癌、腺癌、肉腫、血液がん(いわゆる白血病)と聞けば、理解できる方も多いと思います。たしかに、ひとつの個体はひとつの受精卵から細胞分裂と分化を繰り返して、個々の臓器組織を構成する細胞になっていきます。その数、約37兆個と言われます。
しかし、これらの細胞は全て同じ遺伝子を持っているのです。がんに罹ってしまっても、そのがん細胞はやはり同じ遺伝子を持っています。がん細胞も、がん幹細胞から分化した細胞で、さらにはがん幹細胞も同じ体のどこかの幹細胞が誤って分化した細胞なのです。したがって、このがん幹細胞が多種多様であることも理解できますし、がん幹細胞がどのような分化をすることができるかによって、がん組織の中での細胞が不均一になることも理解できると思います。実際に、がん組織の中を観察すると、上皮細胞や間質細胞が存在しています。この間質は正常な組織でも存在して、線維芽細胞や免疫細胞、血管内皮細胞、平滑筋細胞および未分化な細胞など種々の細胞を含んでいて、組織を維持するために重要な役割を果たしていますが、がん組織の場合にはがん幹細胞もこの中に存在すると考えられます。
腫瘍内の血管
血管は血管内皮細胞から構成されており、酸素と栄養を供給するためにさまざまな臓器組織で必要です。腫瘍も例外ではなく、酸素と栄養を得るために、血管を組織内へ引き込みます。この現象を、血管新生と呼んでいます。これまで、悪性腫瘍の血管新生は、がん細胞が細胞成長因子を分泌し、腫瘍組織へ向かって血管内皮細胞の増殖を誘導することによって、腫瘍内の血管を形成すると考えられてきました。しかし、この血管系は複雑で、宿主の血管が単純に腫瘍へ向かって成長するということだけでは、説明がつきません。最近では、脳腫瘍のがん幹細胞が血管内皮細胞へ分化していると報告されました。その一方で、疑似血管もまた、幹細胞性マーカーを発現する細胞から構成されていることが皮膚がん細胞で報告されています。しかしながら、がん幹細胞の腫瘍内血管系の構成への関与は明らかにされてきませんでした。
マウスiPS細胞からはじめて作ったがん幹細胞も、マウスの皮下に移植すると血管に富む腫瘍が形成され、血管新生が旺盛であることが観察できました。このことから、このがん幹細胞をIV型コラーゲン存在下で培養してみました。この培養方法は、血管内皮細胞の血管形成能力を調べるもので、ある種の細胞成長因子を添加して、培養すると血管内皮細胞が管腔を形成することで確認できます。ところがこの方法で、がん幹細胞自身が管腔形成能を示したのです。血管内皮細胞のマーカーを調べるとがん幹細胞は陽性を示し、このがん幹細胞は自ら細胞成長因子を分泌しながら血管内皮細胞へ分化することがわかりました。
さらに、このがん幹細胞に赤い蛍光を出すタンパク質の遺伝子を組み込んで、マウスに移植し、この細胞が形成する腫瘍組織を解析してみると、血管内皮細胞と疑似血管細胞の両方に、移植したがん幹細胞が分化して分布していることがわかりました。がん幹細胞から形成された腫瘍が作り出す血管のネットワークが、宿主側とがん組織側の両方から作り出されていていることが、明らかになったのです。
今回の研究成果では、間質の中でがん幹細胞に由来している血管系が存在することがわかった訳ですが、間質の中の種々の細胞が、がん幹細胞に由来している可能性も出てきた訳です。間質の細胞は少なくともがん幹細胞の維持に重要な微小環境を作り出しています。がん幹細胞が、その分化能で、どのような細胞に分化しているのか、あるいはがん組織の中で構成される細胞社会とはどのようなヒエラルキーになっているのか、今後の研究の展開に大きな期待がかかります。
がん研究の新しい方向
iPS細胞からがん幹細胞を作製することには、大きく二つの利点があります。一つ目は、遺伝子導入・変異を行わずに作成できる点です。最近がん研究の多くが、遺伝子の変異を前提に進められていますが、これでは変異が入るまでの過程を追跡する術がありません。たしかに、いきなり変異が入ってがんになるケースもありますが、多くの場合変異を獲得するまでの経緯があるのです。私たちが作製するがん幹細胞には、顕著ながん化を示す遺伝子上の変化が認められないので、がんの自然発生的なメカニズムを解析するには適した実験系と言えます。二つ目に、iPS細胞を利用することで、がんを患っておられる方から、必ずしも細胞をいただく必要がない点です。現在は、がん組織からがん幹細胞を分離して実験を行う場合がほとんどで、これでは研究の範囲が限定的になってしまいます。
iPS細胞から得られるがん幹細胞は、転移、浸潤、血中循環腫瘍細胞(CTC)、がん幹細胞マーカーやがんの微小環境など、がん研究における重要な課題に取り組むためのこれまでに無かった新しい材料や手段を提供してくれます。将来、iPS細胞から調製されるがん幹細胞を標準品として用い、患者さんのがん組織内に存在する細胞との関連を明らかにしていくことで、これまでに無い診断方法が生まれ、それを応用して画期的な治療方法「個の医療」につながる可能性も期待できるのです。
参考文献
- Chen, L. e al. (2102) A model of cancer stem cells derived from mouse induced pluripotent stem cells. PLoS One, 7(4): e33544.
- Matsuda, S. et al. (2014) Cancer stem cells maintain a hierarchy of differentiation by creating their niche. Int. J. Cancer, 135(1): 27-36.
- Yan, T. et al. (2014) Characterization of Cancer Stem-Like 1 Cells Derived from Mouse Induced Pluripotent Stem Cells Transformed by Tumor-Derived Extracellular Vesicles. J. Cancer, 5(7): 572-584.
- Prieto-Vila M. et al. (2016) iPSC-derived cancer stem cells provide a model of tumor vasculature. Am. J. Cancer Res. 6(9): 1906-1921.
この記事を書いた人
- 岡山大学大学院自然科学研究科医用生命工学専攻教授・副学長。1989年に大阪大学で工学博士を取得。武田薬品工業(株)中央研究所での研究員を経て、現職。専門領域は、がん幹細胞、がん標的マーカー探索、ドラッグデリバリーシステム、細胞の増殖分化等。趣味は、ジャズ鑑賞、ドライブ、ガーデニング。
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