霊長類の大きな脳

ほ乳類は、ほかの脊椎動物よりも身体のわりに大きな脳を持っています。なかでも多くの霊長類は、ほかのほ乳類よりも大きな脳を持っています。霊長類が脳(とくに視覚系)を発達させた要因として、かつては果実食への移行が有力視されていましたが、20年ほど前からは、霊長類の複雑な社会構造で必要なコミュニケーションのためとの説が唱えられていました。しかし近年では、毒ヘビのいない地域での霊長類の視覚が劣ることや、ヘビを見たことのないサルでもヘビをすばやく見つけることなどから、霊長類はヘビを検出するために脳(とくに視覚システム)を大きくしたとの「ヘビ検出理論」(Isbell, 2009)が提唱されています。にわかには信じられない学説ですが、いまでは多くの実験結果によって支持されています。

ヒトやサルはヘビをすばやく見つける

ヒトの祖先の霊長類は、およそ6500万年前ころから樹上で放散適応を始めました。樹上で暮らす霊長類を補食できたのは、猛禽類と大型のネコ科の動物、ヘビだけでしたが、30 mを超える枝の生い茂ったところで暮らす霊長類まで近づけるのは、ヘビくらいしかいなかったと考えられています。そのため、霊長類の祖先は主たる補食動物であるヘビを、すばやく効率的に見つける必要があったと考えられています。

これまでにわたしたちは、3歳の子どもでも多くの花の写真から1枚だけあるヘビの写真を、その逆の組み合わせ(多くのヘビから1枚の花を見つける)よりも早く見つけることや(Masataka, Hayakawa, & Kawai, 2010; Hayakawa, Kawai, & Masataka, 2011)、生まれてから一度もヘビを見たことのないサルが同じようにヘビの写真を素早く見つけることを示し(Shibasaki & Kawai, 2009; Kawai & Koda, 2016)、ヒトやサルにはヘビを素早く見つける視覚システムが備わっていることを明らかにしてきました。

これは、ヒトの祖先であった霊長類が樹上で暮らしているときに、唯一の補食動物がヘビであったために、脳内でヘビに対して敏感に反応する領域(視床枕)が発達し、恐怖を感じる領域の扁桃体に大脳皮質を経由せずに直接情報を伝えるために、すばやく反応できるようになったと考えられています。

しかし、ヘビはネコ科の動物のように獲物を追いかけるのではなく、身を隠して獲物が近づくまで待ちます。多くのヘビは身体を背景と見分けにくくするカモフラージュを使っています。そのためヘビの体色は、葉や石にカモフラージュしやすいような模様になっています。ヒトは、はたして見分けにくい状況で、ほかの動物よりも効率的にヘビを発見できるかは不明でした。

ヒトは隠れたヘビを見つけるのが得意

わたしたちはヒトを対象とした実験を行い、自然な背景で写っているヘビ、ネコ、トリ、サカナの写真のうちどれがもっとも見えにくい状況で認識できるかをテストしました。それぞれ4種類ずつ用意した4種類の動物の写真を、平均の輝度やコントラスト、空間周波数といった物理的な情報をほとんど変えずにノイズをまぜる技術を使い、95%から0%まで5%きざみでノイズを含ませた写真のセットを用意し、見やすさの段階が異なる一連の写真を作成しました。

snakes

それらのセットをノイズの多いほうから少ないほうに順に提示し、そのたびにどの動物(ヘビ、ネコ、トリ、サカナ)だと思うかを判断させました。その結果、ヘビはほかの動物に比べてよりノイズの多い条件でも正しく見分けられました。上図のStep8では、かなりの正確さで認識されました。このことは、ヒトの視覚システムが、見分けにくい状況においても効率的にヘビを見分けられることを示しています。

fig2

ヒトの祖先はヘビをすばやく見つけるだけでなく、ヘビのカモフラージュを見破る必要があると考えられていましたが、今回の実験で初めてヒトの視覚システムは背景から見分けにくい(カモフラージュされた)ヘビを効率的に見分けられることを示しました。このことから、ヒトの祖先は主な補食動物であったヘビに対抗するために視覚システムを進化させた可能性が考えられます。

今後の展開

この研究の成果は、ヒトの視覚システムの進化を解明する一助となり得るものです。ヒトの祖先であった霊長類とヘビは、それぞれ互いに進化し合って来たと考えられていますが(たとえば、ヘビが毒を進化させたり、待ち伏せ戦略を採用したり)、ヒトの祖先の視覚システムに対してヘビを見分ける淘汰圧(必要性)があったことが考えられます。

今後は、ヘビのどのような身体特徴に対してヒトやサルはヘビを見つけているのかを調べる研究や、サルでもこのように見分けにくい状況のヘビを効率的に見分けられるかを検討する研究が想定されます。神経科学の研究と連携して、ヘビを見分けるためのより詳細な神経機構が解明されることが期待されます。

参考文献

Kawai, N. & He, H. (2016). Breaking snake camouflage: Humans detect snakes more accurately than other animals under less discernible visual conditions. PLoS ONE, 11(10): e0164342.doi:10.1371/journal.pone.0164342

この記事を書いた人

川合伸幸
川合伸幸
名古屋大学情報科学研究科で、ヒトや動物の認知や行動の研究をしています。サルの行動実験からヒトが怒りを感じる脳内メカニズム、能面が表す情動など、多岐にわたって認知や情動の実験を展開しています。近著に「ヒトの本性」(講談社現代新書)、「コワイの認知科学」(新曜社)など。