はじめに

皆さんは「原虫」という生物グループをご存知でしょうか? 原虫は、単細胞真核生物の寄生虫であり、その仲間には主に熱帯地方で蚊によって媒介される「マラリア原虫」や、ネコからヒトに感染する可能性のある「トキソプラズマ」などがいます。私は、帯広畜産大学の原虫病研究センターで、原虫と原虫の感染によって引き起こされる家畜の原虫病について研究を行っています。

今回は、私が研究している「トリパノソーマ」という原虫の一種であり、ウマ属(ウマ、ロバ等)に寄生し媾疫(こうえき)という病気を引き起こす「媾疫トリパノソーマ(Trypanosoma equiperdum)」を紹介させていただきたいと思います。

fig1
媾疫トリパノソーマの顕微鏡画像。核とキネトプラストを矢印で示している。キネトプラストとは、トリパノソーマの仲間に特徴的な細胞小器官。 キネトプラストから細胞の前方に伸びる鞭毛が特徴的

媾疫トリパノソーマについて

媾疫は、媾疫トリパノソーマの感染によって引き起こされる病気です。寄生性のトリパノソーマの多くは、感染哺乳類の血流中に寄生し、吸血昆虫の吸血を介して非感染哺乳類に感染します。一方、媾疫トリパノソーマはウマの生殖器粘膜に寄生し、交尾によって感染ウマから非感染ウマに感染します。そのため、媾疫に特徴的な症状としては生殖器の腫脹や流産などの繁殖障害が知られています。

媾疫流行国の多くが農業を経済基盤にしている発展途上国であり、それらの国々の家畜生産性を上げ経済発展の礎にするために媾疫対策が望まれています。さらに先進国においても、オリンピック馬術競技や競馬などで生体ウマ輸出入が年々増加していることから、媾疫は家畜防疫上重要な疾患です。そのため、媾疫は国際獣疫事務局(動物版WHO)により「国際的に重要な家畜疾患」に認定され、媾疫に関する研究の推進と媾疫対策が求められています。

媾疫に自然感染したウマを用いて媾疫の研究を行うことは、お金・時間もかかりさまざまな条件を統一して実験することが非常に困難なので、なかなか研究を進展させることができません。そのため、媾疫に限らず一般的に病原体の研究を進めるためには、研究室で取り扱うことのできる「培養順化(研究室で継続的に病原体を培養・維持できるようにすること)株」が必要です。しかし、媾疫トリパノソーマの確たる培養順化株が存在しなかったため、重要家畜疾患であるにもかかわらず媾疫の研究は立ち遅れていました。そこで私たちは、媾疫流行国であるモンゴル国で媾疫感染ウマを見つけ、そこから媾疫トリパノソーマを分離・培養順化株を確立することを目的として実験を行いました。

媾疫トリパノソーマの分離・培養にチャレンジ

地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)で、私たちはモンゴル全土における家畜原虫病の疫学調査を行っています。

モンゴルでの疫学調査での一コマ

この疫学調査を通じて、媾疫感染ウマを見つけ出し媾疫トリパノソーマを分離することとしました。

媾疫感染オスウマ。外陰部の腫脹が媾疫の特徴

上図はこの調査を通じて見つけた典型的な媾疫の症状を示すオスウマで、外陰部が著しく腫脹しています。このオスウマの尿道に綿棒を突っ込み、尿道粘膜上皮細胞を掻き取りました。掻き取ったサンプルを顕微鏡で観察すると……いました。媾疫トリパノソーマが動いているのが確認できました! 急いで採取した媾疫トリパノソーマを培養順化するために、

1)液体培地(トリパノソーマの培養で一般的に用いられる方法)
2)実験動物感染(トリパノソーマの野外株分離で一般的に用いられる方法)に加え、
3)私たちが開発した軟寒天培地(液体培地を低融点アガロースで固めた固形培地)

の3つの方法を試しました。その結果、軟寒天培地でのみ媾疫トリパノソーマが増殖し、分離培養に成功しました。その後モンゴル獣医学研究所・帯広畜産大学原虫病研究センターで媾疫トリパノソーマの培養を継続し、実験室で安定して取り扱うことのできる「媾疫トリパノソーマの培養順化株(T. equiperdum IVM-t1)」として報告しました(Suganuma et al., 2016)。以下の動画は、媾疫トリパノソーマの培養順化株のものです。

まとめと今後の展望

今回、媾疫トリパノソーマを分離し培養に順化させることに成功しました。本研究で開発した軟寒天培地は持ち運び・取り扱いが容易であり、媾疫トリパノソーマの増殖速度も速いため、野外での効率的な媾疫トリパノソーマ分離・培養順化に適していると考えられます。今後は、本研究で確立した媾疫トリパノソーマ培養順化株を用いて治療薬の探索・開発や、実験動物(マウスやウサギ)に媾疫トリパノソーマを感染させ、媾疫の病態を解析していきたいと考えています。

なお、本研究は国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)と独立行政法人国際協力機構(JICA)が連携して実施する、地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)の一環として、モンゴル国立獣医学研究所Battsetseg Badgar所長らと共同で行いました。

この記事を書いた人

菅沼啓輔
帯広畜産大学グローバルアグロメディシン研究センター・原虫病研究センター 特任助教。獣医師、博士(獣医学)。1985年長野県生まれ、諏訪清陵高校卒、帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒、岐阜大学大学院連合獣医学研究科博士過程修了。日本学術振興会特別研究員を経て現職。学部学生時代から一貫して家畜に感染するトリパノソーマに関する研究をしています。