「生命」を理解するためのアプローチ

「生命とは何か?」と聞かれたときに、皆さんは何を想像するでしょうか? 分裂、融合といったダイナミックに動くものと答える方もいれば、DNAやRNA、タンパク質といった生体物質、さては核、ゴルジ体、ミトコンドリアなどの細胞を構成する組織を真っ先に思い浮かべる方もいるかも知れません。しかし、これら生命を連想させるキーワードだけでは、非生命と生命の境界を明らかにすることはできません。

上のような問いにひとつの解答を得るために、さまざまな方面からのアプローチが試みられており、最近では特に、新しい生命システムをデザインして組み立てる研究が盛んになってきています。このような潮流は、生命の本質を理解するためにはそれを構成している要素の詳細を解明するだけでは十分といえず、それら要素の結び付きで全体がどのように成り立っているのかを眺める構成的視点が必要であるという考えに基づいています。

生命体を構成するものは基本的に有機分子であり、それらがどのようにして40億年前の原始地球において生成されたのかを検証する実験はこれまでに多数なされています。しかし、アミノ酸や脂質、RNA/DNAなどの物質と生命の間にはいまだミッシングリンクが存在しており、物質がどの段階で「生命らしく」なり、そして生命へと進化していったのかは、自然科学が発達した現代においても謎のままです。

物質と生命の間のミッシングリンク

私たちは、物質のみの世界からいかにして生命らしさが生まれるのか、さらに、原始生命体がいかに誕生したのかを、素性のよく知られた分子を用いて実験モデルを構築し、構成的に明らかにすることを目的に研究を行っています。

具体的には、生命の特徴のひとつである「動き」に着目し、比較的柔らかい物質群であるソフトマターを用いて生命らしい動きをつくり、その挙動を解明することで、原始生命体と運動の関係性を明らかにしようとしています。今回、原始地球上にも存在し得た有機分子からなるマイクロメートルサイズ(1マイクロメートル=0.000001 メートル)の油の粒(油滴)が、アメーバのように変形しながら水中を勝手に泳ぎまわるという、生命体に近い動きを作り出すことに成功しました。

水中を泳ぎ回る油滴の推定メカニズム。4つ目の図では界面活性剤分子を省略している

水中を泳ぎまわる油滴

これまでにも、外部から何も力を加えずに勝手に液体の粒が動く現象は報告されています。たとえば、特殊な加工を施したガラス板の上に置かれた油滴が動く現象や、水にも少し溶解するようなアルコールを水面に浮かべた際には、動くだけでなく分裂もするという現象が知られています。一方で、私たちは、石鹸に代表される界面活性剤水溶液に少量の油を添加して混合したエマルション系において、マイクロメートルサイズの油滴が水中を泳ぐ現象を発見しました。

このメカニズムは、以下のように推定されています。油滴の界面において、比較的界面活性剤が吸着している(界面張力が低い)領域とそれがほとんど吸着していない(界面張力が高い)領域が生じると、両者の間には界面張力差が生まれます。すると、界面張力の低い領域から高い領域に向けて、界面張力差に基づいた流れが生じます。この流れによって、油滴内部の物質流動が引き起こされ、内部と外部で運動量の交換が起こることで、油滴が一定の方向に少しだけ移動します。このとき、移動する前面において、界面活性剤分子が油滴界面に多く吸着できるようになり、油滴内外で流動が誘起され続ける機構がはたらくことで、油滴が泳ぐものと考えられます。油滴が平泳ぎをするように水をかいて進むイメージをしていただければ、わかりやすいかも知れません。

アメーバのように変形しながら泳ぎ回る油滴

私たちは、上記の油滴が泳ぎまわる推定メカニズムをもとに、油滴の界面張力変化と内部の状態変化を引き起こすことができれば、油滴は単純に泳ぐだけでなく、分裂や融合などの複雑な生命らしい動きをつくりだせるものと考えました。実際に、新たな界面活性剤が生成される反応や、二種類の油成分が反応することで新たな油成分が生成される反応を組み込むことで、一方向に泳ぐ油滴や泳ぎながら分裂する油滴などをつくりだすことにこれまでに成功しています。しかし、それらは球形のまま変形することはなく、アメーバのように変形しながら泳ぎまわる油滴については、これまでに開発されていませんでした。

今回の研究では、カチオン性界面活性剤(水中で親水基部分が正電荷となる界面活性剤)であるC16TAB水溶液中でのウンデカナールとデカノールを6対4のモル比で混合したマイクロメートルサイズの油滴の挙動を光学顕微鏡により観察しました。その結果、水溶液に塩酸や塩化ナトリウムなどの電解質を少量混合した条件において、数十マイクロメートルの油滴が1秒に数回という高頻度で変形しながら方向転換して泳ぎまわるという,アメーバのような動きをすることを見出しました。

アメーバのように変形しながら泳ぎまわる油滴の連続写真(Taisuke Banno et al, Sci. Rep. 2016, 6, 31292より改変)

変形する油滴周囲では、泳ぐ方向に対して前方よりも後方において著しく強い流れが生じていました。また、ウンデカナールおよびデカノールは顕微鏡観察を行った室温下(約25 度)で液体でしたが、それらを6対4のモル比で混合したものは、混合直後は液体であったものの、数分後には完全に固化しました。このことは、ウンデカナールとデカノールの間に比較的強い分子間相互作用がはたらくことを示しています。分子間相互作用は共有結合と違い、その周囲の環境によって強さが変化します。油滴内部および界面では流れ場が生じているために、油分子どうし、あるいは油分子と界面活性剤分子の間にはたらく分子間相互作用が時間的、空間的に変化して、あるタイミングで前方では結晶のように固くなり、後方では液体のままやわらかいために、相対的に後方において流れが強くなるものと考えられます。その結果として特異な対流構造が形成されるために、油滴はアメーバのように変形しながら泳ぐものと推定しています。

アメーバ様に水中を動く油滴の推定機構。四角内は油滴が泳ぐ方向に対して後方の様子を示している。本現象は油滴の後方に形成される急峻な界面張力勾配により生じる強い流れにもとづく特異な対流構造によるものと推定される。

おわりに

私たちが今回発見した油滴は、水中を泳ぎながら外部から物質を取り込んで、内部で化学反応を進行させて新たな物質をつくりだすこともできます。そのような化学反応を通じて油滴が新たな機能を獲得したり、自らを複製したりするといった、より生命らしいシステムをつくりだすことができれば、非生命と生命の間のミッシングリンクを埋める新たな可能性を提案できると考えています。

また、水中を動きまわるマイクロメートルサイズの微小物体は、自然環境を改善したり、生体内を探索,治療したりするための機能材料としての応用可能性を有していることから注目を集めています。なかでも、水中を動きまわる液滴には、有用物質を含ませて目的の場所まで到達させたり、対象物質を環境中から吸収して回収できるといった高次機能をもたせたりすることができます。したがって、今回発見した油滴の挙動を光照射や化合物の濃度勾配といった外部刺激を用いて制御することができれば、水中で障害物が多く狭い領域でも移動できる化学型探査ロボットとして非常に有用であると考えられます。

この記事を書いた人

伴野太祐
伴野太祐
慶應義塾大学理工学部助教。慶應義塾大学大学院理工学研究科後期博士課程修了後、東京大学大学院総合文化研究科助教を経て、2015年より現職。両親媒性化合物の合成を軸としてコロイド界面化学、超分子化学などの手法を駆使することで、生命らしくふるまう有機構造体をつくりだし、それを有用な材料の開発につなげるべく、精力的に研究を進めています。