水素は何の役に立つ?

水素分子は最も単純な多原子分子で、無色・無臭で地球上では最も軽いガスです。天然にはほとんど存在しませんが、天然ガスや石油を分解することで大量生産されています。理科の実験で水素を燃やした経験がある人もいるでしょうし、最近は水素自動車などのエネルギー源としても注目されているため、水素に関心を持っている人も多いでしょう。

こういった一部の例を除くと水素を使う機会は少ないですが、水素は私たちの生活を支えるとても大切な物質なのです。たとえば、水素と窒素からアンモニアを作るハーバー・ボッシュ法や、不飽和油脂に水素を加えてマーガリンを作る改質など、化学工業のさまざまなプロセスで大量の水素が使用されています。また、医薬品や化粧品などの原料製造でも水素を有機化合物に加える反応が良く用いられています。このように、水素を他の物質に導入する反応(=水素化、水素添加)の技術開発は、化学における重要なトピックであると言えます。

水素-水素結合を切断したい!

水素分子は単純な分子なのですが、その水素−水素結合を切断するのは簡単ではありません。水素−水素結合を切断するのに必要なエネルギーは432 kJ/molで、これは有機物の骨格を作る炭素−炭素間のエネルギーである346 kJ/molを上まわり、共有結合の中でも安定で反応しにくいものに含まれます。水素分子の結合を切断し、反応に使える活性化された状態に変換することを、水素の活性化と呼びます。

現在、水素の活性化反応のほとんどで、白金、パラジウム、ロジウム、イリジウムといった重金属を含む触媒が用いられています。これらの重金属触媒は、とても性能が良く、少量の触媒を加えるだけでさまざまなタイプの水素化反応を実施できます。しかし、これらの重金属は非常に高価ですし、地球に存在する量も限られています。もしこれらの触媒金属が枯渇するような事態になれば、水素を使った化学反応ができなくなってしまうかもしれません。

ユビキタス元素を使った水素の活性化を

そこで、高価・稀少な金属元素の代わりに地球に豊富に存在する安い元素を使った代替技術を開発しようという機運が世界中で盛り上がっています。日本でも「元素戦略」というキーワードのもとに、豊富で環境に優しい元素を「ユビキタス元素」と名付けて、希少元素を代替する研究が活発に行われています。

私たちの研究グループでは、地殻に豊富に存在する典型元素であるケイ素やホウ素、アルミニウムなどの元素を含む有機化合物に関する研究を行っていました。具体的には、これまでになかった化学結合や構造を持った典型元素化合物を作ることと、それらの示す新しい反応や機能の探求です。

たとえば、普通のアルミニウム化合物では、3つ以上の原子がアルミニウムに結合していますが、分子構造を工夫すると、アルミニウムに2個以下の原子しか結合していない「低配位アルミニウム」を作ることができます。私たちは、低配位アルミニウムの中でも、アルミニウムとアルミニウムが二重結合しているジアルメンと呼ばれる化合物の研究をしていました。この化合物は極めて不安定であるため、実際に手に取ることはできませんが、私たちは溶液中でジアルメンを発生させる方法を開発し、ジアルメンと他の分子との反応を調べていました。研究を進めるうちに、ジアルメンを使えば水素分子の活性化ができるのではないか、また、この反応がうまく進行すれば、アルミニウムに水素が結合した「水素化アルミニウム」ができるのではないかと予想しました。水素化アルミニウム化合物は、有機化合物の還元反応などに使えますから、ジアルメンによって活性化された水素を化学反応に利用できると考えたのです。

水素化アルミニウム化合物ができた!

思いたったが吉日ではないですが、早速、ジアルメンと水素との反応を試してみました。幸い研究室には、1気圧の水素ガスを手軽に使える環境があり、高圧水素ボンベを使わずに済んだのも助かりました。ジアルメン自体は手に取ることはできないので、室温でジアルメンを発生させる化合物(「マスクされたジアルメン」と呼んでいます)を、グローブボックスの中でヘキサンに溶かし、ここに水素ガスを風船から吹き込むと、室温で原料の暗赤色が消えて無色の溶液になりました。

ジアルメンを用いた水素分子活性化反応。アルミニウム化合物の安定化のために、非常に大きな置換基(図のAr)が付いている

核磁気共鳴スペクトルや赤外吸収スペクトルといった機器分析法で生成物を調べると、予想した水素化アルミニウム化合物が定量的に生じたことが分かりました。さらに、生成物を結晶化させ、単結晶X線構造解析を行うことで、分子構造を決定することができました。

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単結晶のX線結晶構造解析で決定された、ジ水素化アルミニウム化合物の分子構造。アルミニウムに結合した水素以外の水素原子は示していない

水素が2つのアルミニウムの間を橋架けした二量体になっていますが、このような二量体構造はアルミニウムやホウ素など13族元素の水素化物にはよく見られます。また、アルミニウムに付いている置換基が非常に大きいことが分かりますが、ジアルメンの高すぎる反応性をコントロールして望みの反応のみを起こすためには、このようなナノメートルサイズの置換基を使ってアルミニウム周りを保護する必要があるのです。このような巨大なカバーが付いていると、せっかく得られた水素化アルミニウム化合物が他の分子と反応できないのでは? と危惧しましたが、カルボニル化合物を反応させると室温でC=O二重結合の還元が起こり、水素化アルミニウム化合物に一般的な反応性を持つことが分かりました。

アルミニウムを用いた水素化触媒の開発を目指して

今回の成果は、アルミニウム化合物が水素分子の活性化に有効であることを実証した重要なものと考えていますが、究極の目標である「アルミニウムを用いた水素化触媒の実現」には、多くの課題が残っています。一番難しいのは、水素との反応で消費されたジアルメンを再生することで、水素化触媒サイクルを達成する方法の開発です。その他にも、ジアルメンに代表される取り扱いにくいアルミニウム化合物の安定性を高めて長寿命化させることも必要ですし、現状では数時間程度かかっている水素活性化の反応速度を高めないといけません。こうした課題に対し、私たちの典型元素化学に関する知識・スキルをフル動員することで立ち向かっているところです。

この記事を書いた人

吾郷友宏
茨城大学工学部生体分子機能工学科准教授。東京大学理学部化学科での卒業研究の頃に有機典型元素化学の研究室に配属されて以来、典型元素との縁が続いています。最近は、典型元素の中でもフッ素の特徴を活かした機能性有機化合物の合成を主に研究しています。