古くからの言い伝えは根拠のない迷信であることが多いものですが、一部は真実で、科学的な調査によって裏付けられ、再認識されることもあります。この文章では、「満月の頃に出産数が増える」という言い伝えを真に受けた筆者の研究成果をご紹介したいと思います。

「満月の頃に出産数が増える」という言い伝え

出産を控えて期待と不安でいっぱいの新しいママ・パパにとって、おなかの赤ちゃんがいつ生まれてくるかはとても気になるものです。そんな彼らに、産婦人科の先生や助産師さんたちは「満月の頃に出産数が増える」という昔からの言い伝えをよく口にします。筆者も自分の子供が生まれようとしているときに、病院でこの話を聞きました。「30年にわたる私の看護人生を振り返って、満月の頃に子供が多く産まれるのは間違いない」と老練な看護師さんに豪語され、半信半疑になったものでした。あいにく、筆者の息子は満月に合わせて生まれるということはなかったのですが、その入院中にいつもより分娩が多くて病院が賑わっている日があり、あとで暦を調べてみたところ、たしかに満月の晩だったので驚きました。

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臨月を迎えた妻

 

これまでの研究では否定的だった

そんな出来事があって、この伝承が本当なのか気になった筆者は、関連する学術論文を調べてみました。すると、アメリカ、ドイツ、ブラジルなど、世界中のさまざまな場所で同様の言い伝えが存在すること、1000~2万例の分娩を対象にした大規模な調査が散発的に行われてきたが、月齢周期と出産数との関連は決着がついておらず、今も多くの議論があることが分かりました。むしろ学界では、この伝承に対して懐疑的な意見が主流で、「忙しい日に空を見上げて何もなければ何も感じないが、月が出ていれば印象に残る。これが繰り返されて生まれた迷信なのではないだろうか」という言葉で締めくくられている報告もありました。

しかし、人は栄養状態や社会的環境、遺伝的背景などによるばらつきが大きい生き物です。母親は自分の意思による自由な摂食が可能であるし、複雑な社会的要因によって出産までの間にさまざまなストレスがかかります。周産期の管理方法や分娩誘発剤の使用についても、病院によってまちまちです。ある文献では、「1週間のうち土日の出産数が少なく、金曜日と月曜日の出産数が有意に多い」ことが報告されていますが、これは社会的な影響で出産時期が変動しやすいことを端的に示しており、人のデータを用いた疫学的な研究がいかに難しいかを物語っていると思います。

分娩後すぐのウシの親子
分娩後すぐのウシの親子

牛をモデル動物として着目

そこで筆者は、人より均一なデータの得られやすい牛をモデル動物として用いることを思いつきました。家畜である牛は一様に飼育管理されており、栄養状態や社会的環境に大きなばらつきが生じにくいと考えられます。また、100%人工授精による繁殖管理であるので、遺伝的多様性も人に比べて均一です。人工授精実施日と出産日が記録されているので、妊娠期間を正確に求めることもできます。農家によっては、月光をさえぎる壁や夜間照明のない環境でウシを出産させるため、より自然な状態で分娩したデータを集めることもできます。さらに、後で知ったのですが、実は酪農農家の間にも「満月の頃に牛の出産数が増える」という言い伝えがあるそうです。

本研究では、北海道石狩地区の夜間照明のないフリーバーン(ウシを細かく仕切られた区画に収容して管理するのではなく、比較的自由に歩き回れるスペースに放し飼いにして管理する牛舎の形態のこと)で一様に飼育管理されたホルスタインを対象に、出産日と月齢周期の関係を調べました。2011年から2013年までの36回の月齢周期を調査期間とし、出産日の月齢は気象庁の発表した同日夜の月齢を利用しました。

のべ428頭のホルスタインの出産日と月齢の関係を調べた結果、新月から満月にかけて出産数は徐々に増加し、特に満月の前から満月にかけての3日間は有意な増加がみられました。満月以降は下弦の月3日後まで出産数の低下が認められました。この変化は、初産牛に比べて経産牛で顕著に認められました。人工授精日から算出された分娩予定日が、新月から三日月にあたる出産の妊娠期間は有意に延長し、満月から下弦の月にあたる出産の妊娠期間は有意に短縮していました。以上の結果より、月齢周期と牛の出産との間に関連性があることが統計学的に初めて示されました。

月齢周期と出産数の関係を示したヒストグラム(論文より引用)

次はメカニズムを明らかにしたい

本研究では、この現象のメカニズムまでは明らかになっていません。仮説としては、月による重力、潮の干満、月光による影響などが考えられます。たしかに月齢による重力変化は、潮の干満のような地球規模の質量のものに関して影響をもたらすことが知られています。しかし、月によって変化する重力は地球の重力の30万分の1程度であり、天文学的視野からすれば、極めて質量の小さい人や牛がこの重力変化に反応できるかは疑問が残ります。一方、光の暴露時間が動物の生殖内分泌に影響を与えることは複数の報告があります。なかでもメラトニンというホルモンは、満月が近づくと血中濃度が低下すること、メラトニンの分泌量は妊娠中に増加し、分娩時には激減することが報告されています。現在、筆者は月光によるメラトニンの分泌低下が満月の出産数増加に関与していると仮説を立て、さらなる研究を計画しています。

14日ごろの月
14日ごろの月

さいごに

冒頭に述べたように、本研究は「満月の近づく頃に出産数が増える」という言い伝えをたまたま聞いたことから始まりました。まだ現段階ではロマンチックな「現象論」の域を脱していませんが、研究が進めば、出産メカニズムの深い理解につながり、出産計画の補助や難産治療に役立つ可能性があると考えています。

引用文献

Yonezawa T, Uchida M, Tomioka M, Matsuki N.Lunar Cycle Influences Spontaneous Delivery in Cows. PLoS One. 2016 Aug 31;11(8):e0161735. doi: 10.1371/journal.pone.0161735.

この記事を書いた人

米澤智洋
米澤智洋
東京大学大学院農学生命科学研究科、獣医臨床病理学研究室で准教授をしています。動物の診療や研究を通して生きるしくみを解明したいと思っています。