細胞内ではとっくに自動運転が達成されていた? – 線虫を用いた軸索輸送の研究
神経細胞の軸索輸送とは?
私たちは神経細胞でものを考え、痛みなどの外の世界の刺激を感じ、身体を動かしています。この神経細胞は「細胞体」「樹状突起」そして「軸索」と呼ばれる3つの部分から成り立っています。神経細胞は、軸索の末端にあるシナプス小胞と呼ばれる袋に詰まった神経伝達物質を放出することで、他の神経細胞や筋肉に指令を出します。細胞体は、いわば工場のような役割を持っています。我々の社会で、工場で作られた製品が高速道路や鉄道で消費地まで運ばれるのと同様に、細胞体で作られたミトコンドリアやシナプス小胞のようなオルガネラは、軸索末端まで運ばれていきます。この現象は、軸索輸送と呼ばれます。このように、神経細胞の中には我々の社会と同じような仕組みがあると言えます。
細胞内の運び屋キネシンによる軸索輸送は自動運転
私たちの社会では、高速道路ではトラックが、鉄道では貨物列車が走り回って製品を輸送しています。このトラックや列車の役割を果たすのが、キネシンと呼ばれる生体分子モータータンパク質です。キネシンは、軸索の中にある微小管というタンパク質のチューブをレールにして、軸索の中を末端に向かって動きます。エネルギー源は細胞内にあるATPです。キネシンが動くのに必要な領域を、モータードメインと呼びます。キネシンは、モータードメインを使って微小管上を動き、尾部に荷物を載せることで軸索輸送をしているのです。キネシンは、1985年にイカを使って軸索輸送の研究をしていた研究者が発見しました。イカは軸索が太いので軸索輸送の研究に都合が良かったのです。1992年には、東京大学医学部の廣川信隆教授のグループが、ヒトを含む哺乳類には多数のキネシン遺伝子があることを発見し、キネシンスーパーファミリー(Kinesin superfamily:KIF)と名付けました。それぞれのキネシンの遺伝子にはKIF1A, KIF1B, KIF1C, KIF2A, KIF2B, KIF2C, KIF3A ・・・という具合に順番に名前がついています。今回主役となる上図のKIF1Aは、シナプス小胞の軸索輸送のためのキネシンです。
荷物を積んでいないKIF1Aが軸索内を走り回ってエネルギーを浪費することや、必要もないのに軸索末端に向かって大量のシナプス小胞を輸送することは、エコではありません。KIF1Aにはブレーキが備わっていて、このようなムダが起こらないように制御されています。しかしよく考えてみると、これはとても不思議なことです。人間社会ならば運転手が荷物がきちんと積まれたことを確認して出発します。「製品が足りないから大至急で輸送して欲しい」と依頼を受けた運転手が荷物を運ぶこともあるでしょう。しかし神経細胞内には運転手はいません。人間社会では21世紀になってようやく自動運転の実験が始まっていますが、細胞の中ではとっくの昔に自動運転が達成されていたのです。一体どのような仕組みになっているのでしょう?
線虫が軸索輸送の仕組みを教えてくれる
私はもともとマウスを使ってKIF1Aの研究をしてきました。しかし、シナプス小胞の軸索輸送に異常が起こったマウスは、呼吸のための筋肉を動かす指令がうまく出せず、呼吸困難が原因で生まれてすぐに死んでしまいます。このため、マウスを使ってKIF1Aによる軸索輸送の研究を進めるのは困難でした。そこで私は少し視点を変えて、線虫(C.elegans)という生き物を使って研究することにしました。
線虫は人間とほとんど変わらない神経細胞を持っていて、遺伝子組み換え実験を容易に行うことができます。そのため、線虫は神経細胞を研究するモデル生物として世界中で用いられています。線虫の軸索でもKIF1Aがシナプス小胞を軸索輸送しています。KIF1Aの機能が低下した線虫は、軸索末端のシナプス小胞が不足して動くことができなくなり、丸まったままになります(上図:中央)。しかし、この線虫は死ぬことはないので、解析が可能です。ちなみに、このKIF1Aの遺伝子が欠損した線虫に遺伝子組み換えで人間のKIF1A遺伝子を入れると、線虫は野生型と同じように運動できるようになります(上図:右)。このことから線虫も人間も軸索輸送の仕組みは同じであると言うことができます。
荷物の上にキーが搭載されていてKIF1Aのブレーキが解除される
私たちは毎日、2000匹くらいの線虫を顕微鏡で観察し、軸索輸送が低下している線虫や、逆に活発化している線虫の変異体を探しました。そして狙い通り、KIF1Aのブレーキ機能が壊れている線虫やKIF1Aのブレーキがうまく解除されない線虫を見つけることに成功しました。それらの変異体線虫で起こっている遺伝子の変異や軸索輸送の変化を解析した結果、シナプス小胞の上に載っているARL8という分子がKIF1Aのブレーキを解除することがわかりました。
ARL8自体はKIF1Aがシナプス小胞に結合するのに直接必要ありませんが、車のキーのような働きを持っていると言えます。これで荷物を載せていないKIF1Aがムダに走り回らない仕組みは説明できそうです。荷物となるシナプス小胞の上にKIF1Aのブレーキを解除するARL8というキーが搭載されているため、KIF1Aは荷物を載せない限りは走り出すことがないのです。
シナプス小胞が足りなくなったときに輸送が活発化する仕組みや、KIF1Aがシナプスでシナプス小胞を降ろす仕組みについては今まさに研究中です。これらの謎についても線虫が教えてくれそうです。
軸索輸送の交通渋滞と神経疾患
「KIF1Aが働かないと線虫は運動できなくなる」と書きましたが、人間で同じことが起こると先天性の神経疾患となります。KIF1Aのモータードメインに異常が起こるとシナプス小胞の軸索輸送が滞ってしまい、軸索末端のシナプス小胞が不足します。このため、四肢の麻痺、精神遅滞、感覚神経障害といった病気になります。KIF1Aがノロノロ運転になってしまうことで交通渋滞を引き起こし、正常な軸索輸送まで邪魔するケースもあります。
一方で、KIF1Aのブレーキが壊れた線虫では軸索輸送が過剰になってしまい、シナプス小胞の数やシナプスの位置、大きさなどに異常が起こっていました。今までに見つかっている人間の神経疾患の原因となるKIF1A遺伝子の異常の大部分は、上に述べたようにKIF1Aのモーター機能の低下です。しかし変異型KIF1Aの動き自体は正常にも関わらず、なぜか神経の異常が引き起こされているというケースがあります。「もしかしたら、そういう患者さんのKIF1Aはブレーキに何か異常が起こっているのではないか? KIF1Aが暴走を起こすことで問題を引き起こしているケースがあるのではないか?」と考え、現在解析を進めているところです。
参考文献 :Autoinhibition of a Neuronal Kinesin UNC-104/KIF1A Regulates the Size and Density of Synapses
この記事を書いた人
- 東北大学学際科学フロンティア研究所助教。東京大学理学部生物学科卒業後、東京大学医学系研究科の廣川信隆教授の下で分子モーターの研究を始めました。スタンフォード大学Kang Shen教授の研究室で線虫の扱い方を学んだ後、現職。気がつくと分子モーターとの付き合いが15年以上になっています。軸索輸送や線虫を使った神経細胞の研究に興味を持った学生、一緒に研究したい大学院生、研究者の方は連絡をください。