スポーツイベントがもつ3つのインパクト

ラグビーワールドカップ日本大会が閉幕して、早くも1年以上が過ぎました。ワールドラグビーのビル・ボーモント会長が「おそらく過去最高のラグビーワールドカップ」と称賛したこの大会は、世界中を熱狂の渦に巻き込みました。多くの人々がスポーツの素晴らしさを改めて感じ、勇気や感動を与えられたという人も少なくないのではないでしょうか。このようなスポーツイベントが社会や開催国の住民に与える効果というのは多くの研究者たちの興味のひとつでもあり、スポーツイベントと開催都市住民の関係に関する研究による知見は世界各地で蓄積されています。

そのなかで、特にポピュラーな考え方としては、スポーツイベントのインパクトが挙げられます。スポーツイベントのインパクトは、経済的インパクト、社会的インパクト、環境的インパクトの3つに大別されます。たとえば、スポーツイベントによって、開催都市の経済が活性したり、雇用が創出されること(経済的インパクト)、観光客との交流や自分が住む街への愛着が醸成されること(社会的インパクト)、そしてスポーツイベントによって環境問題への気づきや配慮が醸成されること(環境的インパクト)などと説明するとわかりやすいかもしれません。

これらのインパクトは開催都市住民の幸福感と正の関係を持つというエビデンスが、世界各地で報告されてきました。しかし、ワールドカップのような巨大なスポーツイベントと開催都市住民の幸せに注目した研究はそれほど多く行われておらず、「なぜ」スポーツイベントのインパクトが住民をより幸福にするのかという心理的メカニズムについては、体系的な研究が世界的に実施されていませんでした。

ラグビーW杯2019と開催都市住民の幸福度

私たちは、早稲田大学、ミシシッピ大学(米国)、東海大学の合同チームで研究を行い、ラグビーW杯2019を研究対象として、(1)スポーツイベントの経済的・社会的・環境的インパクトは開催都市住民の幸福感と関係があるのか、そして(2)その心理的メカニズムを「心理的資本」という概念を用いて調べました。

心理的資本とは、楽観性・希望・レジリエンス・自己効力感から構成される概念であり、「困難があっても明日への希望を持ち、柔軟に立ち向かうためのしなやかな心のエネルギー」(以下、しなやかな心のエネルギー)とイメージするとわかりやすいかもしれません。

「スポーツイベントのインパクト」は、経済的、社会的、環境的インパクトの3種類の社会効果から測定し、「心理的資本(しなやかな心のエネルギー)」に関しては楽観性、希望、レジリエンス、自己効力感を測定し、幸福感との関係を調べた。

私たちの研究チームは、大会閉幕直後と閉幕から2か月後に、開催都市住民に対してオンラインアンケート調査を実施しました。調査はラグビーW杯2019の開催都市のなかから、各都道府県の人口比などを考慮して、札幌、横浜、神戸、東大阪などの7都市の住民を対象に行いました。対象者は大会閉会直後のオンラインアンケートにおいて、ラグビーW杯の(1)経済的・社会的・環境的インパクトをどのように感じたかと(2)心理的資本に関する質問に回答し、2か月後の追跡調査では、幸福感に関する質問に回答しました。

大会閉会直後と2か月後の両方のオンラインアンケートに回答した206名の開催都市住民から得たデータをもとにさまざまな統計処理を施した結果、ラグビーW杯2019が開催都市にもたらした経済的・文化的・環境的インパクトが開催都市住民の「心理的資本」を醸成し、結果として高い幸福感が得られたという心理的メカニズムを明らかにしました。

さらに、スポーツイベントのインパクトのなかでも、文化的インパクトと心理的資本の関係がとりわけ強いことから、開催都市住民の「しなやかな心のエネルギー」は、観光客との交流による新しい学びの機会や、おらが街への愛着の醸成といった、スポーツイベントの社会的インパクトの影響が大きいことが示唆されました。

ラグビーW杯日本大会の会場にもなったラグビーの聖地花園

スポーツイベントが醸成する「しなやかな心のエネルギー」の可能性

本研究では、スポーツイベントを開催することにより住民の幸福感の醸成とそのメカニズムを説明しました。全国都道府県市区町村は、魅力的なスポーツイベントを誘致することで、住民の「しなやかな心のエネルギー(心理的資本)」を醸成でき、結果として幸福感の向上も期待できます。

現在、新型コロナウイルスの感染拡大により数々のスポーツや文化的イベントが延期・中止を余儀なくされています。スポーツは人々の生活をより良いものにする力を持っていますが、「生きるための必需品」ではないかもしれません。しかし、またいつか、多くのスポーツイベントを開催できる日が来たときには、都道府県市区町村の方々に、ぜひスポーツの力を活用していただき、より幸福な社会の構築に役立てていただきたいと思います。

スポーツを“道具”として人々や社会の発展のために活用することは、スポーツに関わる人たちだけでなく、社会全体に対して、「しなやかな心のエネルギー」を醸造することを通してより多くの人々の心をより豊かにしてくれる可能性を秘めていると考えられます。

まとめと展望

本研究プロジェクトでは、大会閉幕2か月後に住民への追跡調査を行い、幸福感を測定しました。スポーツイベントのインパクトと心理的資本が、2か月後の住民の幸福感に好影響を与えることは解明されましたが、半年後、1年後、そして数年後まで、スポーツイベントが幸福感にもたらす影響が持続するとは限りません。

今後の研究課題としては、より長い時間をかけた縦断的研究をすることで、スポーツイベントと幸福感の関係性を詳細に説明していく必要があります。 さらに、今回の研究では、ワールドカップ開催前のデータを取得することができなかったことから、開催の前後での変化を比較できなかったということが課題としてあげれます。

今年は、東京オリンピックが開催されるので、可能であれば、弊研究室で大会の前後において調査を実施し、オリンピックというメガスポーツイベントが日本国民にどのような影響を与えたのかということを検証できればと考えています。

参考文献
Sato, S., Kinoshita, K., Kim, M., Oshimi, D., & Harada, M. (2020). The effect of Rugby World Cup 2019 on residents’ psychological well-being: a mediating role of psychological capital. Current Issues in Tourism, 1-15.
DOI: https://doi.org/10.1080/13683500.2020.1857713

この記事を書いた人

木下 敬太, 佐藤 晋太郎
木下 敬太, 佐藤 晋太郎
木下 敬太
早稲田大学スポーツ科学学術院助教&Sport X Management Labリサーチプロジェクト総監督。University of OttawaにてPh.D.取得。心理学と統計学を使ったアプローチで「スポーツを通した人々と社会の発展」を目指し、日々研究活動に従事している。現在は、カナダ防衛省やコモンウェルスゲームフェデレーション、国際オリンピック委員会(IOC)とのプロジェクトも筆頭著者として主導しており、国際的主要学術誌への論文発表や国際学会でのプレゼンテーションも積極的に行い、科学と現場をつなぐ架け橋となることを目指している。趣味は、お笑い、温泉、ガーデニング。

佐藤 晋太郎
早稲田大学スポーツ科学学術院准教授&Sport X Management Lab主宰。北海道教育大学卒業、早稲田大学修士課程修了、University of FloridaでPh.D.取得。その後、米ジョージアサザン大学助教授、米モンクレア州立大学ビジネススクール助教授、米ニューヨーク市立大学バルーク校ビジネススクール客員研究員、オタワ大学Ph.D.指導教授を経て、現職に至る。数々の研究プロジェクトに従事し、国際的主要学術誌に多くの論文を発表している。世の中のさまざまな課題(ビジネス、健康、教育)を、スポーツの力を上手に活用して解決していくことをライフワークとしている。趣味は漫画を読みながらビールを飲むこと。