有機ヨウ素化学で分子合成を切り拓く! – 誰もが簡単に使える合成ツールを目指して
ヨウ素は日本の誇る天然資源
日本は天然資源に乏しい国といわれています。たとえば、電子機器に不可欠なレアメタルやエネルギー資源である石油がないという問題は、一般ニュースでも頻繁に扱われる題材となっています。そのような貧資源国である日本が、世界的にみても主要な産出国となっている数少ない天然資源がヨウ素です。世界産出量のおよそ30%を日本が担い、そのうちの7割強は千葉県にある南関東ガス田で産出されています。すなわち千葉県は世界のヨウ素需要の4分の1を担っているということになります。
このヨウ素は、人々の生活にとって欠くことのできない重要な元素です。甲状腺ホルモンの生合成に必要な生体必須元素であり、不足するとヨウ素欠乏症を引き起こします。また化学的に合成されたヨウ素化物としてはポビドンヨードのような殺菌剤、また画像診断検査で使うX線造影剤などが健康な生活の維持に役立っています。また液晶ディスプレイの偏向フィルムのように電子機器にもヨウ素が使われています。さらにこの10年あまりは、ペロブスカイト太陽電池に使われる元素としても注目が高まっています。
有機ヨウ素化学で何をやるか?
千葉大学では、この元素の活用を図る研究施設として千葉ヨウ素資源イノベーションセンターを2018年に開設しました。私たちの研究室は、そのなかでヨウ素を使った有機化学的手法を展開するグループとして活動しています。この「有機ヨウ素化学」は、日本の大学研究者が何十年も前から世界を先導してきた研究分野で、その叡智をさらに発展させて医農薬品開発の現場で実践できるような新反応技術の創出に取り組んでいます。
今回の研究では、あまたの構造が市販品として入手可能なアルケンの炭素―炭素二重結合に、窒素と酸素を付加させるアミノオキシ化反応に着目しました。このアルケンのアミノオキシ化では、1,2-アミノアルコールという小分子医薬品の世界売上上位20品目のうち8品目に含まれる基本構造を、極めて明快な合成戦略で作ることができます。
しかしこの反応形式では、窒素と酸素がアルケンに付加する方向によって、位置選択性・ジアステレオ選択性・エナンチオ選択性という3つの選択性が存在し、最大で計8種類の構造異性体が生じ得ます。このなかで必要な1種類を選択的に合成することが非常に困難な課題となります。
ヨウ素でオスミウムを超えられるか?
この四半世紀のあいだ、アルケンのアミノオキシ化というと、ノーベル賞受賞化学者であるシャープレスらが1996年に発表したオスミウム触媒による不斉アミノヒドロキシル化が代表例でした。しかしながら、大学の研究室レベルでは大変使い勝手のよい反応であるものの、触媒として用いる酸化オスミウムには高い毒性があり高価であるため、会社での医薬品開発に実装できる技術とはなっていません。また生成物として2種類の位置異性体混合物が得られることも解決できていない課題です。
一方で、ヨウ素にもオスミウムと似たような触媒機能が備わっており、アルケンの炭素―炭素二重結合に対して窒素ふたつ、酸素ふたつのように同一のヘテロ元素を立体選択的に導入する反応については触媒として機能することが、この10年あまりの先行研究によりわかっていました。もしこの触媒機能をうまく使って、窒素と酸素という異なるヘテロ元素をひとつずつ正確に導入することができれば、オスミウム触媒を使ったシャープレス不斉アミノヒドロキシル化反応を置き換える実用的手法になると期待されます。
私たちがこの「有機ヨウ素触媒を用いた分子間不斉アミノオキシ化反応」に取り組むにあたり最初に考えたのは、既存の触媒や試薬の組み合わせを調べるだけでは実現不可能であろうということです。もしそうであれば、すでにほかの研究者が実現していたはずです。そのことを踏まえ着目したのが、アルケンに付加させる窒素および酸素の供給源となる反応試薬の分子デザインです。
新たな試薬デザインがブレイクスルー
窒素と酸素という2つのヘテロ元素を順番に導入するには、この2つの元素をひとつの分子内に適切に配置した試薬が必要となります。かつこの有機ヨウ素触媒によるアルケンへのヘテロ元素導入の反応機構を考慮して、高い求核性と酸性度という一見矛盾する性質を有していることも条件です。
そのような試薬として目を付けたのが、有機合成化学でこれまで使われたことのない新しい反応試薬N- (フルオロスルホニル)カルバミン酸エステルです。非常に簡単な構造でこれまで誰も使ってこなかったことが不思議ですが、ぱっと見でこの化合物が安定だとは思えないことが一因ではないかと推察しています。実際には簡単に数十グラムスケールで合成することができ、室温空気下で置いておいても非常に安定な試薬です。
この私たちの開発した試薬と、これまで日本の有機化学者を中心に築かれてきた有機ヨウ素触媒化学を組み合わせることにより、実際にアルケンの不斉アミノオキシ化反応を試みました。数百にのぼる反応条件を検討した結果、脂肪鎖または芳香環で修飾された一置換および二置換アルケンを高位置・ジアステレオ・エナンチオ選択的にアミノオキシ化できる触媒系を見つけることに成功しました。
このアミノオキシ化反応生成物は、塩酸溶液で加熱するのみで脱保護され、容易に1,2-アミノアルコールに変換することができます。この結果により上述の課題を解決できたのはもちろんのこと、私たちの開発した手法にはもうひとつの大きな利点があります。それは実験操作の簡便さです。アミノオキシ化と脱保護の一連のプロセスはすべて空気下で安定な試薬を混ぜるだけで行うことができ、極低温や高温も必要ありません。
最後に、これまでの先行研究の知見に基づいた触媒サイクルを説明します(下図)。ヨウ素触媒Iは一価の状態から反応系中に加えられた酸化剤(Selectfluor®またはモノペルオキシフタル酸マグネシウム六水和物を使用)によって三価のヨウ素種IIへと変換されます。続いてこの三価ヨウ素種は試薬であるN-(フルオロスルホニル)カルバミン酸エステルとリガンド交換を起こし、反応活性種IIIを生じます。この活性種がイオン対として解離したヨードニウムイオンカチオンにアルケンが配位し(IV)、対アニオンとして存在するカルバミン酸エステルアニオンがそのアルケンに付加することで三価のアルキルヨウ素種Vとなります。最後にカルバミン酸エステルのベンジル基が外れながら、生成物が得られると同時にヨウ素触媒は一価へと還元されます。
まとめと展望
今回の研究では、日本の誇る資源であるヨウ素の触媒としての力量を活用することによって、医薬品で重要なビルディングブロックである1,2-アミノアルコールを高効率で作るオスミウム触媒にとって代わる手法を実現できました。そのポイントは目的物であるアミノアルコールの窒素および酸素の供給源となる新たな試薬の開発でした。アルケンの炭素―炭素二重結合に窒素と酸素を選択的に導入する合成戦略は極めて明快で反応操作も簡単なため、だれにでも実践できる合成手法となりました。
有機化学はその始まりといわれるヴェーラーの尿素合成から2世紀あまり発展を続け、成熟の域に達しつつあると考えられています。しかしこの2世紀積み上げた技術には、安全性やコストの面から特定の研究室でしか実施できないものや、操作手順が煩雑で熟練した有機化学者でしか実践できないものがたくさんあります。
これからの有機化学は、このような障壁を取り除き、他分野の産学研究者が自在に必要な分子を合成して研究を推進できるような合成ツールを提供することが重要になると考えています。私たちは、有機ヨウ素化学がその大きな目標を達成するために欠かせない元素であることを引き続き実証していきたいです。
参考文献
・Wata, C.; Hashimoto, T. “Organoiodine-Catalyzed Enantioselective Intermolecular Oxyamination of Alkenes” J. Am. Chem. Soc. 2021, 143, 1745.
https://doi.org/10.1021/jacs.0c11440
・海宝龍夫「トコトンやさしいヨウ素の本」(日刊工業新聞社、2015年)
・The Njardarson Group “Top Pharmaceuticals Poster”, https://njardarson.lab.arizona.edu/content/top-pharmaceuticals-poster
この記事を書いた人
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2001年京都大学理学部卒業。2006年京都大学大学院理学研究科化学専攻博士課程修了。同博士研究員を経て2007年京都大学大学院理学研究科化学専攻助教。2017年より千葉大学大学院理学研究院化学研究部門特任准教授。
専門:有機化学
研究室ホームページ:https://ciric.chiba-u.jp/hashimotolab/index.html