鉄の表面の磁性はどうなっているか?

磁石といえば多くの人が鉄を思い浮かべると思います。鉄は強磁性を示す代表的な金属であり、有史以来人類が磁石として利用してきたものです。ところが、鉄の表面付近で磁性がどうなっているか、その真実は明らかではありませんでした。

鉄が磁石になっているのは、鉄の結晶を構成する原子自身が磁力を持っているからです(原子磁石)。磁石はその外側に磁力を及ぼすと共に、その内側にも強い磁力が働いています。内側の深部では、原子磁石の磁力(磁気モーメント)の強度は一定で、向きは平行に揃うことがよく知られています。一方、表面では原子磁石の並びが寸断されるため、表面から原子数層ほどの深さまでは、深部とは異なる磁性が現れることが考えられます。

鉄を構成する原子磁石の磁力(磁気モーメント:緑の矢印)は、深部では、大きさが一定で、向きが平行に揃っていることは良く知られている。一方、原子磁石の並びが寸断された表面付近の磁性の変化はこれまで未解明であった。一般に、鉄原子の中では、電子の自転(スピン)により原子磁石の磁力(磁気モーメント)と原子核位置での内部磁場が互いに逆向きに生み出される。鉄の表面付近においては、この電子スピンの状態が深部と大きく異なるために表面磁性が異常な振る舞いを示す。

表面付近の磁性を実際に観察することは非常に困難です。まず、鉄の最表面から原子一層レベルで深さごとに磁性の違いを識別できる計測法が必要です。また、鉄は大変錆びやすい、つまり、酸化しやすいため、超高真空中で酸化を抑えた清浄な表面を調べる必要があります。この二重の困難さのため、これまでに鉄の表面付近の磁性の観察に成功した例はありませんでした。

そこで、私たちは、放射光源を用いたメスバウアー分光法を利用して金属薄膜の清浄表面を一原子層単位で調べる新しい計測技術を開発して、鉄の表面磁性の謎の解明に挑戦しました。

鉄の表面を一原子層単位で磁気構造解析する

今回の測定に利用したメスバウアー分光法は、特定の波長を持ったX線を材料に照射して、 そのX線を共鳴吸収する元素の磁性を調べる方法で、原子磁石の中の原子核の位置での「内部磁場」を計測することができます。この「内部磁場」と原子磁石の磁力(磁気モーメント)は、いずれも原子の中にある電子の自転(スピン)により互いに逆向きに生み出されるものであり、「内部磁場」を計測することを通して原子磁石の磁性を評価できます。

また、メスバウアー分光法には同位体(元素としては同一でも原子核の質量が異なる)を識別できる他手法にはないユニークな特徴があります。鉄の場合、同位体57Feは波長が0.86 ÅのX線を共鳴吸収しますが、同位体56Feは吸収しません。この特徴を活かせば、真空蒸着装置で照射するX線に対して共鳴吸収を起こさない鉄の同位体56Feからなる鉄薄膜をまず作製し、表面付近の注目する一層だけに共鳴吸収を起こす鉄の同位体57Feを埋め込んだ試料を用意して、それらのメスバウアースペクトルを測定することにより、注目する原子層の磁性を計測できます。

同位体置換試料を用いた原子層分解磁気構造解析法。この方法では、照射するX線に対して核共鳴吸収を起こさない鉄の同位体56Feからなる鉄薄膜について、注目する一層だけに核共鳴吸収を起こす鉄の同位体57Feを埋め込んだ試料が用意される。この試料から、注目する原子層の吸収スペクトルが得られる。スペクトルは典型的には右図の形状をしており、ピーク間隔等のパターン解析から原子核位置での内部磁場が決定される。

ところが、従来のメスバウアー分光法では、指向性がまったくない放射性同位体を線源に用いるため、超高真空という特殊な環境下で、薄膜中のわずか一原子層の57Feのスペクトルを観測することは極めて困難です。

そこで、この実験では、大型放射光施設(Spring-8)の量子科学技術研究開発機構の専用ビームラインで独自に開発した高強度で指向性の良い放射光メスバウアー線源を用いました。放射光メスバウアー線源は、57Fe同位体を富化した磁性体結晶の核共鳴線だけを反射するX線の回折現象を利用して、放射光から57Feに共鳴する波長のX線だけを分光学的に取り出します。その輝度(明るさ)は、一般的な放射性同位体メスバウアー線源の10万倍以上もあり、X線集光装置でマイクロビーム化して利用することで、鉄の表面付近を集中的に観察できます。

これに加えて、酸化を抑えた清浄な鉄の表面を測定するために、10-9 Pa(大気の100兆分の1の圧力)に至る超高真空下で測定できるシステムを構築しました。このシステムでは試料搬送容器を、超高真空下で原子層を一層ずつ積み上げて薄膜試料作製ができる装置に組み込むことができます。また、薄膜試料作製後はこの試料搬送容器を切り離して、超高真空を保ったまま放射光メスバウアー分光装置にドッキングさせることができます。こうして、注目する原子層に同位体を埋め込んだ鉄薄膜試料の清浄表面を放射光メスバウアー分光法で測定できるようになりました。

原子層分解磁気構造解析システム

暴かれた鉄の表面磁性

我々は、表面から1層目、2層目、3層目、4層目、7層目に同位体57Feを埋めこんだ5種類のFe(001)薄膜試料を用意して調べました。その結果、表面第1層の内部磁場の大きさは深部での値(バルクの値)に比べて15%も小さくなっている一方で、第2層目では深部よりも8%大きくなる、第3層目では振れ幅は抑えられるが再び深部より3%小さくなる、第4層目ではわずかではあるが深部より大きくなる、というように内部磁場が原子一層ごとに振動的に増減していることを明らかにしました。また、第7層目では、深部(バルク)の原子磁石と同じ強さになっていることがわかりました。

さらに我々は詳細な理論計算を行うことで、この振動が約40年前に理論的に提案されていた「磁気フリーデル振動」と呼ばれる現象であることも突き止めました。鉄の表面付近に磁気フリーデル振動が誘起されると、原子磁石(磁気モーメント)の強度は、一原子層ごとに内部磁場と逆パターンで増減します。このため、私たちが体感できる鉄の磁力、すなわち、原子磁石の強さは、表面の第1層では内部よりも強く、第2層目では内部よりも弱くなり、このプロセスを繰り返すことで、鉄表面の磁力が一原子層ごとで振動的に強弱することがわかります。このように鉄の表面では非常に複雑な磁性の変化が起こっていることが初めて実験的に明らかにされました。

鉄の表面で生じる磁気フリーデル振動の模式図。理論上、原子磁石(磁気モーメント)と原子核位置に発生する内部磁場の強度は一原子層ごとに逆パターンで増減する。

一原子層単位の観測技術の可能性

この研究により実用化された一原子層単位での局所磁性探査技術は、材料表面のごく近傍だけでなく、より深い部位まで一原子層の深さ分解能で観察できるという大きな特長があり、磁性材料など異なる材料をナノメートルスケールで積層した多層膜の各層の内部や界面の局所磁性の分析に活用できます。

今のところ、計測対象となる元素は鉄ですが、磁気デバイスやスピントロニクスデバイスは鉄を含むものが大多数であるため、広範な応用が可能です。特に、スピントロニクスデバイスにおいては、デバイス内の多層膜に含まれる厚さが数nm程度の磁性層や各層の界面付近など、原子層スケールの領域の磁性がデバイスの機能や性能に大きな影響を与えるため、本技術により狙った領域の局所磁性を見極めることで、新しい磁気現象の発見やそれを用いた先進的な磁性薄膜材料の開発に繋がることに期待が持てます。

あとがき

この研究は、磁性多層膜の界面部の局所磁性探査を行うための計測機器の開発を目的として進めていたもので、当初から鉄表面の磁気フリーデル振動の検証を目指したものではありませんでした。機器の性能試験段階で、最も簡単な系であるFe(001)薄膜の表面磁性の評価を行ったところ、層別内部磁場の強度が振動的に変化していることに気づき、驚きました。

表面の欠陥、酸化や磁気緩和が原因ではないかと思い、成膜条件や測定温度を変えて追実験を行いましたが現象が再現するので、磁性薄膜のメスバウアー分光法に詳しい専門家との意見交換や過去文献の調査を行いました。この調査過程で、観測している現象が40年前に理論的に予言されていたFe(001)表面付近に生じる磁気フリーデル振動であることに確信を持ちました。

その後、共同研究者と成膜条件を最適化した追実験と理論計算を行い、両者の結果が良く一致することを確認することで、Fe(001)表面付近に生じる磁気フリーデル振動の存在を検証することができました。この研究は、意図せず行った実験が興味深い物理現象の解明につながることもあるという物性研究のおもしろい一面を実感させてくれました。

参考文献
T. Mitsui, S. Sakai, S. Li, T. Ueno, T. Watanuki, Y. Kobayashi, R. Masuda, M. Seto, and H. Akai. Magnetic Friedel Oscillation at the Fe(001) Surface: Direct Observation by Atomic-Layer-Resolved Synchrotron Radiation 57Fe Mössbauer Spectroscopy. Phys. Rev. Lett. 125, 236806 (2020). DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.125.236806

この記事を書いた人

三井 隆也
三井 隆也
量子科学技術研究開発機構 量子ビーム科学部門 関西光科学研究所 放射光科学研究センター 磁性科学研究グループ・上席研究員
東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻博士課程修了、工学博士。
1996-2005: 日本原子力研究所・放射光科学研究センター、2005-2016: 日本原子力研究開発機構・量子ビーム応用研究部門、2016-2020: 量子科学技術研究開発機構 量子ビーム科学部門 放射光科学研究センター 磁性科学研究グループ・上席研究員。放射光メスバウアー分光の開発研究に従事。