脳があるから眠るのか?

睡眠は私たちにとって欠かすことのできない生理現象のひとつです。生物は睡眠をとることで、身体を休養させ、心身のメンテナンスを行っています。睡眠不足になると、疲労が溜まり、考えがまとまらなくなるといった体力や集中力の低下が起こります。

睡眠はヒトをはじめとする高等哺乳動物にのみ与えられた生理現象ではありません。爬虫類や魚類などの脊椎動物にくわえ、ショウジョウバエなどいわゆる下等動物にすらその存在が確認されています。では、動物の睡眠の起源は一体どこまで遡れるのでしょうか?

睡眠の起源を遡るうえで重要なキーワードがあります。それは「脳」です。睡眠は脳によって制御され、脳機能の維持や安定性に深く関わっていることが、多くの研究結果からわかっています。言い換えると、睡眠と脳は密接に関与しているため、お互いに切り離せない関係性になっています。

一方で、脳は動物の進化過程で獲得された器官です。では、睡眠は動物が脳を獲得した際に生じた生理現象のひとつなのでしょうか? もしくは、脳を持たない動物に存在していた睡眠が進化的に脳に集約されていったのでしょうか? これらの謎を明らかにするため、私たちは、進化的に脳を獲得する以前の動物である刺胞動物の「ヒドラ」に着目して研究を開始しました。

脳を持つ動物と持たない動物(一部画像をBioRenderより引用)

ヒドラは刺胞動物の一種であり、体長は1cm程度の小型の水棲動物です。とてもシンプルな体構造を持ち、神経細胞はありますが、脳はありません。再生力が高く、体を切断しても元に戻る性質があります。そのため古くから再生の実験モデルとして研究に重宝されてきました。飼育も簡便であり、実験を行ううえで役立つ科学的知見も多く蓄積しています。そのため、睡眠の進化的側面を検証していくうえで、有益なモデルになるのではないかと私たちは考えました。

ヒドラ

脳のないヒドラも眠るのか?

ヒトやマウスなどの高等脊椎動物が寝ているかどうかの正確な判定には、脳波や筋電図を用います。しかし、ショウジョウバエなどの小型生物では脳波の測定は困難です。そこで、「行動をベースとした睡眠の定義の確認」を実施することで、その生物が寝ているのかどうかを判定していきます。そのため、ヒトなどのいわゆる睡眠とは区別し、睡眠様状態と呼ばれます。しかし、ショウジョウバエなどの睡眠様状態とヒトやマウスなどの高等脊椎動物の睡眠のあいだには、その制御因子やメカニズムにおいて類似点が多く、睡眠様状態も睡眠研究のモデルとして多くの研究者に利用されるほどです。

そこで私たちもヒドラの行動解析からヒドラが寝ているかどうかの判定を実施することにしました。以降は便宜上、睡眠様状態も睡眠と表記していきます。ヒドラを16mm × 16mmの容器に入れ、5秒ごとにカメラで撮影します。t秒に撮影した画像と、t+5秒に撮影した2つの画像を比較し、画像間の差を検出します。これにより、2つの画像間に差が生まれた場合を活動状態、差がない場合を静止状態と区別することができます。

画像によるヒドラの静止状態の判定

しかし、この静止状態がそのまま睡眠というわけではありません。なぜなら、動いていないという指標だけでは、眠っているのか(睡眠)、あるいは単に活動を止めているのか(休息)の判断ができないからです。そこで、このシステムを用いてヒドラの行動観察を行い、先ほど述べた「行動をベースとした睡眠の定義の確認」を実施していきます。重要な点は次の4つです。

 1:概日周期性
 2:感覚機能の低下
 3:可逆的な行動静止
 4:恒常性

一般的に休息は昼夜を問いません。疲れたら短時間だけ休みます(行動がある程度停止)。一方で、昼行性の動物であれば夜間にまとまった睡眠をとり、夜行性であればその逆になります。たとえ肉体的にまったく疲れていなくても睡眠は現れます。このように睡眠は概日リズムの支配を受けることが知られています。そこでまず私たちは、ヒドラの行動周期を調べました。明期12時間・暗期12時間の明暗サイクル条件を人工的に作り出し、その条件下でヒドラの動きを測定しました。3日間測定を続けたところ、ヒドラの行動は明期で多く、行動の静止は暗期に多く見られました。つまり、ヒドラは典型的な昼行性の動物の行動周期を示すことを発見しました。

次に先ほど発見した行動の周期性に、感覚機能の低下、可逆的な行動静止が内在しているのかの確認をしました。ヒトを例にすると、目をつぶっているだけのときに軽く体を揺すられると、それに気づくと思います。一方で、眠っているときに先ほどと同じ強さで体を揺すられても、気づかないと思います。これが感覚機能の低下です。しかし、強く体を揺すられると、寝ていたとしても起きてしまうと思います。これが可逆的であるということです。

私たちはこれら現象の確認のため、光とグルタチオンという化学物質の2つを刺激として使いました。まず、ヒドラが静止中に光パルスを与えました。すると、静止時間が20分未満の場合には、ヒドラは光に即座に反応して行動を開始しました。一方で、静止時間が20分以上の場合には光に反応しづらく、行動を開始するまでに時間がかかりました。つまり、20分以上の行動静止はただの静止ではなく、質的に異なる静止状態に移行しているということが推測できます。また、行動静止中にグルタチオンを添加したところ、光のときと同様に、20分以上の静止時間では反応性が劇的に低下していることも観察できました。一方で、刺激の強度をあげると、20分以上の静止時間であってもすぐに反応しました。これらの実験結果から、20分以上の静止時間がヒドラの睡眠に相当する可能性が浮上しました。

ヒドラの光とグルタチオンに対する応答

最後に、20分以上の行動静止を睡眠と仮定して、恒常性を確認しました。先ほどと同様にまずヒトでたとえます。勉強、ゲーム、飲み会などで夜更かしをしてしまったときを思い出してください。次の日の朝、強い眠気に襲われた記憶はないでしょうか? これが恒常性です。不足した睡眠量を補うように体が反応しているわけです。夜間に機械刺激を与えてヒドラの睡眠を阻害しました。その結果、次の日の朝は睡眠量が上昇しました。その日の夜は通常の睡眠量に戻ったことから、不足した睡眠量が朝寝ることで補われたということです。別の断眠方法として、夜間にヒドラを高温に晒しました。ヒトでいうところの、寝苦しい夏の夜を再現したわけです。結果は機械刺激と同様に、次の日の朝に睡眠量が上昇しました。これらの定義に則した一連の実験結果から、ヒドラは眠るという紛れもない科学的な証拠を得ることができました。

ヒドラの睡眠は私たちの睡眠と類似点が多い

ヒドラに睡眠が存在していることはわかりましたが、それは私たちの睡眠と同様のシステムを備えているのでしょうか? この疑問を検証するために、私たちはすでに睡眠への影響が知られている生理活性物質を用いて、ヒドラの睡眠がどのように変化するのかを調べました。

睡眠ホルモンとして知られるメラトニンや、睡眠を促進する作用のあるGABAをヒドラに投与したところ、睡眠が促進されることが明らかになりました。また、ヒトでは覚醒促進因子として知られるドーパミンを投与したときも、睡眠が促進されることがわかりました。このように、一部に作用の相違はあるものの、ヒドラでも他の生物で睡眠に影響している物質が作用していることが明らかになりました。

次に、断眠させたヒドラでの遺伝子発現変化を解析しました。発現量が変化した遺伝子には、他の生物で睡眠に関連しているとされるものが多数含まれていることが判明しました。そのひとつであるcGMP依存性プロテインキナーゼ(PRKG1)に関しては、他の生物と同様に、ヒドラの睡眠を制御していることが私たちの薬理学的実験から実証されました。

私たちはヒドラをモデルとして睡眠研究を発展させることができるのではないかと考え、発現量に変化が生じた遺伝子群から新規の睡眠制御因子の検索を開始しました。種間で保存性がある新規睡眠制御因子の発見を目指し、ショウジョウバエを導入してスクリーニングを実施し、これまでに複数の候補因子を発見することができました。

以上のことから、睡眠に影響する生理活性物質や関連遺伝子はヒドラや他の生物で保存されており、動物が脳を獲得する以前から睡眠制御システムの一部はすでに存在していることが判明しました。

なぜヒドラが眠るようになったのか?

高等脊椎動物における睡眠の大半の役割は、脳機能に関与していると言っても過言ではありません。では、どうしてヒドラには睡眠があるのでしょうか? 私たちは動物に普遍的に備わる機能である細胞分裂に着目しました。機械刺激によってヒドラを断眠させると、細胞分裂が抑制されていることが明らかとなりました。加えて、私たちが発見したヒドラ睡眠制御因子に作用する複数の化学物質で断眠させたときも同様に、細胞分裂は抑制されていました。つまり、機械刺激自体やその化学物質特有の現象ではなく、断眠によって細胞分裂が抑制されている証拠が得られました。これらの結果から、睡眠は脳機能を安定させるために獲得した現象ではなく、もともとは成長や繁殖などを促進するために獲得した現象である可能性が示唆されました。

おわりに

私たちは「睡眠の起源がどこにあるのか?」という問いをきっかけとして、刺胞動物のヒドラをモデルとして実験を開始しました。実は、私たちがヒドラの睡眠研究を開始して間もなく、同じ刺胞動物のサカサクラゲに睡眠がある可能性が報告されました。そのため、私たちの論文が「睡眠が脳を獲得するよりも先に存在していた」と世界で初めて提唱したわけではありません。しかし、本研究により、睡眠の起源が脳よりも先にあることがより強固になり、さらにはそのメカニズムも私たちの睡眠と共通していることを明らかにすることができたと確信しています。

また、興味深いことに、ヒドラは脳だけでなく、睡眠の概日周期性を制御する時計遺伝子もありません。つまり、ヒドラは明るいときに起き、暗いときに寝るというとてもシンプルな睡眠・覚醒を示します。脳と時計遺伝子の両方を欠いた動物にすら睡眠が存在するということは、私たちが世界に先駆けて発見した成果です。

ヒドラは飼育管理面やこれまでの科学的知見において他の刺胞動物よりも扱いやすいという大きな利点があります。ヒドラと他の生物の睡眠の類似点、相違点をより多角的・包括的に解析していくことで、睡眠がなぜ、どのように動物に宿ったのかを解き明かすことが今後の目標です。

参考文献
・R.D. Nath, C.N. Bedbrook, M.J. Abrams, T. Basinger, J.S. Bois, D.A. Prober, P.W. Sternberg, V. Gradinaru, L. Goentoro*. “The Jellyfish Cassiopea Exhibits a Sleep-like State.” Curr. Biol. 27(19), 2984-2990.e3, 2017
・H.J. Kanaya, Y. Kobayakawa, and T.Q. Itoh*. “Hydra vulgaris exhibits day-night variation in behavior and gene expression levels.” Zoological Lett. 5, 10, 2019.
・H.J. Kanaya, S. Park, J. Kim, J. Kusumi, S Krenenou, E. Sawatari, A. Sato, J. Lee, H Bang, Y. Kobayakawa, C. Lim*, and T.Q. Itoh*. “A sleep-like state in Hydra unravels conserved sleep mechanisms during the evolutionary development of the central nervous system.” Sci. Adv. 6 (41), eabb9415, 2020. DOI: 10.1126/sciadv.abb9415

この記事を書いた人

佐藤 文, 金谷 啓之, 伊藤 太一
佐藤 文, 金谷 啓之, 伊藤 太一
佐藤 文(写真左)
九州大学基幹教育院技術専門職員。
2002年3月、九州大学大学院生物資源環境科学府修了。修士(農学)。2002年4月より現職。伊藤、金谷らと共に、ヒドラの睡眠行動実験を実施しています。

金谷 啓之(写真中)
東京大学大学院医学系研究科医科学専攻 修士1年。
2020年3月、九州大学理学部生物学科卒業。学士(理学)。2019年度優秀学生顕彰学術分野大賞など受賞多数。学部2年生からヒドラを用いた概日リズムや睡眠の研究を開始し、その成果をScience Advances誌などに発表。現在は、東京大学大学院で哺乳類の眠りの謎に挑んでいます。

伊藤 太一(責任著者/写真右)
九州大学基幹教育院自然科学実験系部門 助教。
2012年3月、九州大学大学院システム生命科学府博士課程修了(日本学術振興会特別研究員DC1)。博士(理学)。ノースウェスタン大学博士研究員、九州大学大学院理学研究院生物科学部門助教を経て2017年4月より現職。ショウジョウバエを用いた概日リズム研究を主に行ってきましたが、現職就任を契機として、ヒドラを用いた概日リズム・睡眠研究も独自に展開しています。