日本文化に特有の「間」が脳機能に与える影響とは? – 音楽と脳の関係を科学的に探求する
音楽と脳の関係とは?
脳は音楽をどのように聴いているのでしょうか? 近年、世界中の研究機関によってこの疑問が徐々に解き明かされつつあります。音楽は言語のように、その地域特有の文化を象徴しますが、それと同時に、地域や言語に関わらず誰でも享受することのできる「世界共通言語」でもあります。このように、言語の発達的起源を理解をするうえでも、音楽と脳の関係は重要なテーマとなっています。
たとえば、特別な音楽教育を受けてきたような音楽家は脳の聴覚機能が発達しており、それに伴って言語聴覚機能も向上すると報告されています。しかし、これまで明らかにされてきたことのほとんどが一般的な西洋音楽理論に基づいた音楽(クラシックやポップス)に関わることであり、日本伝統音楽の「邦楽」(雅楽等)がヒトの脳にどのような効果をもたらすのかに関してはほとんど注目されてきませんでした。
我々は、この日本伝統音楽の学習を特別に訓練してきた邦楽家では、非音楽家だけでなく西洋音楽家と比べても、脳の発達の仕方が違うのではないかと考えました。
日本特有の「間」という概念
西洋音楽と邦楽の大きな違いとして、「間」のとり方が挙げられます。西洋音楽のリズムは、拍(ビート)という基本的には崩されることがない規則的な時間間隔を用いているのに対して、邦楽は、独自の「間」という不規則な時間間隔で表現する音楽です。邦楽も西洋音楽的なリズムを基調として持っていますが、西洋音楽のような数学的規則性のある時間だけではなく、「呼吸の同調」によって伸縮するような時間の概念があるといわれています。
時間感覚認知に関わる神経学的研究はこれまでも多く報告されていますが、日本文化的な「間」の認知に関わる研究は、これまで注目されてきませんでした。これは、「間」は、西洋音楽の拍のような数学的定義を持たない抽象的な概念であり、科学的検証が困難であることも理由のひとつとして挙げられます。
また、西洋文化と日本文化のリズムの違いの関係性は、音楽だけでなく言語においても同様にあります。たとえば、英語のリズムは「強勢拍リズム」に分類されます。強勢拍リズムとは、文中の強勢アクセントから次の強勢アクセントまでの時間が等間隔になるように刻まれ、音楽の拍のようなリズムともいえます。一方、日本語のリズムは「モーラ拍リズム」に分類されます。日本語のモーラは、かな1文字分に相当し、モーラと次のモーラまでの時間が等間隔になるように刻まれます。日本語のかなは、英語の音節(子音から子音への一渡り)をひとつだけ含むものもあれば複数含むものもあります。
音節が最小の音声認識単位であるところの英語の歌は、音節を繋ぐものとしてのビートやリズムによって構成されます。それに対して、かな1文字が最小の音声認識単位であるところの日本語の歌は、モーラと間によって構成されます。
このように音楽と言語に共通して、英語圏の文化は、日本のものに比べ、規則的なリズムや拍が強いのが特徴です。先行研究によると、西洋音楽的なリズム感が良い人は、強勢拍リズムをもつ第2言語(英語やドイツ語)を習得するスキルも高いといわれています。このことから、文化が普遍的にもつ感覚や感性が、言語や音楽、そしてそれに帰属する脳機能を独自に発達させてきたと考えることもできるでしょう。
ヒトの脳が備えている統計学習システム
先行研究によると、人間の脳には、意識や注意に依存せずに発動する、統計学習システムが生得的に備わっているといわれています。これは、系列情報の遷移確率を意識下で脳が計算し学習するシステムであり、その潜在性ゆえに、学習者本人は学習した知識に自身の行動が左右されていることに気づきませんが、これまでの研究により統計学習効果を神経生理的に評価できることがわかっています。
また、統計学習は新生児から大人まで行われる脳の発達に重要な機能でもあり、言語、音楽に依らず発動する普遍的な学習システムと考えられており、その普遍性ゆえに、音楽を早期から特別に教育を受けた人(音楽家)は音楽の統計学習機能が発達し、それに伴って言語の統計学習能力も高くなっていることがわかっています。
さらに、言語障害を音楽で改善したり、乳幼児に対して音楽を用いて言語学習を促進したりといった効果も確認されており、統計学習は我々の脳の発達メカニズムを理解するうえで最も重要な機能のひとつといわれています。
伝統音楽と脳機能の発達の関係
本研究では、日本独特の「間」をとる学習を特別に訓練した脳の発達基盤を明らかにすべく、邦楽家(雅楽等)、西洋音楽家(クラシック)、非音楽家間で、脳のリズム統計学習機能にどのような違いがあるかを検討しました。
邦楽家、西洋音楽家、非音楽家各10名を対象に、拍(ビート)有り、拍無しのリズム音列聴取時の脳活動を計測しました。その結果、非音楽家と音楽家間だけでなく、西洋音楽家と邦楽家間においても、リズムの聴覚機能に違いが現れました。このことから、普段我々が耳にしづらい伝統音楽の教育により、一般的な音楽教育だけでは発達しないような脳機能が発達する可能性があります。
現在、科学や社会の発展につれて、古来から継承されてきたような文化が徐々に衰退してきています。すべての場所で同じようなものを享受できるのは確かに便利ではあるが、それによって個人や文化が本来持っている個性が失われてしまう可能性もあります。しかし、本研究の結果を受けて我々の脳機能を高め、本来持っているような個性を伸ばしていくためには、多様性を受け入れ、さまざまな文化を享受できる社会の設計が重要と考えられます。
音楽研究をとおして
実は、筆者は昔から作曲家になろうと思っていました。しかし、音楽を追求するうちに、自然と脳の知能や創造性に興味を持つようになりました。作曲家は音楽の研究者でもあり、そういう意味では幼いころから研究と実験を繰り返してきた結果が筆者の今なのでしょう。
また、研究は発見をする喜びはもちろん、研究するうえで自分を見つめ直す機会が沢山でてくるのも魅力的なところです。とくに、元々作曲家を志していた筆者だからかもしれませんが、「音楽」の研究は楽しいです。若い研究者へのメッセージだけでなく、将来の音楽家もぜひ、演奏だけでなくこういう音楽との向き合い方があることを知ってもらいたいと日々思っています。もちろん、研究ではなく「演奏」によって真の音楽性を体現することは音楽を知るうえでの王道だと今でも思います。しかし、その体現を奏者だけが理解するのではなく、誰でも知ることができるように、研究者が記述していくことも重要なのです。
本研究の実験データ取得をする時期は、イギリスとドイツに在住しており、プロの邦楽家の脳データを集めることは非常に苦労しました。しかし、邦楽家の被験者募集にあたり、たまたま英国でお会いした邦楽家(邦楽囃子)の麻生花帆先生の多大な御協力のおかげで、短い帰国期間でも非常に効率よく実験を進めることができたのが、とても運が良かったと思います。改めて研究の魅力は、研究そのものよりも、苦労する過程でうまれる「人との出会い」だと実感します。
「間」は、日本芸能、日本語、武道など、本来まったく異なる分野においても共通する日本特有の普遍的な概念であり、多岐にわたる日本文化を最も特徴づけるものです。そのようなものを科学的に探求していくことは、音楽を知るうえで、また文化を知るうえでとても重要に思います。そして、科学をとおして、日本文化を普及していければこのうえなく幸せに思います。
参考文献
- Tatsuya Daikoku and Masato Yumoto “Musical expertise facilitates statistical learning of rhythm and the perceptive uncertainty: A cross-cultural study” Neuropsychologia 146, 107553 (2020) https://doi.org/10.1016/j.neuropsychologia.2020.107553
- 大黒達也『芸術的創造は脳のどこから産まれるか?』(光文社新書、2020)https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784334044664
この記事を書いた人
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大黒 達也(ダイコク タツヤ)
青森県八戸市出身。医学博士。英国オックスフォード大学、マックスプランク研究所(ドイツ)などを経て、現在、英国ケンブリッジ大学にて勤務。専門は音楽の神経科学。8歳から独学で作曲を学び、ピアノ・ソナタ、オーケストラ、室内楽、即興曲、ジャズ、コンピュータ音楽等あらゆるジャンルの曲を制作。現在は、神経生理データから脳の創造性をモデル化し、創造性の起源とその発達的過程を探る。また、それを基に新たな音楽理論を構築し、現代音楽の制作にも取り組む。