お花畑の保全は植物多様性の保全につながるのか? – 文化的な生態系サービスの指標化に挑む
生物多様性は人間にどのような恩恵をもたらしているか?
人間は生物多様性からさまざまな恩恵を受けて生活しています。みなさんは何が思い浮かぶでしょうか? 食べものとなる植物や動物、薬になる生物たち、人間が日々利用しているものは生物多様性が私たちに与えてくれている、自然が生み出した機能の一部です。このような生物多様性による恩恵は、「生態系サービス」と呼ばれるようになってきました。
私は、それらのような明らかに実感できる恩恵のみならず、計ることの難しい生態系の機能に興味を持っています。たとえば、歌川広重が描く色彩豊かな風景画、ゴッホの描く杉や花が特徴的な風景画など、風景の中に溶け込んだ生物多様性は美術作品に重要な役割を持っていたと考えています。都市公園を散策する、高原の中でお花畑を眺めながら涼む、このような人間活動も生物多様性と関連が深いものです(これらは生態系サービスの中の「文化的サービス」と呼ばれることもあります)。
このような背景から、私は、生物多様性およびそれらが生息・生育する生態系を保全するため、生物多様性の意義を広めるための研究活動が必要であると考えています。
霧ヶ峰のお花畑の保全は生物多様性の保全につながるか?
近年ニホンジカが全国的に増加しており、シカが植物(特に栄養価が高いと考えられている花)を食べる影響によって、全国各地で植物の多様性が急激に減少しています。こうしたシカの多い地域における生物多様性の保全は喫緊の課題となっており、防鹿柵を設けるなどの対策が計画・実施されています。とくに、標高が少し高い山地帯には、お花畑を有する草原が広がっていますが、草原環境における大規模な防鹿柵による生物多様性の保全効果は未だ十分に検証されていません。
長野県霧ヶ峰ではニッコウキスゲのお花畑が観光資源として重要であり、毎年とても多くの観光客がハイキングを楽しんでいますが、シカが特に好んでニッコウキスゲを摂食することから、お花畑の保全計画の検討が進められています。本研究は、長野県霧ヶ峰の草原環境において、ニッコウキスゲのお花畑を保全することを目的とした大規模な防鹿柵の設置が、草原に生育するその他の植物の多様性を保全することにつながっているのかについて検証を行いました。つまり、生態系が生み出した機能(観光資源となるニッコウキスゲのお花畑)の保全と生物多様性の保全は両立しているのかを検討しました。
検証の際には、植物の多様性の指標として、開花数および植物種数を用いました。それに加えて、開花季節や花色といった植物の持つ形質を加味した検証も同時に行いました。本研究で用いたそれらの形質は、これまで種数や開花数のみであらわすことの難しかった文化的サービスや生物多様性に関わる情報を指標化したものといえます。
たとえば、白花種が10種咲いている草原と白色および黄色の種がそれぞれ5種ずつ咲いている草原では、草原の持つ文化的サービスや生物多様性の価値が異なるといえます。さらに、現在はニッコウキスゲの保全を目的とした防鹿柵が設置されていますが、植物種数や植物の花色や形質を保全するために、より適切な指標種の存在を探索するため、指標種解析を実施しました。
植物多様性を包括的に保全するための指標を検証
検証の結果、植物の開花数や種数は防鹿柵の設置により保全されていることがわかりました(下図)。特に開花数は、柵内で柵外の3倍ほどの数が確認されました。このことは、ニッコウキスゲを保全すること(お花畑を保全すること)が植物の多様性を維持することにつながるという頑強な証拠を示していると考えています。
一方で、開花季節や花色などの植物が持つ情報を加味した解析では、本指標は植物種数や開花数と相関しておらず、ニッコウキスゲの花数とも関連性が認められませんでした。このことから、開花季節の異なる種や花色の異なる種を包括的に保全していくためには、現在の保全計画に対して追加施策が必要であろうことを明らかにしました。
開花季節や花色などを包括的に保全するためには、防鹿柵を設置する場所の検討が必要です。そこで本研究では、ニッコウキスゲ以外の指標種を探し出し、それらの種が生育する場所に柵を設置すればよいのではないかと考え、指標種を探し出す解析を行いました。指標種解析の結果から、植物の機能的多様性を保全するためには、オミナエシ、オオヤマフスマ、ワレモコウといった種を指標として防鹿柵を設置することが、今後さらなる保全効果を生み出すと考えられました。
視点を変えて生物多様性の保全効果を検討する
本研究の結果は、人間が享受してきた文化的な生態系サービス(ここでは、お花畑)を保全することが、植物の多様性を保全することに意義ある活動であることを示しました。世界的にも、人間を惹きつける草原や景観を保全する際に、指標種を選定する動きがあります。そういった魅力のある植物(指標種)を保全することは、周辺に一緒に生育している植物種に対しても保全効果を生み出すことが示されました。
さらに本研究は、保全対象について異なる観点を持つこと、つまり、種数のみならず、開花の季節や花の色など、種数だけでは表わすことのできなかった指標について検討することで、さらなる保全効果を生み出す可能性を示しました。生物多様性を保全する計画の立案では、どのような基準を基に対策を実施するのか、どういった指標を目的として施策を講じるのか、検討が続いています。本研究は今後の生物多様性保全策の一助となる情報を提供したと考えています。
最後となりますが、近年、生物多様性が生み出すさまざまな機能に関する研究が急激に増加しています。本傾向は、生物多様性を保全するための非常に重要な情報となっています。そのなかでも、本研究にあるような、直接的な指標で計ることのできない、美術的な価値、歴史を学ぶ価値、教育的な価値などさまざまな価値の概念が生まれてきています。生物多様性という言葉は、生物学の世界のみに収まらない新しい学問へとつながっていく、とてもおもしろい概念であると考えています。
参考文献
- Kei Uchida, Asuka Koyama, Masaaki Ozeki, Takaya Iwasaki, Naoyuki Nakahama, Takeshi Suka, 2020, Does the local conservation practice of cultural ecosystem services maintain plant diversity in semi-natural grasslands in Kirigamine Plateau, Japan? Biological Conservation, in press.
- Kei Uchida, Kanemasa Kamura. 2020. Traditional ecological knowledge maintains useful plant diversity in semi-natural grasslands in the Kiso region, Japan. Environmental Management, 65, 478-489.
- Atushi Ushimaru, Kei Uchida, Takeshi Suka. 2018. Grasslands of the world: diversity, management and conservation. Squires VR, Dengler J, Feng H & Hua L (eds.),. CRC Press, Boca Raton, US.
この記事を書いた人
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東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構 助教
草原や里山など人間が関わって成立してきた生態系(自然環境)で研究を開始し、16年が経ちました。近年は、生物多様性が人間へもたらしてくれる恩恵、つまり生態系サービスに注目し、生物多様性を保全することの重要性に関する研究を実施しています。
問い合わせ先:
東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構
助教 内田 圭(うちだ けい)
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