スピンをねじると電子分布が偏る – マルチフェロイック物質中のわずかな電子変位を量子ビームで捉える
磁性体中の強誘電性とは?
通常、物質中では正の電荷と負の電荷が同じだけ存在し、電気的に中性に保たれています。一方、それらの正負の電荷が、それぞれ空間的に偏る物質が存在します。このような物質は強誘電体と呼ばれ、自発的な電気分極を示します。強誘電体は、100年程前に発見されて以来、多彩な研究展開がなされ、コンデンサーや熱センサー等、現在のエレクトロニクスデバイスにとって、なくてはならないものになりました。
強誘電体において、電荷の偏り方は主に以下の2種類あることが知られています。ひとつ目が、物質中で陽イオンと陰イオンが互いに逆方向に動くイオン変位、2つ目が原子核の周りの電子の分布が一定方向に偏る電子変位です。実際にこれらのミクロな変位は、多くの強誘電体で観測されています。
マルチフェロイック物質の強誘電性はどのように発現するのか?
強誘電体の研究が進んでいく一方で、これまであまり関係のなかった磁性体(電子スピンが規則的に整列する物質)のなかにも強誘電性が発見されるようになりました。このような物質を「マルチフェロイック物質」と呼びます。マルチフェロイック物質自体は1960年ごろから存在が知られていましたが、注目を集めるようになったのは、20年程前、スピンがサイクロイダル(らせん状)にねじれた配置を持つ磁性体において強誘電性が発現されたことがきっかけです。
このような物質は、電場によらず磁場や温度等の外場による電気分極の回転や反転制御が可能になる等、多彩な性質が報告され、応用面も含めて物質研究のトレンドのひとつとなりました。その後のマルチフェロイック物質に対する多くの研究の結果、室温マルチフェロイック物質の発見やマルチフェロイック物質の光学制御等、多彩な分野で大きな進展が見られました。
一方で、マルチフェロイック物質のなかでも、強誘電性そのものは当然電荷が空間的に偏ることで生じているはずです。しかしながら、マルチフェロイック物質は一般的に電気分極が小さく、期待される変位量が非常に小さいため観測が困難です。したがって、マルチフェロイック物質の示す華やかな性質の発見の裏側で、そもそも強誘電性がどのように発現しているのかについては、理解が進んでいませんでした。
そこで私たちは、磁性イオンに配位する酸素イオンに着目しました。磁性イオンと酸素イオンはお互いに電子を持っています。このとき、イオン間の電子の移動が起こると、電荷のバランスが崩れて電気分極が発現します。一方で、そのようなアンバランスが起きると、今まで非磁性イオンであった酸素がスピン偏極を持つ(一定の割合で整列する)ようになると予想されます。
私たちの研究グループでは、この酸素スピン偏極の振る舞いを観測することで、イオン間の電子変位を間接的に捉えることを目標として研究を行いました。
2つの量子ビームによる酸素スピン偏極の観測
私たちのグループでは、放射光X線とミュオンの量子ビームと呼ばれる2つのプローブを用いました。両者はどちらも酸素スピン偏極を狙い撃ちして観測することのできるプローブです。X線は物質に入射すると電子と相互作用を起こし散乱されます。この散乱実験を、酸素原子に特有のX線吸収端において行えば、酸素のスピン情報だけを選択的に取り出すことが可能になります。この手法を共鳴X線散乱(RXS)と呼びます。
一方で、正の電荷を持ち電子より200倍も重たいミュオンは、物質に注入するとあたかも水素のように振る舞います。そのため、物質中に酸素が存在すると、水素が酸素とOH結合を形成するように、ミュオンも酸素の近傍に捉えられます。捉えられたミュオンは、酸素のスピン偏極からの局所磁場を感じ、偏極度に比例した周波数でラーモア回転をしながら陽電子へと崩壊するため、この陽電子を捉えることで酸素スピンの情報を得ることができます。
研究では、この2種類のプローブを協奏的に利用することで、酸素スピン偏極の観測を行いました。その結果、磁性イオンのスピンサイクロイド構造が形成されているときに、明瞭に酸素スピンの偏極が観測されました。さらに、スピンサイクロイド構造が形成され、電気分極の増大に伴い、酸素のスピン偏極も増大することを明らかにしました。
この結果は、磁性イオンと酸素イオン間の電子変位がスピンサイクロイド構造により引き起こされており、その結果、巨視的な電気分極が出現したことを強く示唆するものです。このことは、スピンサイクロイド構造を持つマルチフェロイック物質が示す多彩な性質の裏側に、イオン間の電子変位が重要な役割を担っていることを、実験的に初めて示すものとなりました。
今後の展望
マルチフェロイック物質は磁場印加により電気分極が応答する電気磁気効果を示すことから、単一物質で複雑な機能を持つ新しいデバイスとしての応用が期待されています。 本研究では、マルチフェロイック物質の強誘電性のミクロな機構の一端が明らかになりました。
物質中での誘電性と磁性の結合に対する微視的な理解がさらに進むことで、高性能マルチフェロイックデバイス開発のための新たな指針を得ることができます。また、酸素サイトのスピン偏極を調べるために、放射光X線とミュオンといった量子ビームの協奏的利用が極めて有効であることを示しました。今後、陰イオンの磁性や電子状態に関するさまざまな研究への応用が期待されます。
参考文献
Y. Ishii, S. Horio, Y. Noda, M. Hiraishi, H. Okabe, M. Miyazaki, S. Takeshita, A. Koda, K. M. Kojima, R. Kadono, H. Sagayama, H. Nakao, Y. Murakami, and H. Kimura “Electronic charge transfer driven by spin cycloidal structure” Phys. Rev. B 101, 224436 (2020) https://doi.org/10.1103/PhysRevB.101.224436
この記事を書いた人
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石井祐太(写真左上)
東北大学 理学研究科 助教
1992年2月生まれ。2019年 東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学)。高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 博士研究員を経て、2020年より現職。専門は、放射光X線の回折実験。
木村宏之(写真右上)
東北大学 多元物質科学研究所 教授
1972年1月生まれ。1999年 東北大学大学院理学研究科博士課程修了 博士(理学)。東北大学多元物質科学研究所助教、准教授を経て、2012年より現職。専門は量子ビームを用いた構造物性研究。
佐賀山基(写真左下)
高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 放射光科学第一研究系、(兼任)量子ビーム連携研究センター 准教授
1974年1月生まれ。2003年 東京都立大学大学院理学研究科博士課程修了(理学)。高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 研究員、東北大学多元物質科学研究所 助教、東京大学大学院新領域創成科学研究科 助教を経て、2014年より現職。専門は量子ビームを使った強相関物質の物性研究。
門野良典(写真右下)
高エネルギー加速器研究機 構物質構造科学研究所 教授
1982年 東京大学理学部卒、1985年 東京大学理学部助手、1990年 理化学研究所研究員を経て1997年より現職。専門はミュオンスピン回転法を用いた物性物理学・材料科学。