固体物質における「正三角形の分子」をとらえた! – パイロクロア構造に現れた新しいタイプの電子の自己組織化
固体物質における電子の自己組織化
私たちの身の回りにある固体の物質のほとんどは、原子が整然と並んだ結晶性の固体です。この結晶固体では、多数の電子がさまざまな形式で自己組織化することが知られています。
最近、私たちの研究グループは、タングステン原子がパイロクロア構造という配列に並んだ酸化物CsW2O6の単結晶において、-58℃以下で、3個のタングステン原子が2個の電子を共有した正三角形の「分子」が形成されることを発見しました。このような方式により正三角形の分子が固体中に形成される例は知られておらず、これまで固体の物質において実現していなかった、新しいタイプの電子の自己組織化現象を見つけたといえます。
このようにユニークな電子の自己組織化が現れたことには、結晶固体における電子の秩序形成を阻害すると何が起こるのかという、物理学の基本的な問題が関係しています。本稿では、私たちがさまざまな実験や計算を通して見出した電子の自己組織化現象と、その背後にある物理を中心に解説します。
砂鉄の物理とアンダーソン条件
原子が整然と並んだ結晶固体では、温度が低下すると、よりエネルギーが低く秩序だった状態をとるために、多数の電子がさまざまな形式で自己組織化します。電子の密度に周期的に濃淡が現れる電荷密度波や、電子が対を形成して動き回る超伝導はその代表例です。電子が複数の原子により共有されることで、固体中に「分子」が形成されることもしばしばあります。現実の固体物質において電子がどのような自己組織化現象を示すのか、その全体像を解明することは、物質を扱う物理学である物性物理学の中心的な課題のひとつです。
正四面体が連なったパイロクロア構造をもつ遷移金属化合物は、複雑で興味深い電子の自己組織化現象を示す舞台として、物性物理学の黎明期から研究されてきました。なかでも、磁鉄鉱Fe3O4は、その元祖といえる物質です。磁鉄鉱は、砂鉄の主成分であり私たちにとって身近な物質といえますが、今から80年以上も前に、E. J. W. Verweyにより-154℃以下で電荷秩序と呼ばれる状態をとることが報告され、物性物理の観点からも大変興味をもたれてきました。
電荷秩序とは、同じ元素で異なる価数をもつイオンが周期的に並んだ状態のことです。磁鉄鉱の場合には、下図に示した鉄原子からなるパイロクロア構造上で、同じ数のFe2+とFe3+イオンが何らかの法則に従い、周期的に並んでいるはずです。このとき、静電相互作用によるエネルギー得をなるべく大きくするためには、下図の(b)のように、すべての四面体が同じ電荷をもつことが望まれます(アンダーソン条件)。
しかし、正四面体特有の対称性が原因で、そのような条件を満たす配列が無数に存在するため、電荷秩序の形成は阻害されるだろうということがP. W. Andersonにより1956年に指摘されました。実際、磁鉄鉱の電荷秩序パターンはアンダーソン条件を満たさない非常に複雑なものであることが明らかになっていますし、磁鉄鉱以外の物質においても、アンダーソン条件を満たす電荷秩序はこれまで発見されていませんでした。
CsW2O6は低温で正三角形分子をつくり、電荷秩序を形成する
CsW2O6は、セシウム(Cs)とタングステン(W)を含む酸化物で、タングステン原子がパイロクロア構造を形成します。室温において、CsW2O6の電子はパイロクロア構造上で均一に分布します。私たちは、この物質の単結晶の合成に初めて成功し、合成された純良な単結晶を用いて、大型放射光施設SPring-8における精密なX線回折実験と、電気抵抗、磁化、核磁気共鳴、ラマン散乱、反射率といったさまざまな物理量の測定を行いました。
その結果、-58℃以下で、3個のタングステン原子がお互いに近づき、パイロクロア構造上で、いわば、正三角形のW3「分子」が形成されることを発見しました。このW3分子では、3個のタングステン原子が2個の電子を共有する、「三中心二電子結合」により分子が形成されています。
このような三中心二電子結合により正三角形の分子ができる例は、一般の分子を含めても、プロトン化水素分子H3+だけが知られており、固体物質では世界初です。プロトン化水素分子は星間物質として主に宇宙空間に存在し、大気中では不安定です。少し大げさにいうと、今回の発見は、固体物質を利用することで、宇宙空間にしか存在しない分子を大気中で実現できたといえるかもしれません。
この分子形成は、分数の電子数をもつ状態を上手に利用するという思いもよらない方法により、アンダーソン条件を満たす電荷秩序を初めて実現した点においても画期的です。磁鉄鉱の場合と同様に、W5+とW6+への電荷秩序が起こるとすると、アンダーソン条件を満たす電荷の配列は無数に存在するため、電荷秩序は形成されにくいと予想されます。
それに対して、実際には、ひとつの四面体上の4個のW原子のうち3個が5.33 (= 16/3)という分数の価数をとり(残りの1個は6)、これらが分子を形成することでアンダーソン条件を満たす電荷秩序が形成されています。また、CsW2O6は、分子が形成された状態において、立方晶の高い対称性が保たれることも極めて珍しいです。
ユニークな分子形成と幾何学的フラストレーション
なぜ、CsW2O6において、このようにユニークな電子の自己組織化現象が起きたのかについても、解明を進めています。電子状態計算により、CsW2O6は高温において立方晶であるにもかかわらず、電子の状態があたかも一次元物質のように不安定であることが明らかになりました。また、単結晶を用いた反射率の測定により、タングステンを含む物質にしては電子間に強いクーロン斥力が働くことが示唆されました。これらの特徴は、CsW2O6における電子の自己組織化にとって重要な役割を果たしているはずです。しかし、なぜ正三角形の分子が形成されるかは、完全には理解できていません。
結晶固体における電子の状態の多様性と普遍性を追求することは、物性物理学や固体化学にとって基本的な問題のひとつです。固体の物質において、電子の秩序の形成を、結晶構造の幾何学的な要因によって徹底的に阻害したときに何が起こるのかは、「幾何学的フラストレーション」と呼ばれ、これまでにない新しい電子状態を実現するための有力な手法として知られています。
「パイロクロア構造上におけるアンダーソン条件を満たす電荷秩序の形成」は、この幾何学的フラストレーションの典型例です。CsW2O6において、正三角形の分子の形成を上手に利用することで、アンダーソン条件を満たす電荷秩序が形成されていたことは、私たちの想像を超える未発見の電子や原子の秩序構造がまだまだ自然界に存在することを感じさせます。今回の成果が引き金となって、固体の物質における電子の秩序構造の形成や自己組織化現象の理解が、いっそう進むと期待されます。
参考文献
Yoshihiko Okamoto, Haruki Amano, Naoyuki Katayama, Hiroshi Sawa, Kenta Niki, Rikuto Mitoka, Hisatomo Harima, Takumi Hasegawa, Norio Ogita, Yu Tanaka, Masashi Takigawa, Yasunori Yokoyama, Kanji Takehana, Yasutaka Imanaka, Yuto Nakamura, Hideo Kishida, and Koshi Takenaka, “Regular-Triangle Trimer and Charge Order Preserving the Anderson Condition in the Pyrochlore Structure of CsW2O6”, Nature Communications 11, 3144(1-8) (2020) DOI:10.1038/s41467-020-16873-7
この記事を書いた人
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名古屋大学大学院工学研究科 准教授。
2006年、東京大学大学院新領域創成科学研究科博士後期課程修了。博士(科学)。(独法)理化学研究所基礎科学特別研究員、東京大学物性研究所助手・助教を経て、2014年より現職。2014年から2018年に名古屋大学高等研究院准教授を兼担。専門は固体化学、物性物理学、新物質開拓、熱電変換材料、幾何学的フラストレート磁性体、超伝導体、ディラック電子系物質、熱体積機能性材料。