レム睡眠中の脳の再生能力が記憶を定着させる – 睡眠中の記憶固定化のメカニズムにせまる
睡眠中の記憶の定着に新生ニューロンは機能を持つか?
通常、大人の脳では神経細胞が再生することはありませんが、海馬のような一部の部位では例外的に大人になってからも毎日神経細胞が新しく生まれる(成体脳のニューロン新生)ことが知られています。この過程で生まれた神経細胞(新生ニューロン)は、記憶に重要な働きをします。
また、記憶は睡眠中に定着(固定化)されることが知られています。睡眠には、夢を多く見るレム睡眠と、ノンレム睡眠があります。ノンレム睡眠中の記憶の固定化メカニズムが盛んに検討される一方で、レム睡眠中のそれは多くの謎が残っています。特に、レム睡眠中に記憶の固定化に関与する海馬の神経細胞がどれか、ということは未解明でした。さらに、新生ニューロンが睡眠中に果たす機能はまったく不明でした。
そこで私たちは、新生ニューロンの活動は睡眠中の記憶の固定化に機能を持つかという仮説を検証することにしました。
学習中に活動した新生ニューロンはレム睡眠中に再活動する
まず私たちは、自然に寝起きするマウス脳内の神経活動を超小型の蛍光顕微鏡で撮影して観察しました。そして、覚醒、ノンレム睡眠、レム睡眠の各状態における新生ニューロンの活動を調べた結果、レム睡眠時とノンレム睡眠時における新生ニューロンの活動は、覚醒時のそれと比較して低いという結果が得られました。
次に、記憶と新生ニューロンの活動の関係を調べるために、マウスの恐怖条件付け記憶課題という行動学実験を用いました。この課題では、マウスをある箱に入れ、足下に軽い電気ショックを与えます。するとマウスの脳で、この箱と電気ショックの情報が結びつき、後日そのマウスを同じ箱に入れたときに、恐怖記憶がよみがえるようになります。マウスは恐怖を感じると動きを止める(フリージング)性質があります。また、記憶の強さに伴ってフリージング時間が長くなります。
この課題を使うことで、まず学習時に活動した新生ニューロンがレム睡眠中に再活動する、ということがわかりました。さらに重要なこととして、学習に依存してレム睡眠中の新生ニューロンの活動は全体的に低くなる、という一見逆の結果を得ました。これらを総合して考えると、新生ニューロンは、学習に関係なく活動する集団があること、そして、レム睡眠中に新生ニューロン全体の活動が低下する一方で、学習中に活動していた新生ニューロンだけが再活動する、ということが考えられました。
神経細胞を操作してレム睡眠中の記憶固定化を調べる
次に私たちは、このレム睡眠中の再活動が、記憶にどのような意義を持つのかを調べることにしました。そこで、神経活動を光でリモートコントロールする光遺伝学という技術を使うことにしました。この技術はまず、ターゲットとなる神経細胞だけに、ある波長の光に反応する特殊なタンパク質(オプシン)を作らせます。そして、その波長の光を、研究対象となる時間(レム睡眠中など)だけに照射し、ターゲットの神経細胞の活動を人工的に操作します。たとえば、新生ニューロンにハロロドプシンというオプシンの一種を作らせて、ハロロドプシンが反応するオレンジ色の光を当てることで、その期間だけ、新生ニューロンの活動を抑えることができます。
この光遺伝学の技術を使って、レム睡眠中の新生ニューロンの活動の記憶における機能を調べました。具体的には、学習直後のレム睡眠中のみ、すなわち新生ニューロンの再活動が起こっている期間にオレンジ色の光を照射し、その後に同じ箱にマウスを入れたときのフリージング時間を観察しました。すると、フリージング時間が短くなる、すなわち記憶が障害されていることが判明しました。
このときに、新生ニューロンと他の神経細胞との情報のやりとりに重要な、シナプス(神経と神経の接続部の構造)を観察しました。すると、シナプスの構造のなかでも、特に新生ニューロンの樹状突起上の棘状突起について、その頚部の構造が長くなっていることも判明しました。通常、棘状突起の頚部が長くなることは、神経活動同士の情報のやりとりのタイミングが上手くいっていないときなどに起こることが知られています。
さらに私たちは、新生ニューロンの活動を、レム睡眠中のときだけ強制的に高めるという実験を行いましたが、記憶は良くなるという予想に反して、逆に悪くなることがわかりました。これは、はじめに述べた活動観察の実験結果のうち、とくに学習後のランダムな神経活動が下がっている結果と一致していると考えられました。すなわち、ラムダムな新生ニューロンの活動は、むしろ記憶の固定化にマイナスに働く、ということがわかりました。さらに興味深いことに、この現象は生まればかりの成体新生ニューロンでも、成長しきった成体新生ニューロンでもなく、若い成体新生ニューロンに限定されていました。
ニューロンの再生メカニズムの解明と、新たな治療の提供へむけて
私たちは今回、新生ニューロンの活動を超小型の蛍光顕微鏡で観察し、新生ニューロンがどのように記憶の固定化に関わっているのかを調べることで、動物が怖いと感じる種類の記憶について、それを学習するときに活動していた新生ニューロンが、その後のレム睡眠中に再度活動が高まることを明らかにしました。
さらに、光遺伝学という方法を用いて、新生ニューロンのレム睡眠中の再活動を強制的に抑制したり活性化したりすることで、新生ニューロンがレム睡眠中に正しく活動することが恐怖記憶の固定に必要であることがわかりました。これらの結果から、私たちは新生ニューロンの睡眠中の活動と機能を世界で初めて明らかにしました。そして、レム睡眠中に海馬で記憶を固定化する神経回路のひとつを同定しました。
このことは、私たちの脳が持つニューロンの再生メカニズムが、実は普段の記憶に非常に重要な役割を果たしていることを示しています。私たちは、この再生メカニズムをより深く知ることで、記憶障害やアルツハイマー病などを克服できるように、日々研究を進めています。今後これらの研究結果を応用することで、新生ニューロンの操作による記憶障害の改善や、神経の再生を利用したアルツハイマー病や脳卒中などの病気に対する新しい治療法を提供できればと考えています。
参考文献
Deependra Kumar, Iyo Koyanagi, Alvaro Carrier-Ruiz, Pablo Vergara, Sakthivel Srinivasan, Yuki Sugaya, Masatoshi Kasuya, Tzong-Shiue Yu, Kaspar E. Vogt, Masafumi Muratani, Takaaki Ohnishi, Sima Singh, Catia M. Teixeira, Yoan Chérasse, Toshie Naoi, Szu-Han Wang, Pimpimon Nondhalee, Boran A.H. Osman, Naoko Kaneko, Kazunobu Sawamoto, Steven G. Kernie, Takeshi Sakurai, Thomas J. McHugh, Masanobu Kano, Masashi Yanagisawa and Masanori Sakaguchi “Sparse Activity of Hippocampal Adult-Born Neurons during REM Sleep Is Necessary for Memory Consolidation” Neuron, In press (2020) https://doi.org/10.1016/j.neuron.2020.05.008
この記事を書いた人
-
長谷川 夏(写真左上)
2020年に筑波大学情報学群知識情報・図書館学類を卒業。卒業研究はカルシウムイメージングから得られるスパイクデータの比較。現在、筑波大学大学院人間総合学術院ニューロサイエンス専攻に所属。現在のメインテーマは、機械学習でのリアルタイム睡眠判定。
手塚 太郎(写真右上)
筑波大学図書館情報メディア系 准教授。
京都大学大学院情報学研究科助教(産学官連携)、立命館大学情報理工学部講師などを経て2011年より現職。フランスInstitut de Recherche de l'École Navale、イスラエル・ヘブライ大学Edmond & Lily Safra Center for Brain Sciencesで客員研究員。脳神経から得られる信号を機械学習を用いて解析する研究に取り組む。京都大学博士(情報学)。
小柳 伊代(写真左下)
2016年に奈良高専卒業、2020年に筑波大学大学院人間総合科学研究科 博士前期課程修了(神経科学)。現在、筑波大学大学院 博士後期課程に所属。睡眠中の記憶固定化に関わるメタボローム解析、新生ニューロンの睡眠中の記憶固定化への役割についての研究に取り組む。
坂口 昌徳(写真右下)
2001年に筑波大学医学群(医師免許取得)の後、慶應義塾大学医学部生理学教室助手、カナダトロント小児病院研究所(海外特別研究員)、理化学研究所特別研究員ののち、筑波大学・国際統合睡眠医科学研究機構にて2018年より研究室を主宰。
夢は、ヒトの成体脳が持つ再生能力や、新生ニューロンが持つ記憶固定化のメカニズムを明らかにすることで、アルツハイマー病、PTSDなどの疾患に新しい治療概念を提供すること。