IT産業と私たちの生活

パソコン、インターネット、スマートフォンといった情報通信技術は、私たちの生活にとって欠かせない存在となっています。それと同時に、これらの機器の製造や販売を進めるIT産業が、私たちの日常生活のなかに根深く入り込んでいます。このようなデジタル機器の氾濫によって私たちの生活のあり方はどのように変わっていくのでしょうか。

「メディア研究」と呼ばれる学問領域が、これらの問題に取り組んできました。メディア研究は、人文学・社会科学の広い領域にまたがり、思弁的なアプローチと実証的なアプローチの双方を使いながら、技術と私たちの関係について考えてきました。特に近年のメディア研究では、IBMやIntel、Microsoft、Apple、Googleといった巨大IT産業の急速な発展が、私たちの日常にとってどのような影響を与えてきたのかという論点に注目が集まっています。

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先駆者フリードリヒ・キットラー

この問題に対し比較的早い時期から取り組んでいた人物として、ドイツのメディア研究者のフリードリヒ・キットラー(1943-2011)を挙げることができます。彼はデジタルメディアの出現が文化に及ぼす影響について、1980年代半ばから論じていました。また彼自身が趣味で電気工作やプログラミングに取り組んでいたため、メディアについて専門的な知識をふまえた洞察を示し続けていました。

このように比較的早い時期に書かれたことと、技術的な知識に裏付けられたことが重なって、彼の議論はドイツ語圏・英米圏のメディア研究において広く読まれ、インターネット以降の文化をめぐるさまざまなメディア研究で引用されるようになりました。ですがキットラーが遺したテクストは膨大な量があり、かつどれもとても難解だったため、彼が言いたかったことが何なのか、彼がもたらしたものは何だったのかということについて、メディア研究者のなかで未だに決着がついていない状況です。

キットラーのハードウェア論

この2つの背景をふまえて、ここではキットラーがIT産業について述べたテクストを紐解くことで、現在のIT産業とメディアをめぐる状況を考察するためのヒントを探してみましょう。

キットラーはIntelのマイクロチップの仕組みに注目していました。たとえば彼は1991年に発表した「プロテクトモード」というタイトルの論文のなかで、プロテクトモードと呼ばれるCPUの動作モードについて論じています。これは1982年にリリースされたIntel80286以降のマイクロチップに実装された機能で、ユーザーの実行するプログラムをコンピュータにとって根幹となる機能(カーネル)にアクセスできなくするというものです。キットラーは、この機能によってマイクロチップの中で実際に起きていることが見えにくくなってしまったと考え、ハードウェアについての知識を自社の利益のために隠蔽し独占しようとするIT産業の思惑が入り込んでいると言って批判します。

プロテクトモードによるシステムの保護(リングプロテクション)を示す概念図。Intel 80386のプログラマーズリファレンスマニュアルを参考に作成。

キットラーはこのようなIT産業の生み出したハードウェア上の仕組みが、コンピュータのハードウェアやソフトウェアの研究や開発の自由度を制限するものになるのではないかと危惧していました。たとえば彼は、1999年にドイツ政府の機関が主催で行ったシンポジウムのなかで、このことについて問題提起しています。キットラー曰く、ソフトウェアの開発は、それがどのようなハードウェアで行われているのかに強い影響を受けます。そのためプロテクトモードのようなハードウェアの仕様が、エンジニアや研究者たちの活動を制限したり方向付けたりする可能性があります。これを解決するためにキットラーは、ハードウェアの仕組みについてオープンに議論する場を作らなければならないと主張していました。

ハードウェアとIT産業の論理

キットラーは、IT産業の生み出したハードウェアの仕様がユーザーを制限したり方向付けしたりする可能性を指摘し、その仕組みについて詳細に論じる必要性を訴えていました。ただし1990年代になされた議論ということもあり、彼がこの議論で想定していたユーザーとは主に研究者や開発者を指していました。ですがパソコンやスマートフォンを1人1台持つのが当たり前になった現代にとって、キットラーの問題提起はライトユーザーにも関係してくると思われます。

現在の私たちは、ハードウェアの違いを意識せずに、メディアを利用できるようになっています。たとえばパスワードさえわかればどのような端末でも同じメールボックスを見ることができます。またクラウドサービスを用いればどのような端末でも同じソフトウェアが利用できます。メディアのユーザーにとって、そしてメディア研究者にとっても、ハードウェアの差異はますます見えにくくなっています。

しかしそのことはハードウェア上の条件が無くなったことを意味しません。端末のユーザーインターフェース、サーバーの同時接続数や配置、通信回線の速度といった条件は常に私たちにつきまとい、私たちのメディアの体験を規定しています。さらにIT産業は、その技術的条件を製品やサービスの差異化の戦略として用いています。たとえばあなたも、そこまで使いもしないのに高速回線のネット契約をしたり、聞き分けられないのに高音質の音楽再生機器を買ってしまったりしていませんか。私たちが意識もしないハードウェアの仕組みのなかに、産業の意図や思惑が入り込んでいるのです。

これらを踏まえるとIT産業と私たちの生活の関係を考えるにあたって、私たちが用いているハードウェアの仕組みをふまえて考えていくという方向性は、ますますアクチュアルなものになっているように思われます。現在のメディア研究がキットラーから学べることのひとつは、ここにあるのではないでしょうか。

参考文献
[1] 伊藤守編.(2019).『コミュニケーション資本主義と〈コモン〉の探求――ポスト・ヒューマン時代のメディア論』東京大学出版会.
IT産業と文化の関係をめぐる近年のメディア研究の動向を知りたい人は、こちらをご参照ください。
[2] Galloway, Alexander. (2003). Protocol: How Control Exists after Decentralization. MIT Press.(=2017.『プロトコル――脱中心化以後のコントロールはいかに作動するのか』北野圭介訳.人文書院.)
キットラーを引き継いでデジタルメディアについて論じた(日本語で読める)議論を読んでみたい方は、こちらをご参照ください。
[3] Kittler, Friedrich. (1993). Draculas Vermächtnis: Technische Schriften. Reclam Verlag. (=1998年.『ドラキュラの遺言――ソフトウェアなど存在しない』原克他訳.産業図書.)
本稿で扱ったキットラーのハードウェアについての議論を読んでみたい方は、こちらをご参照ください。

この記事を書いた人

梅田拓也
梅田拓也
東京大学大学院学際情報学府博士課程在学中。日本学術振興会特別研究員(DC2)。
「メディア論」と呼ばれる領域がどのように発展してきたのかについて研究しています。現在はフリードリヒ・キットラーの思想を中心としながら、20世紀後半のドイツで展開したメディア研究の発展過程と応用可能性の解明をはかっています。「メディア」がテーマの学術雑誌『メディウム』の編集もやっています。