フラスコの回転だけで分子を右巻き、左巻きに! – 生命のホモキラリティーの起源に迫る
分子のキラリティーとは? – 生体への働きかけに重要
分子は、その構造の鏡像と重ね合わせることができない性質を示すことがあり、これを分子のキラリティーと呼び、そのような分子をキラル分子と呼びます。
たとえばアミノ酸には、D体、L体の鏡像異性体が存在しますが、生物を構成するアミノ酸は、片方の鏡像異性体のL体のみです。また、糖の場合、D体のみで生物は構成されています。これを「生命のホモキラリティー」と呼び、”なぜ生物はL体のアミノ酸を用いて構築されたのか?”は、生命の起源にも関係する未解決の難問となっています。
このホモキラリティーのために、生体に働きかける医薬品、香料、甘味料などの分子キラリティーは極めて重要です。典型的な事例として、鎮痛剤として使用されたラセミ体のサリドマイドが薬害を起こしたこと(原因は(S)-サリドマイド)が挙げられます。また、香料メントールではL体のみが爽快感を与えること、グルタミン酸ではL体のみがうま味を与えることなどもわかっています。一方、液晶などの光機能材料の観点からも分子のキラリティーは極めて重要であり、円偏光発光を利用した3次元ディスプレイ、セキュリティーペイントなどへの応用も期待されています。
このような理由から、片方の鏡像異性体を選択的に合成すること(不斉合成)は、必要不可欠な科学技術であるといえ、現在でも盛んに研究が行われています。
生命のホモキラリティーの起源は?
生命の起源にも関係する生命のホモキラリティーの起源は、未解決の難問ではありますが、 “自然に存在する現象のみで片方の鏡像異性体がつくられ得るか?”という観点から、現在のところ、3つの候補が提案されています。
そのひとつは、地球の自転運動による「渦運動(コリオリ力)」です。渦運動は、本質的にキラルなので、それにより、片方の鏡像異性体を選択的につくられたのであろう、というものです。
次に、光により片方の鏡像異性体が選択的につくられたという候補も提案されています。そのひとつは、鏡像異性体を見分けることができる、右円偏光と左円偏光を用いるものです。円偏光二色性(CD)分光法をとおして、ご存知の方も多いでしょう。
3つ目は、光の進行方向と磁場方向の平行・反平行により鏡像異性体を見分ける「磁気キラル二色性」という現象です。こちらは観測例も限られていることから、多くの方がご存じないように思います(筆者らは、有機化合物の磁気キラル二色性を初めて観測することにも成功しています)。これら“光により片方の鏡像異性体が選択的につくられた”という考え方は、以下の研究から、有力な候補となっています。
オーストラリアに落ちたマーチソン隕石を分析したところ、わずかではありますが、D体に比べてL体のアミノ酸のほう多かったという研究成果が報告されました。これは、宇宙における光反応により生成したL体のアミノ酸が地球に飛来した、という仮説の根拠となっています。実際、宇宙には円偏光や強い磁場が存在します。
数10億年前の出来事であるため、決定的な証拠を得ることは難しいですが、これらを研究することは、極めて上質な“知の探求”といった側面があるだけでなく、医薬品や材料の開発における有用な知見を獲得するという観点からも有望であるといえるでしょう。
マクロな渦運動で分子のキラリティーは作れるか?
渦運動は本質的にキラルですが、”スケールの違いにより、マクロな渦運動はナノスケールの分子のキラリティー(10-7~10-9m)には影響を与えない”と考えられてきました。
1993年に、大野修先生(当時東京工業大学、現茨城大学)が報告して以降、マグネティックスターラーなどのマクロな機械的回転(~10-1m)を使用した渦運動によって、超分子または高分子をねじり、キラリティーを発現させる例が報告されています。しかしこれらは、超分子やポリマーにキラルな“ねじれ”を与えることに相当し、キラル化合物を合成する方法ではありませんでした。
一方、2001年に、Josep M. Ribó先生らは、ロータリーエバポレーターのマクロな機械的回転を使用して、キラルではない分子の溶液を濃縮することにより、キラルJ会合体(Slipped Stack型)が合成できたことを報告しました。これは、実験化学の研究室であれば、必ず使用する器具を用いた実験であったことから、注目される研究成果でした。
しかし、筆者の研究グループも、数多くの再現実験を試みましたが、P値(確率値)が低い系だったことや、特異なCDスペクトルを示すキラルJ会合体の構造が決定し難いものであったため、分子のキラリティーを誘起する機構も未解明でした。
これらの理由から、マクロな機械的回転を使用して、ナノスケールのキラル化合物を合成することは、挑戦的な課題であったわけです。
フラスコの機械的回転でキラルな超分子の合成に成功
我々の研究グループは今回の研究において、ロータリーエバポレーターにより、フタロシアニン分子の単量体を含む溶液を濃縮することにより、キラルな触媒を用いずに、マクロな機械的回転に応じて、右巻きまたは左巻きにねじれたフタロシアニンのキラルH会合体(Face to face型)を、高い再現性で合成することに成功しました。
ここで合成したキラルH会合体は、溶媒を完全に除去することで固定化しています。また、H会合体の“ねじれ”構造は、CDスペクトルから決定することができます。さらに、フラスコ内流体運動の“ねじれ”も計算することによって、キラル誘起機構を提案することができました。
今回の発見は、マクロな機械的回転(~10-1m)をナノスケールの分子キラリティー(10-7~10-9m)に結びつけていることから、新しい科学を開拓できたと考えています。また、生命のホモキラリティー起源を考えるうえでの手がかりも提供することができました。
今後、さらに、キラルな触媒を用いずにキラル分子を合成する合成法やキラルな光学材料を調整する方法へと発展させていきたいと考えています。
参考文献
- Y. Kitagawa, H. Segawa, K. Ishii, “Magneto-Chiral Dichroism of Organic Compounds” Angew. Chem. Int. Ed., 50, 9133 (2011).
- O. Ohno, Y. Kaizu, H. Kobayashi, “J-aggregate formation of a water-soluble porphyrin in acidic aqueous media” J. Chem. Phys., 99, 4128 (1993).
- J. M. Ribó, J. Crusats, F. Sagués, J. Claret, R. Rubires, “Chiral Sign Induction by Vortices During the Formation of Mesophases in Stirred Solutions” Science, 292, 2063 (2001).
- M. Kuroha, S. Nambu, S. Hattori, Y. Kitagawa, K. Niimura, Y. Mizuno, F. Hamba, K. Ishii, “Chiral Supramolecular Nanoarchitectures from Macroscopic Mechanical Rotations: Effects on Enantioselective Aggregation Behavior of Phthalocyanines” Angew. Chem. Int. Ed., 58, 18454 (2019).
この記事を書いた人
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平成3年3月 東北大学 理学部化学科 卒業
平成8年3月 東北大学 大学院理学研究科化学専攻 博士課程後期課程 修了
平成8年4月 東北大学 大学院理学研究科化学科 助手
平成18年4月 東京大学 生産技術研究所 物質・環境系部門 助教授
平成24年12月 東京大学 生産技術研究所 物質・環境系部門 教授