脳は複雑な動作をどのように表現するか? – “階層的運動情報表現”の可視化に挑む
複雑な運動をするときの脳とは?
料理番組を観てプロの料理人の流れるような手際の良さに驚いたり、一流の音楽家の演奏を聴いて、なんでこんなに長くて難しい曲を間違えずに演奏できるんだろう? と不思議に思ったりしたことは、誰でも一度くらいはありますよね。このようなことを可能にしている脳の情報処理の仕組みのひとつとして提案されているのが、「階層的情報表現」です。
長くて複雑な運動でも、単純な部分の組合せに分割することを繰り返すことで、効率良く覚えたり実行できたりするようになります(もちろん練習も必要ですが)。
今回、私たちは機能的磁気共鳴画像法(fMRI)と呼ばれる非侵襲脳イメージング手法を用いて、ヒトの脳が階層的に運動情報を表現する様子を可視化することに成功しました。
脳の階層的情報表現を調べる行動実験のデザイン
実際、”複雑なものをより単純な要素の集合として表現する”という階層的情報表現は、脳の視覚系や聴覚系などでは比較的詳細に知られています。一方、運動に関していえば、階層構造が必要なほど複雑な運動を、実験的に統制された形でヒトや動物などの被験者に覚えさせることは、画像を見せたり音声を聴かせたりする場合と比べてそれほど簡単ではありません。結果として、運動の階層的情報表現が脳でどのように行われているのかに関しては、部分的な理解にとどまっていました。今回の研究では、実験デザインを工夫することでこの点を克服することができました。
実験に用いた運動課題は、11桁の数字(1~5: 各指に対応)の系列を8種類暗記して、さらにできるだけ早く正確にキーボード上で実行する、というものです。かなり難しそうな課題ですが、こんな課題をどうやって覚えるのでしょうか? 答えは、”階層的に学習する”です。被験者(大学生)は、5日間かけてこの課題を学習しました。
まず練習の初日は、より簡単な2~3桁のキー押しのまとまりを計8種類、それぞれA~Hのアルファベットに対応させてひたすら暗記・練習します。何度も繰り返し練習するうちに、隣り合った動作のつながりがよりスムーズになり、さほど意識しなくてもひとまとまりの動作(これ以降”チャンク”と呼んでいきます)として実行できるようになります。これは多くの人が経験したことがあると思います。
翌日以降は、これらのチャンクを4個組み合わせたセットとして11桁の数字を暗記・練習しました。実は用意した8種類の系列(I, II, …, VIII)は、どれも8種類のチャンク(A, B, …, H)を適当に組み合わせて表現できるようになっています。初日の練習でチャンクを学習しているので、11桁×8種類の系列を覚える作業は4桁×8種類まで単純化されます。あとは5日目までひたすら練習します。
このようにして、11桁の数字のキー押しを階層的に学習した後、MRI装置の中で被験者が暗記した8種類の系列(I, II, …, VIII)をキーボード上で実行している際の脳活動を測定しました。
また、fMRI測定後に、学習したチャンクを組み合わせて作った新しい系列に対して学習効果がどのように汎化するかを調べることで、被験者がたしかに (1) 個々の指運動、(2) チャンク、および (3) 4個のチャンクのまとまり(系列全体)という階層的な運動情報表現を行っていることを行動データで確認しました。
“関係の関係”を考える
得られた脳活動データに対して、Representational Similarity Analysis (RSA)と呼ばれる、脳活動パターン間の関係性の構造に着目した多変量fMRI解析手法を適用しました。これは、脳の情報表現を理解するために、外界の事象とそれに対応する内部表象との”直接の関係”を考える”first-order isomorphism”(例:赤い色を見ているときの脳活動は“赤い“だろうか?)の代わりに、複数の事象間の関係と対応する内部表象間の関係という、いわば”関係の関係”を考える”second-order isomorphism”(例:光の波長ではオレンジ色は青色と比べてより赤色に近いが、それらの色を見ているときの脳活動も同じような関係を示すはず)を基礎にするアプローチです。
事象を記述する特徴はひと通りだけではありませんから(例:色・形・大きさ・空間位置)、事象間の関係にもさまざまな形がありえます。同様に、脳活動の関係にもその領域がどのような情報を表現しているかによってさまざまな形がありえると考えられます。したがって、RSAを使った基本的な研究アプローチは、実験的に得られた脳活動同士の関係(相関行列や距離行列の形で表されることが多いです)をもっともよく説明できる関係(=相関または距離行列)を形作る特徴量を探すことになります。
このような関係の関係に着目する考え方は、認知心理学者のRoger Shepardによって1970年ごろに提唱され、2008年ごろからNikolaus KriegeskorteらによってRSAとして脳機能イメージングの分野に急速に普及されました。今回の研究でも、この手法を使って脳の各部位で系列運動がどの階層で表現されているのかを調べました。
複数の階層が同時に表現される脳領域
まず、脳のさまざまな領域で脳活動における系列の関係を求めます。そのために、下図に示すように、大脳皮質上に直径1cm程度の小領域を多数定義して、それぞれの領域において各系列(I,…,VIII)の実行時の脳活動パターンを計算します。そして、各パターン同士の距離(ベクトル間の距離)を計算し、脳における系列の関係を表す距離行列を計算しました。
この距離行列の形について詳しく調べる前に、まずそもそもどの領域で系列が区別されているのかを調べるために、系列間の平均距離(=距離行列の平均値)が被験者間で共通して一定以上ある領域を探しました。その結果、左半球の一次感覚運動野や左右の半球の運動前野や頭頂連合野を含む広い領域で、8種類の系列が何らかの意味で区別して表現されていることがわかりました。
これらの領域内で、脳活動距離行列とモデル距離行列(8つの系列が (1) ~ (3) それぞれの階層で表現されていると仮定して計算した距離行列)との比較を行い、それぞれの階層がどの領域で表現されているか詳しく調べました。その結果、左半球の一次感覚・運動野において (1) 個々の指運動が強く表現されていることを示す結果を得ました。一方で、より上の階層[(2) チャンク、(3) 系列全体]の情報は、運動前野と頭頂連合野において部分的に重なって表現されていることが示されました。
これらの結果は、要素運動には専用の脳領域がある一方で、より階層の高い(=抽象的な)運動表現は重なった領域で処理されているということを示唆しています。従来の説では、異なる階層の情報は異なる脳領域で表現されているはずと考えられていましたが、運動系の情報の階層的構造は、視覚や聴覚など他の情報処理システムほど整然としていないのかもしれません。
今後の展望
階層的運動情報表現は、運動エキスパートだけのものではなく、文章を書いたりコーヒーを入れたりといった私たちの日常動作も支えています。今回の研究では、「運動が階層的に表現されているときに、それはどのように脳内に表現されているか?」という問いにある程度答えることができたのではと思っています。
しかし、謎はまだまだ残っています。複数の階層が重なって表現されることには、何か機能的な意義があるのでしょうか? さらに、より長期間(月・年単位)練習した場合にこれらの表現に変化は生じるのでしょうか? また、”重なっている”とはいっても、今回の結果はfMRIの持つ空間解像度(約2mm3)でのお話なので、実際に個々の神経細胞レベルで重なっているかどうか調べるには、神経活動を直接記録するなどの侵襲的な方法で検証を行う必要があります。
また、今回の実験で用いたような、予め設定された階層構造に従って段階を追って学習する、という練習方法は日常的にもよく見られますが、そうでない場合もあります。その場合、脳はどのようにして動作の階層構造を自発的に獲得し、表現するのでしょうか?
行動実験・ニューラルネットワークなどを用いた計算シミュレーション・脳活動計測を組み合わせつつこれらの問いに一つひとつ答えていくことで、私たちの洗練された動作を支える脳の仕組みに対する理解がより深まり、スポーツや楽器演奏など新しい運動技能を学ぼうとする人や、リハビリテーションなどで一度失った運動技能を再び取り戻そうとする人の助けになることが期待されます。
参考文献
- Yokoi A. & Diedrichsen J. (2019). “Neural Organization of Hierarchical Motor Sequence Representations in the Human Neocortex.” Neuron, 103(6): 1178-1190.e7.
- Shepard R.S. & Chipman S. (1970). “Second-order isomorphism of internal representations: Shapes of states.” Cognitive Psychology, 1: 1-17.
- Kriegeskorte N., Mur M., & Bandettini P. (2008). “Representational similarity analysis – connecting the branches of systems neuroscience.” Frontiers in Systems Neuroscience, 2(4): 1-28.
この記事を書いた人
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情報通信研究機構・脳情報通信融合研究センター・研究員
2013年東京大学大学院教育学研究科博士過程修了:博士(教育学)。ロンドン大学ユニヴァーシティカレッジ(英国)、ウェスタン大学(カナダ)、大阪大学(大阪)でのポスドク経験を経て2017年より現職。専門は感覚運動学習・制御の脳情報処理。
“おもろい研究“を目指しています。