光反応中の分子はどのように動く? – 超高速X線科学のフロンティア
光反応はどのように進む?
光反応は、光をトリガーとして引き起こされる化学反応を指し、光触媒や人工光合成といった光機能性の基礎をなすものです。分子が光を吸収すると通常よりエネルギーの高い状態に励起され、多次元のポテンシャルエネルギー曲面上を移動しながら安定化していき、化学反応が進行します。この過程で分子は電荷移動、電子スピンの反転、発光、振動などの基本的かつ重要な物理現象を示します。特に光吸収の直後に発生する分子のコヒーレントな振動(核波束振動)は、その後に起こる構造変化や化学結合の解離・生成の方向性を決定付ける重要な役割を担っています。
核波束振動のような超高速の現象を観測するための有力な手法として、時間幅の短いパルス光(レーザー光)を利用したポンプ・プローブ分光法が挙げられます。この手法では、ポンプ光によって光反応を駆動し、一定時間経過した後にプローブ光によって光反応の途中の状態をスナップショットのように切り取って観察します。たとえるなら、フラッシュ撮影で高速に動く物体を鮮明に撮像するようなものです。ポンプ光とプローブ光の時間差(ディレイ)を変えることで各コマを繋げ合わせ、分子動画を作成することができます。
これまでポンプ・プローブ分光法の光源は紫外~赤外の波長領域のレーザー光が主流でした。しかし、この波長領域の光は価電子帯の電子状態に敏感である一方、分子の構造変化については間接的な情報しか得られません。分子の振動は、一般的に10~100兆分の1秒の極短時間のあいだに起こり、かつ1000億分の1mオーダーの微小なものです。このような超高速かつ極微小な分子の構造変化を直接的に観測できれば、光反応の機構解明に大いに役立ちます。
X線自由電子レーザーを使った超高速X線分光
分子の構造変化を直接的に観測するには、原子間の距離(結合長)と同程度の波長を持つX線パルスをプローブ光として利用することにより、高い時間・空間分解能を両立させるアプローチが有力です。X線自由電子レーザー(XFEL)は、近年の加速器技術の発展によって実現したX線の波長領域のパルスレーザーのことで、光反応中の分子の構造変化を追跡するのに適した光源です。
これまで我々は日本で唯一のXFEL施設であるSPring-8 Angstrom Compact free-electron LAser(SACLA)を利用して、元素選択的に電子状態と局所構造を決定できるポンプ・プローブX線吸収分光法を開発してきました。今回の研究では、開発した手法を応用し、光増感剤として期待される銅(I)フェナントロリン錯体(英名:[Cu(2,9-dimethyl-1,10-phenanthroline)2]+)の溶液中における光反応を対象に、分子の構造変化をどの程度詳細に追跡できるのか? という問いに取り組みました。
銅(I)フェナントロリン錯体の核波束振動
銅(I)フェナントロリン錯体は、2つのフェナントロリン配位子間の二面角が直交している状態で錯体中心の銅原子に配位する正四面体型の形状をしています。この錯体が光を吸収すると銅原子が1価から2価に酸化されてフェナントロリン配位子間の二面角が約70°となり、平面型へと構造変化することが知られています。
今回の研究では、銅(I)フェナントロリン錯体の光反応中に3つの核波束振動を捉えることに成功しました。ひとつは錯体分子が息をするように膨張と収縮を繰り返す対称伸縮振動であり、この動きに伴う銅原子と4つの窒素原子間の結合長の変化(振幅)は1000億分の2mであることがわかりました。
残りの2つの振動は、銅原子と2つの窒素原子から形成される結合角度が変化する変角振動だとわかりました。この2つの変角振動は、ディレイが0.2ピコ秒(1ピコ秒は1兆分の1秒)の時点で消失していることが判明しました。これは、正四面体型から平面型への構造変化が起こる前のタイミングであり、2つの変角振動がこの構造変化に強く関連していることを示しています。
一方で対称伸縮振動は寿命が長く、時間と共に指数関数に沿った単純な強度の減少を示しており、正四面体型から平面型への構造変化にあまり強い関連がないことがわかりました。
上記の成果を得るうえで大きな役割を果たしたのが、本研究の前に取り組んできた超高速X線科学のための技術開発です。たとえば、SACLAの運転開始当初は、独立した光源であるXFEL(プローブ光)と可視レーザー光(ポンプ光)の同期精度が十分ではなく、2つのパルス光の相対的なタイミングが揺らぐこと(ジッター)で時間分解能が劣化し、XFELの光源性能を十分に引き出せないという問題がありました。そこで我々はジッターを補正する技術(タイミングモニター)を開発し、今回の研究に応用しました。その結果、時間分解能を1桁以上改善することに成功し、核波束振動を鮮明に捉えることに繋がりました。
超高速X線科学のフロンティア
XFELが利用可能になったのはつい最近のことです。2009年に米国のLinac Coherent Light Source(LCLS)が利用実験を開始し、2012年に日本のSACLAが続きました。現在でもXFEL施設は世界に5つ(米国、日本、ドイツ、スイス、韓国)しかありません。そのため、この新しい光を使って開拓できるサイエンスはまだ発展途上にあり、多くの可能性があります。
今回の研究は、XFELを使ったポンプ・プローブX線吸収分光法がフェムト秒化学にどのような進展をもたらすのか、を示した一例といえます。今後、より複雑かつ実用的な光反応へと展開し、超高速X線科学のフロンティアを切り拓いていきたいと考えています。
参考文献
- T. Katayama et al., Struct. Dyn. 3, 034301 (2016).
- T. Katayama et al., Nat. Commun. 10, 3606 (2019).
この記事を書いた人
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公益財団法人 高輝度光科学研究センター 研究員。
2005年3月東京大学化学科卒業。2010年6月東京大学院新領域創成科学科博士課程修了。2年間、Stanford University postdoctoral researcherとして米国のX線自由電子レーザー施設LCLSを使ったプロジェクト型の研究に従事。2012年より高輝度光科学研究センターの博士研究員としてSACLAの基盤技術の開発に取り組む。2015年より現職。
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