近年注目を集める「分子ナノカーボン科学」

グラフェンやカーボンナノチューブなどのナノメートルサイズの周期性をもつ炭素物質は「ナノカーボン」と呼ばれ、軽量で高機能な次世代材料として期待されている物質です。構造によって電子的・機械的性質に大きな違いがあるため、望みの性質をもつナノカーボン構造のみを狙って精密に合成する方法が求められています。

そのなかで、ナノカーボンの部分構造をもつ分子を有機合成によって精密に合成する「分子ナノカーボン科学」が近年注目され、世界中で研究されています。これまでに、フラーレン、グラフェン、カーボンナノチューブの部分構造となる分子(分子ナノカーボン)が多く合成されてきました。

代表的なナノカーボン3種類(上)およびそれらの部分構造をもつ分子(下)

たとえば、カーボンナノチューブを輪切りにした構造の分子であるカーボンナノリングやカーボンナノベルトは、1930年代から理論的に予測され、さまざまな方法によって合成が試みられてきました。しかし、正六角形の炭素分子「ベンゼン」を基本構造としたこれらの分子を曲げてリング状やベルト状にすることが非常に困難であったため、リングは2008年、ベルトは2017年と、非常に最近になって合成されました。さらに、リングを原料に用いることでチューブを生成することが2013年に示されるなど、分子ナノカーボンが実際にナノカーボン精密合成に有用であることが徐々に明らかになっています。

トポロジカル分子ナノカーボンの合成に成功!

これまで合成された分子ナノカーボンは、トポロジーの観点から分類すると比較的単純な構造です。一方で、ドーナツ状(トーラス)やコイル状など、複雑なトポロジーをもつナノカーボンは理論化学的に多数予測されており、これらナノカーボンが示す未知の物性に興味がもたれています。

このようなナノカーボンの精密合成の第一歩として、我々の研究グループは複雑なトポロジーをもつ分子ナノカーボンである「トポロジカル分子ナノカーボン」を提唱しました。そして今回我々は、トポロジーの基本である結び目や絡み目をもつ分子ナノカーボンを合成することに成功しました。

ノット(結び目)やカテナン(絡み目)と呼ばれる分子の合成は1960年ごろから行われています。近年では分子マシン(ナノメートルサイズの機械)への応用が期待され、2016年のノーベル化学賞の受賞理由となったことでも広く知られています。

しかし、従来の一般的な合成法では炭素骨格のみで結び目や絡み目構造を作ることはできず、窒素原子や酸素原子などを導入し、それを足がかりとしてトポロジカルな構造へと誘導する必要がありました。そのため、結び目や絡み目をもつ分子ナノカーボンを合成するには、新しい合成法を開発する必要がありました。

そこで今回我々は、カーボンナノリングの合成の途中にケイ素原子を「仮留め部位」として用いることによって、結び目や絡み目を導入することができると考えました。このケイ素は後にフッ素処理によって除去できるため、最終的に炭素骨格のみからなる結び目や絡み目を得ることができます。この方法を用いて、ベンゼンのみからなるカテナンとノットを合成することに成功しました。

オールベンゼンカテナン(上)およびノット(下)の合成戦略(概要)

合成・単離したことで初めてわかった、オールベンゼンカテナンとノットの特異な性質

新たに合成したこれらの分子は、結び目や絡み目に由来する特異な性質をもちます。サイズの異なる2つのリングからなるカテナンは、光による励起の後、大きなリングから小さなリングへと非常に速い励起エネルギーの移動が起きることを観測しました。カテナン構造は、それぞれのリングがもつ対称性を完全に維持したままリング同士の相互作用の効果を確認する唯一の方法であり、今回の実験によってリング同士がカテナン構造を介して電子的に相互作用することを明らかにしました。

また、ノットを有機溶媒に溶かしNMR測定を行うと、マイナス95度の低温においても1種類のシグナルだけが観測されました。これは非常に速い運動によってシグナルが平均化していることを表しています。シミュレーションの結果、ドーナツ状の渦のような動きによってこのような速い平均化が起きていることが強く示唆されました。これらの性質を事前に予測することは極めて困難であり、合成・単離したことによって初めて発見することができました。

さらに、ノットの結び目には左結びと右結びがあり、キラリティと呼ばれる性質をもちます。我々は今回合成したオールベンゼンノットの左結びと右結びを分離することに成功し、オールベンゼンノットが結び目のキラリティに由来する円二色性を示すことを明らかにしました。

オールベンゼンノットの分子構造

トポロジカル分子ナノカーボンの可能性

今回の研究成果は、非常に美しい分子を革新的な方法で合成した例として、有機化学の教科書に載る金字塔だと考えています。生成物の構造からは合成手法がまったく想像できないことから、有機合成のマジックともいえるでしょう。トポロジカル分子ナノカーボンの科学は始まったばかりですが、より複雑なナノカーボン構造の精密合成に挑戦する重要な第一歩となりました。

一方で、分子マシン研究への波及効果も期待しています。前述のとおり、これまでの分子マシンは、合成上の都合で、窒素原子や酸素原子が組み込まれていることが一般的でした。しかし今回我々が開発した方法は、仮止め部位をキレイに除去できる方法であるため、よりシンプルに分子マシンを合成できるようになる可能性があります。今後たくさんの化学者に使ってもらえるように、合成法を改良し、カテナンやノット構造をさらに高効率で作れるようにしていきたいと思っています。

参考文献
Segawa, Y.; Kuwayama, M.; Hijikata, Y.; Fushimi, M.; Nishihara, T.; Pirillo, J.; Shirasaki, J.; Kubota, N.; Itami, K. “Topological molecular nanocarbons: All-benzene catenane and trefoil knot” Science 2019, 365, 272-276.

この記事を書いた人

瀬川 泰知
瀬川 泰知
名古屋大学大学院理学研究科 特任准教授/JST ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト グループリーダー。
東京大学工学部化学生命工学科卒業。2009年東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻博士課程修了。博士(工学)。2009年名古屋大学物質科学国際研究センター助教。2013年より現職。