賞の健康効果

「芥川賞を受賞すると、受賞しなかった候補者に比べて、余命が1.7年延びる。一方で、直木賞を受賞すると余命が5.3年縮まる」

私たちの研究チーム(佐々木周作・京都大学大学院特定講師、黒川博文・兵庫県立大学講師、大竹文雄・大阪大学大学院教授)は、そんな研究成果をJournal of the Japanese and International Economiesという経済学系の英文学術雑誌に発表しました。この研究は、学会で初期的な分析結果を報告していたころから注目を集め、朝日新聞・日本経済新聞などの全国メディアで取り上げられました。

SNSでも、専門内外のたくさんの方々に話題にしてもらいました。おもしろい研究だ、という声が上がる一方で、どうしてこういう研究が必要なのか理解できない、という声もありました。かくいう私自身、全国紙に記事が掲載されることを両親に報告した際、記事を見た両親から「あんた、何やってるの……?」というつれない反応があり、ガッカリしたことを覚えています(笑)。

左より、黒川博文氏、私・佐々木周作、大竹文雄氏。

社会格差が健康格差を助長する?

この研究の背景には、社会的な格差が健康の格差につながっているのではないか、という大きな問いがあります。つまり、社会的地位の高い人は、地位が高いことが原因で良い健康状態にあるのではないか、同様に、社会的地位の低い人はその地位が原因で悪い健康状態にあるのではないか、ということです。

この問いにデータを使って答えることは簡単ではありません。たとえば、アンケートを行って、回答者の職業上の階級と健康状態を調査し、データ分析から、職階と健康状態のあいだに正の相関関係を発見したとします。しかしそれだけでは、職階が高いことが原因で健康状態が良くなっているのか、健康状態の良い人ほど職階が高くなりやすいという逆の関係なのか、そのどちらなのかを区別できません。

社会的地位から健康状態への因果関係を把握するためには、「ランダム化比較試験」と呼ばれる実験手法を使って、ほとんど同じ人なのに社会的地位の高さだけが違う人たちのあいだで健康状態を比較するのが理想的です。しかしこの手法では、くじ引きの要領で無作為に2つのグループを作り、片方のグループの人たちの社会的地位を高めて、もう片方の人たちの社会的地位はそのままにして、その後、彼らが亡くなるまで観察しつづける、ということをしなければなりません。このようなやり方は、倫理的に許されないはずです。

賞データを分析に使用するメリット

著名な賞の受賞者とノミネートされながらも受賞しなかった候補者を比較することで、実験を行わずして、実験を行ったときと似た環境を作り出すことができます。両者ともノミネートされていますから、職業などの属性だけでなく能力まで似ている人たちです。つまり、受賞者を「ほとんど同じ人なのに社会的地位が高い人」、受賞しなかった候補者を「ほとんど同じ人なのに社会的地位が低い人」と見なせるわけです。

もちろん、単純な比較だけではいろいろな懸念が残ります。たとえば、僅差で受賞できなかった候補者は受賞者と同じといえるが、箸にも棒にもかからなかった候補者は同じとはいえない、などです。残された懸念については、分析の際、統計的な手法を工夫して解消する必要があります。

2001年、RedelmeierとSinghという2人の研究者がこの方針に則り、アカデミー賞俳優賞を受賞すると3.6年余命が延びる、という研究成果を発表しました。社会的地位の高さが余命に対して正の因果効果を持つことを支持するエビデンスです。この研究論文は、Annals of Internal Medicineという医学系を代表する学術雑誌に掲載され、高い注目を集めました。

この研究に影響を受けて、その後、いろいろな研究が行われたのですが、困ったのは、賞によって結果が大きく異なることでした。たとえば、ノーベル化学賞や物理学賞では同じように延命効果が観察されたのですが、アカデミー賞脚本賞やオリンピックの金メダルなどでは、逆に余命が短くなる可能性が示唆されました。社会的地位の上昇はどんなときに余命を延ばし、どんなときに短縮するのか、という新しい問いが生じたわけです。

余命が延びるのは、いつ? どんな場面?

私たちの研究は、この新しい問いに対してひとつの解答を提供しました。1.7年の延命効果が観察された芥川賞は基本的に新人賞です。新人賞では、受賞によって作家としての立場が固まり自立的できるようになる、という経済的なメリットが期待できます。一方で、5.3年の短縮効果が観察された直木賞は、候補者の多くが中堅以上の作家です。彼らはすでに作家として自立できていますから、経済的なメリットは小さいわけです。この違いは、データ分析からも確認できました。芥川賞では、受賞によって身体的な余命だけでなく職業余命も延び、より長い期間作品を発表できるようになることがわかりました。一方で直木賞では、受賞者と候補者のあいだで職業余命に差がありませんでした。

カプランマイヤーの生存曲線。受賞者と受賞しなかった候補者の生存率が、時間の経過と共にどのように推移しているかを表している。

別のデータ分析では、直木賞受賞者の仕事量が急激に増加することがわかりました。中堅以上の作家であった彼らは、受賞前でも、安定的に仕事ができていました。受賞後、コントロールできないくらいに仕事量が増えてしまい、それが不規則な生活や精神的なストレスにつながって余命を短縮させたのではないか、と私たちは解釈しています。

芥川賞のように、社会経済的な基盤がしっかりしていないときに社会的地位が上昇すると、基盤が固まり自立できるようになって余命が延びる。一方で、直木賞のように、基盤が安定してから社会的地位が上昇しても経済的なメリットは小さく、逆に仕事に忙殺されるようになり余命が短くなってしまう。これが、私たちの分析結果のまとめです。

研究草創期と論文投稿期のウラ話

振り返ると、この研究にはいろいろな思い出があります。まず、研究の始まり方がユニークでした。共著者の大竹先生が出演していたEテレの経済学教養番組『オイコノミア』で、共演者の又吉直樹さんが『火花』という作品で第153回芥川賞を受賞されました。「文学と経済学」というテーマで番組を作れないかという話が持ち上がり、私たちと番組スタッフで協力しながら、受賞者と受賞しなかった候補者のあいだで余命を比較してみました。すると、芥川賞と直木賞で正反対の結果が得られたのです。これはおもしろそうだ、と正式に研究していくことになりました。

データ自体もユニークです。芥川賞・直木賞の候補者の記録はきちんと残されています。また、これらの賞にノミネートされたような作家の経歴は、基本的に、作家辞典などの書籍にまとめられていました。他にも新聞の訃報記事や国会図書館のデータベースなど、誰でも利用可能な情報を組み合わせながら工夫して分析しました。このように試行錯誤しながらの研究活動は、単純にとても楽しいものでした。必要な一次資料がどこにあるかは、直木賞を研究されている川口則弘さんの書籍やホームページから学ぶことが多かったです。

一方で、研究成果を世界に向けてアピールするときには苦労しました(笑)。芥川賞・直木賞がどういうものなのか、2つの賞にどんな違いがあるのか、どうして芥川賞・直木賞のデータを用いる必要があるのか、などを海外のレフェリーに対して説得的に説明する必要がありました。結果として、納得のいく文章で、いろいろな人に見てもらえる学術雑誌に掲載されたことは幸運でした。研究者として走り出す時期に、ストーリー構成を工夫して説得することの「おもしろさ」と「難しさ」の両方を学べたことは、大きな糧になると思います。

参考文献

この記事を書いた人

佐々木 周作
佐々木 周作
京都大学大学院経済学研究科特定講師。博士(経済学)。京都大学経済学部を卒業後、三菱東京UFJ銀行・大阪大学大学院・日本学術振興会特別研究員DC1およびPDを経て、現職。専門は、応用ミクロ計量経済学・行動経済学。主要業績に、「Majority size and conformity behavior in charitable giving: Field evidence from a donation-based crowdfunding platform in Japan」(Journal of Economic Psychology)などがある。
HP:https://ssasaki.weebly.com/profile-jp.html