複雑なシリルエノールエーテルをつくる新反応 – 医薬品や天然物の合成へ向けて
シリルエノールエーテルとは?
シリルエノールエーテルは、Si-O-C=Cユニットをもつ分子の総称であり、今から50年以上前に開発されました。1973年に故・向山光昭先生(当時東京工業大学)により初めてシリルエノールエーテルを用いたアルドール反応(現在では向山アルドール反応と呼ばれ、世界中の合成化学者が利用している)が報告されたのを契機に、シリルエノールエーテルの有用性に関する理解が進み、天然物や医薬品の合成に幅広く利用されてきています。
シリルエノールエーテルは化学選択性が高いため、カルボニル化合物と呼ばれる物質を、狙ったとおりの形で合成するうえで非常に有用です。カルボニル化合物は、アミノ酸やタンパク質といった身近な分子や医薬品などにも含まれており、その合成技術の向上は創薬をはじめとする諸分野の進展を支える重要な成果となります。
複雑なカルボニル化合物の合成
反応性と化学選択性に優れているシリルエノールエーテルは、天然物にみられるような非常に複雑なカルボニル化合物の合成や化学変換にも応用できますが、そのために必要となる複雑な構造のシリルエノールエーテルを合成すること自体が困難であるという本質的な問題がありました。
たとえば、複数の酸性プロトンや極性官能基を有する分子から、狙った形のシリルエノールエーテルを調製することは至難です。すなわち、基質に用いることのできるカルボニル化合物は必然的に単純な構造のものに限定されてしまいます。
そこで私たちは、単純なシリルエノールエーテルを、複雑な構造をもつシリルエノールエーテルへ直接変換することができれば、多種多様なカルボニル化合物を合成するためのまったく新しく、しかも、強力な手法になると考えました。
青色LEDと2つの分子触媒がもたらす新たな反応性
可視光エネルギーを利用した光レドックス反応は、近年盛んに研究が行われている分野のひとつであり、ラジカルと呼ばれる活性の高い化学種を中間体とした分子変換を得意とします。光エネルギーを化学反応のエネルギーに変換する光レドックス触媒を用いることで、通常のイオン反応や熱反応ではなし得ない分子変換を実現できるだけでなく、高エネルギーの紫外線を必要とせず、可視光を利用した温和な条件で反応を行うことができます。
シリルエノールエーテルは、酸化剤の存在下で光エネルギー(紫外光あるいは可視光)を与えると一電子酸化を受け、ラジカルカチオンという化学種が生じることが古くから知られていました。しかし、ラジカルカチオンの脱シリル化を経てカルボニル化合物に戻る反応が非常に速く進行するため、結合形成反応に応用されることはほとんどありませんでした。
私たちは、ラジカルカチオンの隣接位のC-H結合の酸性度が非常に高くなっていることに注目し、ラジカルカチオンを発生させるための光レドックス触媒と脱プロトン化を行うブレンステッド塩基を適切に組み合わせることで、脱シリル化を抑制してアリル位に炭素ラジカルを発生させることができるのではないかと考えました。
実際にDFT計算(密度汎関数理論に基づく電子状態計算)を用いて、モデル基質としたシリルエノールエーテルから生じるラジカルカチオンのアリル位C-H結合の酸性度を見積もったところ、アセトニトリル中でのpKaが8.4であると推定されました。この値は、強酸として知られているp-トルエンスルホン酸の同溶媒中のpKa(8.6)に近いことから、ラジカルカチオンの脱プロトン化がブレンステッド塩基により容易に進行し得ることがわかります。
また、電気化学測定により、シリルエノールエーテルが一般的な光レドックス触媒であるIr錯体により一電子酸化されることを確認しました。これらの知見をもとに、シリルエノールエーテルと求電子剤を触媒量のIr錯体と2,4,6-トリメチルピリジン(2,4,6-コリジン)存在下で青色LEDを照射し反応させたところ、速やかに反応が進行し、アリル位C-H結合がアルキル化された目的のシリルエノールエーテルを得ることに成功しました。本反応系では塩基の選択が非常に重要であり、他の有機塩基や無機塩基を用いてもほとんど反応が進行しません。また、大スケールでの反応も問題なく高収率で進行します。
今回開発した反応で得られた複雑な構造を有するシリルエノールエーテルは、シリルエノールエーテル本来の性質を残したままであり、天然物に見られる複雑かつ多様なカルボニル化合物へ容易に変換できることを実証しました。また、エストロン(ステロイドホルモンの1種で、複雑な構造のカルボニル化合物)の新しい誘導体の合成にも成功しています。
今後の展望
今回私たちが開発した新反応を用いることで、単純なシリルエノールエーテルから直接的に複雑な構造を有するシリルエノールエーテルへと変換できるようになりました。長年培われてきた従来の反応を組み合わせることで、今後、医薬品や天然物の迅速な合成に応用できると期待されます。しかし、依然として課題は残されており、たとえば適用できる基質の構造はまだ限られているため、改善の余地があると考えています。また、不斉反応への展開も視野に入れ、さらなる検討を行っていきたいと考えています。
参考文献
この記事を書いた人
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中島 翼(写真左上)
名古屋大学 大学院工学研究科 有機・高分子化学専攻 博士後期課程2年
2016年名古屋大学工学部化学・生物工学科応用化学コース卒業。2018年同大学大学院工学研究科応用化学専攻において修士課程修了。2018年同大学大学院工学研究科有機・高分子化学専攻において博士課程に進学。2019年から日本学術振興会特別研究員(DC2)。
佐藤 真(写真右上)
名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 博士研究員(研究当時)
2011年立教大学理学研究科博士課程後期課程修了 理学博士。2011年立教大学理学部化学科 博士研究員。2016年名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 博士研究員。
大松 亨介(写真左下)
名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所・大学院工学研究科 特任准教授
2008年京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了 理学博士。2008年名古屋大学工学研究科 助教。2013年名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 特任講師(工学研究科兼務)。2015年より現職。
大井 貴史(写真右下)
名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所・大学院工学研究科 教授
1994年名古屋大学工学研究科博士後期課程修了 工学博士。1994年日本学術振興会特別研究員(PD)米国MIT博士研究員(現米国Scripps研究所)。1995年北海道大学大学院理学研究科 助手。1998年北海道大学大学院理学研究科 講師。2001年京都大学大学院理学研究科 助教授。2006年名古屋大学大学院工学研究科 教授。2013年より現職。