ヒト社会を支える「痛みへの共感」

他の人の痛みを目の当たりにしたとき、まるで自分も痛みを経験しているかのような感情を覚えることがあります。たとえばテレビのバラエティ番組で痛そうなハプニングの映像を観て、思わず顔をゆがめてしまうといった経験をしたことがあるのではないしょうか。ヒトの社会では、このような他者の痛みへの共感によって、たとえば怪我人を世話するなどの行動が動機づけられます。

一般にヒト以外の動物では、怪我を負った他者を手助けする行動はまれであると考えられます。しかし、たとえばゾウやイルカなどの動物ではそうした行動が報告された例が少数あります。またチンパンジーにおいても、怪我を負った個体を毛づくろいしたり、罠にかかってしまった個体からその罠をはずすなどの行動が報告されています。

このような行動の観察例はある一方で、チンパンジーの心のはたらきについてはほとんどわかっていません。他者の怪我に対してチンパンジーは情動的に反応するのでしょうか。なお情動というのは感情の一部で、身体反応を通じて観察できるものとして心理学でよく使われる言葉です。私たちは京都大学野生動物研究センター・熊本サンクチュアリで暮らす6個体のチンパンジーを対象に実験を行いました。

怪我を見るチンパンジー

過去の観察からチンパンジーは他者の怪我に関心を持つと考えられます。そこでまず私たちは、アイトラッカー(視線計測装置)を使ってこの可能性を検討しました。

チンパンジーには液晶モニターを自由に見てもらいます。このとき、アイトラッカーを使って眼球運動を計測することで、チンパンジーがモニター上のどこを見ているのかがわかります。モニター上の左右に1枚ずつ、計2枚の写真を並べてチンパンジーに見せます。2枚のうち1枚は怪我のあるチンパンジーの写真で、もう1枚は怪我のない別の個体の写真です。このような写真のペアを見ているときのチンパンジーの視線を計測すると、チンパンジーは怪我を負った個体の画像をより長く見る傾向があることがわかりました。

実験に使用した刺激に3個体分の注視点を表すヒートマップを重ねた。赤・黄・緑色の順に、チンパンジーが長く見ていたことを表す。

なお、単に怪我が赤く背景から目立つために注意を引くのではないかという可能性も考えられます。これを検討するため、同じ写真の怪我の部分にさらに加工を施したものも見せました。写真は画素とよばれる小さな色の点からできていますが、写真の怪我部位を構成する画素の位置をでたらめに並べかえました。こうすることで、色の情報を残しつつそれが怪我であることがわかりにくくなります。このような画像を見せると、この加工をする前の写真ほどは怪我個体に注目しない傾向がありました。これらの結果は、チンパンジーが怪我を負った個体に関心を持つことを示唆しています。

鼻の温度が興奮の指標に

次に、チンパンジーが他者の怪我に直面したときに情動的な反応を示すのかどうかを検討しました。一般に情動反応にはさまざまな生理的変化がともないます。たとえば、心拍や呼吸の変化、発汗などがあげられます。本研究では特に、体表面の温度変化に着目しました。

チンパンジーやヒトを含む霊長類において、情動反応にともなって鼻先の皮膚温が低下することが知られています。そこで本実験では、チンパンジーの目の前で怪我を再現し、赤外線サーモグラフィを使って鼻尖温の変化を調べました。赤外線サーモグラフィは、物体が放射する赤外線をもとにその物体の表面温度を調べる機械で、これを使うことでチンパンジーの身体にセンサーなどの器具をつけずに体表温度を測定できます。

本物の怪我を見せるわけにもいきませんので、ヒト実験者の手のひらにリアルな傷のメイクを施すことにしました。おおよそハロウィンの仮装に使われるメイクのようなものです。手首に隠したチューブからは血のりが垂れるようになっています。実験の結果、このようなヒトの怪我を模した状況においてチンパンジーの鼻の温度が下がることがわかりました。この反応は、実験に参加した6個体のうち特に3個体で観察されました。

赤外線サーモグラフィで撮影したチンパンジーの画像例

経験が重要?

次の実験では、指に針を突きさすという場面を再現しました。このようなシーンを映した画像は、ヒトを対象とした心理学実験でよく用いられます。偽物の親指をつけたヒト実験者が、チンパンジーの前で指に針を刺します。するとこのような場面では、チンパンジーの鼻尖温変化はみられませんでした。

先の実験でメイクによって再現した怪我は、チンパンジーがケンカなどでよく経験する怪我と見た目が似ています。つまりチンパンジーにとってはなじみがあり、理解しやすいと考えられます。一方で、チンパンジーは生活のなかで針を使う場面はありません。もしかすると、チンパンジーは指に針が刺さるという状況の意味がよく理解できなかったのかもしれません。

おわりに

本研究の結果から、チンパンジーが他者の怪我に関心をもつこと、また他者の怪我に対して情動的に反応することが示唆されました。さらに個体によって反応に大きな違いがあることもわかりました。

ヒト以外の動物は心の状態を私たちに言葉で伝えてはくれません。そのため生理的反応を切り口とするアプローチは特に重要であるといえます。ほとんどのチンパンジーはセンサーや電極などを身体に直接とりつけるのを嫌がります。そのためサーモグラフィのように非接触で測定ができる手法というのは大きな強みです。加えて本研究では、メイクや手品のトリックのような仕掛けを使ってリアルな状況を再現しました。このようなひと工夫も実験を考えるうえでとても重要です。

本研究で観察されたチンパンジーの反応は、ヒトの共感的反応と共通する部分があるかもしれません。あるいはヒトのそれとは違うチンパンジーの心のはたらきなのかもしれません。今後の研究では、チンパンジーの反応がどの程度共感性と関連しているのかをより深く調べる必要があります。一般的に共感的反応は親しい相手に対してより強く生じることが知られています。怪我に対する反応にもこれが当てはまるでしょうか。また個体間での反応の違いはどのような要因で生まれるのでしょうか。チンパンジーの心を探る試みはさらに続きます。

参考文献
Sato, Y., Hirata, S., & Kano, F. “Spontaneous attention and psycho-physiological responses to others’ injury in chimpanzees” Animal cognition, 1-17 (2019)

この記事を書いた人

佐藤侑太郎, 狩野文浩, 平田聡
佐藤 侑太郎
京都大学野生動物研究センター博士後期課程学生・日本学術振興会特別研究員(DC1)。熊本サンクチュアリにてチンパンジー・ボノボを対象に認知実験をおこなっています。情動や共感性が主なテーマです。

野生動物研究センター:https://www.wrc.kyoto-u.ac.jp/

狩野 文浩
京都大学卒、京都大学霊長類研究所、マックス・プランク人類進化研究所を経て、現京都大学熊本サンクチュアリ特定准教授。
類人猿(ボノボ、チンパンジー)や鳥類(ハト、カラス)を主に対象に京都大学熊本サンクチュアリにて比較心理研究を行っています。視線追跡(アイ・トラッキング)やサーモ・イメージングなど最新技術の助けを借りて、動物の認知や感情など心の機能の研究を行っています。

平田 聡
京都大学野生動物研究センター・教授。京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了(2002年)、博士(理学)。林原類人猿研究センター主席研究員、京都大学霊長類研究所特定准教授を経て、現職。京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリ・所長。チンパンジーを対象にした比較認知科学的研究をおこなっている。2015年から野生ウマの調査も開始した。主な著書、『仲間とかかわる心の進化―チンパンジーの社会的知性』(岩波書店)。