ポリ酸とは?

ポリ酸とは、主にモリブデン、バナジウム、タングステンなどの金属原子と、酸素原子が規則的に配列した物質群です。金属元素を中心原子として、その周りに酸素原子が配位した正四面体、正八面体等の多面体構造が基本単位となり、多面体の稜、頂点、面を共有し、脱水縮合することで合成されます。

通常の金属酸化物は無限に続くバルク構造ですが、ポリ酸はそれ自身が独立した分子として存在できる点が最大の特徴です。ポリ酸の代表的な構造には、1900年代半ばに発見されたKeggin構造、Well-Dawson構造、Anderson構造があります。

ポリ酸はさまざまな構成元素を導入しやすく多様な構造を作れることから、多彩な性質を派生して持っており、それらの性質をもとに、触媒、分子カプセル、電子材料、クロミック素子、無機医薬などの幅広い分野への応用が期待されています。

ポリ酸のキラリティとは?

キラリティとは、「実像と、その鏡像が重ならない性質」のことをいいます。身近な例では、右手とその鏡像である左手は重ね合わせることができません(右手の掌と左手の甲を向かい合わせたときに重ならない)。そして、この性質を持っている物質は、キラルな物質、持っていない物質は、アキラルな物質と呼ばれます。

キラルなポリ酸には、Combination、Primary structure、Bond alternationという3種類のキラリティの発現様式が知られています。これまでに私が研究対象として扱ってきたものは、「Combination」型でキラリティが生じる[Ln(α-PW11O39)2]11-と[Ln(α2-P2W17O61)2]17-(Lnは希土類元素)で表される2つのポリ酸です。

これらのポリ酸の特徴は、合成が容易であることと、あとの実験でも扱いやすいことです。そして、分子内に対称面を持ち、通常のKeggin構造やWells-Dawson構造から一部分が欠けた[α-PW11O39]7-、[α2-P2W17O61]10-というユニットをそれぞれ2つずつ持っています。このユニットが、配位数が大きい希土類元素(Ln)に2つ配位する際、配位の仕方の違いでキラリティが生じたり、生じなかったりします。

[Ln(α-PW11O39)2]11-と[Ln(α2-P2W17O61)2]17-の構造

これまでの研究では、この2つのポリ酸において、構成するユニットがLnにCubic型と呼ばれる配位をすると、キラリティが消える(アキラルな)構造が水溶液中でのみ存在しうることが知られていました。

一方、構成するユニットがLnにSquare-antiprism型と呼ばれる配位をしたキラルな構造は、研究者のなかで非常になじみの深いものでしたが、なぜかラセミ化合物(光学的には不活性な化合物)しか単離されていませんでした。

この事実に対して私は、「ポリ酸の最終的な配位構造や単離形態を決めるのは、”対カチオンや共存分子との相互作用”である」という仮説を立てました。そして、水溶液中でしか予測されていない”アキラルな構造”のポリ酸の単離と、ラセミ化合物しか単離されていないポリ酸を”キラルな構造”として単離する「エナンチオ選択的単離」に取り組むことにしました。

ポリ酸のキラリティを対カチオンで制御

私は対カチオンや共存分子をさまざまな分子に変えながら、いろいろと試行錯誤してポリ酸の合成を行いましたが、最初のうちは失敗ばかりでした。

しかし実験を続けていくと、ジメチルアンモニウムカチオン(Me2NH2+)を対カチオンとして用い、ポリ酸のLnにCe(IV)イオンを導入すると、自然分晶が起きることを発見しました。自然分晶とは、L体もしくはD体のエナンチオマー(鏡像異性体)が自然に分かれて結晶化する現象です。自然分晶で得られた化合物は、その名の通り偶然の産物であるため、実用には不向きですが、学術的には非常に興味深い現象であるため、「キラルなポリ酸の自然分晶」は研究テーマのひとつとして現在も継続して研究しています。

2番目の発見は、テトラメチルアンモニウムイオン(Me4N+)という比較的対称性の高い対カチオンを使用することで、水溶液中でのみ存在が予想されていたアキラルな構造をもつ[Ln(α-PW11O39)2]11-の単離に初めて成功したことです。結晶中のポリ酸の様子を調べると、仮説通り、Me4N+による等方的なポテンシャル環境がアキラルな構造を生み出したことがわかりました。

単離されたアキラルな[Ln(α-PW11O39)2]11-の構造

ポリ酸のエナンチオ選択的単離 – 水素結合がラセミ化を防ぐ

さらに私は、ポリ酸をエナンチオ選択的に単離するために、共存分子としてアミノ酸や糖類を用いて多くの合成実験を行いました。最初のうちは失敗ばかりでしたが、あるとき、共存分子としてプロリン(アミノ酸のひとつ)を使った合成溶液を入れたサンプル瓶の中にモヤモヤした糸状結晶があり、その中にたったひとつだけ板状結晶を見つけました。

この結晶を単結晶X線回折装置に載せて構造を調べ、その解析結果をもとに合成手順を再度練り直したところ、これがブレークスルーとなり、2つのポリ酸[Ln(α-PW11O39)2]11-および[Ln(α2-P2W17O61)2]17-のエナンチオ選択的単離に成功しました。

これらの化合物に対して単結晶X線回折測定を実施し、結晶中でのポリ酸の様子を調べました。すると、共存分子として導入したプロリンがポリ酸に巻き付くように存在し、しかもプロリンからポリ酸へ水素結合が働いていることを発見しました。水素結合とは、電気陰性度が大きな窒素、酸素、フッ素などの原子と水素原子間に働く非常に弱い静電的相互作用です。

そもそもこの2つのポリ酸は、水溶液中において、[α-PW11O39]7-と[α2-P2W17O61]10-のユニットが常に回転しており、時間平均するとアキラルな構造に見えたり、アキラルな構造を経てラセミ化するというのが、研究者のあいだでのそれまでの見解でした。

しかし、プロリンがポリ酸に巻き付き、非常に大きな分子量をもつユニットの回転を数本の水素結合が止めることで、結果としてエナンチオ選択的単離の成功につながりました。

[Ln(α-PW11O39)2]11-と[Ln(α2-P2W17O61)2]17-(with Pro巻き付き)の構造

私はその後も研究を進め、最終的に、31P-NMRおよび円二色性スペクトルの測定を行い、[Ln(α-PW11O39)2]11-では、Lnの種類に依存した”on-site rotation”と”dissociation-association”、[Ln(α2-P2W17O61)2]17-では、Lnの種類に依存しない”on-site rotation”機構によって、ラセミ化が起きていることを明らかにしました。

キラルなポリ酸研究の発展に向けて

近年の日本におけるポリ酸研究は、合成、触媒、伝導、吸着、分離について集中して行われており、ポリ酸の構造や機能を制御することで、現代そして次世代産業を支える機能性材料としての可能性を探っています。一方で、キラルなポリ酸の研究は上記の機能研究と比較すると停滞していると感じています。世界では、キラルな構造を作ることがメインではありますが、ここ数年、応用を見据えた研究が少しずつ見られるようになっています。

私のこの研究は、ひとつの仮説をもとに始まり、ポリ酸のアキラルな構造の単離、自然分晶の発見、そしてエナンチオ選択的単離に成功し、キラリティの発現の程度を、アキラルからキラルへ、そして発現の規模を単結晶からバルクへと拡大することができました。さらに、通常ならば強い力でなければ止められなさそうな大きな分子の回転を、水素結合という非常に弱い力でも止められることを立証し、新しい知見を得たともいえます。

今後は、さまざまなキラルなポリ酸のエナンチオ選択的単離に取り組み、そこから得られた知見を用いて、それぞれの構造に適した単離法を構築したいと思います。究極の目標は、共存分子を入れるなどの化学的な操作を何もせずに、自分が求めるキラルなポリ酸を作り分けることです。そしてそれを、無機医薬として応用することが私の研究の最終的な到達地点です。この目標を目指して今後も研究を続け、日本におけるキラルポリ酸の研究を先導し、新しい機能性材料としてのシーズ提供を行いたいと考えています。

参考文献

  • Jun Iijima, Haruo Naruke, and Takanobu Sanji “Chirality Induction in Crystalline Solids Containing Sandwich-type [Ln(α2-P2W17O61)2]17- Polyoxotungstates and Proline” Inorganic Chemistry, 57 (21), 13351-13363 (2018) DOI: 10.1021/acs.inorgchem.8b01913
  • Jun Iijima, Haruo Naruke, and Takanobu Sanji “On chirality induction in the crystalline solidcontaining sandwich-type [Ln(α-PW11O39)2]11- polyoxotungstate and proline” RSC Adv., 6, 91494-91507, (2016) DOI: 10.1039/c6ra22278a.

この記事を書いた人

飯島 淳
飯島 淳
日本大学医学部一般教育学系化学分野助教。
2011年9月 東京工業大学大学院総合理工学研究科化学環境学専攻修了。博士(理学)。専門は、無機化学、無機合成化学、構造化学、分光化学。東京工業大学資源化学研究所(現、化学生命科学研究所)においてポスドク、その後、東京農工大学工学部での特任助教を経て、2014年より現職。修士課程では、ポリ酸の無機医薬への応用に関する研究に携わっていました。将来的に、自分で作りわけたキラルなポリ酸で、医薬への応用を行うために、現在は、キラルなポリ酸のエナンチオ選択的単離法の構築、確立、そして応用研究への展開を進めています。