川に潜って生きものを見る

水中メガネをつけて川に潜ると、地上からは見えない生きものたちのさまざまな営みを見ることができます。人影に驚いて大きな岩の隙間に我先に隠れようとするウグイの群れ、コツコツと音をたてながら石の表面の小さな虫をついばむムギツク、浅瀬で喧嘩する今年生まれの小さなカワヨシノボリたち。

魚たちの営みは夜になっても続きます。川底をライトで照らすと昼間は砂の中に隠れていたカマツカが川底でジッとしている横を、アカザが数匹ひょろひょろと通り過ぎ、少し視点を移すと1m近いオオサンショウウオが隠れ家から身を乗り出して獲物が来るのを待ち構えています。

冬の川では魚はほとんど動きませんが、たくさんの水生昆虫たちが活動しています。急な流れの岩の表面では、アミメカワゲラの一種がブユの幼虫に襲いかかり、ブユの幼虫はお尻の吸盤を岩からはなし、岩にくっつけた糸にぶら下がることで難を逃れます。岸近くの浅い流れでは無数のヒメフタオカゲロウが頭を上下させて石の表面の藻をついばんでいます。川の生きものの営みは見ていて飽きません。

芦生研究林の川(由良川上流)の生きものたち(1. 岩陰に隠れるウグイ、2. ムギツク、3. カワヨシノボリ、4. カマツカ、5. アカザ、6. オオサンショウウオ、7. アミメカワゲラ科の一種、8. ブユ科の幼虫、お尻の吸盤のような器官で岩にくっついている、9.ヒメフタオカゲロウ属の一種)

研究としての魚類の長期観察

川の生きものを見ることは楽しいですが、研究として観察を始めるといろいろ事情が変わってきます。まず、毎回記録を残さないといけません。ただ生きものを見るだけなら手ぶらでいいですが、観察の際には記録用紙などを持って川に潜る必要があります。魚のほかに生息環境も調べるなら、環境測定の機材も必要になります。また、毎回の観察方法を揃える必要があります。方法がときによって違うと、それぞれの記録の比較ができません。

そして観察のタイミングは生きものの都合に合わせる必要があります。調査地の川には昼行性と夜行性の魚の両方がいるので、昼夜両方で観察します。夜の観察では水中用のライトを使います。また、季節による変化を見たい場合は1年を通して川に潜る必要があります。冬の川は寒いので、ドライスーツという完全防水の服の中にセーターとウールの下着を重ね着して調査をします。

調査としての川潜りは楽しいばかりではありませんが、しっかりと積み重ねられたデータからは、ときに研究者自身も予想していなかった新しい発見が得られることがあります。

シカのせいで魚が減った? – きっかけは地元ガイドさんとの会話

さて、今回紹介する内容ですが、実は本研究の舞台である京都大学芦生研究林で調査を開始した当初はまったくアイデアとしてありませんでした。私が修士課程のときに魚類の観察を開始し、それからおよそ10年分のデータが貯まったころ、環境教育活動などを行なっている地元の方から「シカが川岸の植物を食べたせいで魚が減ってしまった」と相談され、その際に「本当に芦生の川の魚は減っているのか?」と気になって改めてデータを確認したのが今回の研究のきっかけでした。

芦生研究林は近畿地方でも有数の自然林が大学の管理下で残されており、研究者だけでなく地元ガイドによる観光ツアーも入ることで有名な森です。芦生の森の林床は少なくとも1990年代までは多様な草木に覆われていましたが、2000年代に入ってからシカがほとんどの林床の植物を食べ尽くし、2006年ごろから林内の大部分の地面がむき出しの状態となってしまいました。

左:1998年の芦生研究林(写真提供:柴田昌三・京都大学教授)、右:2008年の芦生研究林(写真提供:吉岡祟仁・京都大学教授)

奇しくも私の魚類の観察の開始は2007年で、ちょうど林床の植物がほとんどなくなってしまった直後であり、そこからおよそ10年間の魚類とその生息環境の変化を記録したデータがあることになります。地元の方たちに何かアドバイスをするにせよ、まずはこのデータを改めて検討する必要があると考えました。

芦生研究林での川の環境と魚の個体数の11年間の変化

2007年5月から2018年6月までの11年間に調査地で観察された魚のうち、比較的個体数の多かった13種についてデータを確認すると、ウグイという魚は観察を始めた際は毎回200個体近くが観察されていたのに、ここ数年は100個体も見られない年が続いていました。

これは本当にこの10年で何かあったのかもしれないと思い、続いて川の環境データを確認すると、砂地の面積が増え、大きな礫に覆われた川底がこの10年で減少している傾向がみられました。ウグイは産卵場所に砂のない礫底の環境を利用することや大きな石の下などに好んで隠れることなどを考えると、本種の個体数が減ったことと整合性がとれます。では、砂地が好きな魚はどうなったでしょうか? 改めてデータを確認すると、カマツカという種の個体数が増えていました。この種は地元では「すなくい」とも呼ばれ、漏斗のような口で水生昆虫などを砂ごと吸いこんで食べる典型的な砂地利用者です。

これらの結果から、どうやら芦生研究林の川ではこの11年で”なにか“があって川の環境が変化し、それが魚の個体数にも影響しているらしいことまでわかりました。ではその”なにか”はシカによって引き起こされたのでしょうか? このことを検討するため、私は関連する先行研究を調べました。

左:2007年6月の調査地の川、右:2018年6月の調査地の川

森でシカが増えると川はどうなる?

シカの個体数の増加が森の環境やそこに棲む生きものたちに影響したという研究は、日本を含め世界中でたくさん報告されていました。一方で、シカの増加が森と接している川の環境やそこにすむ生きものに与える影響は、研究例がとても少ないことがわかりました。

そうしたなかで、芦生研究林ではシカの増加が水域の生態系に与える影響を検討したいくつかの貴重な研究が行われていました。芦生研究林ではシカの影響が深刻化した直後から、研究林内を流れる由良川の最上流部にある支流の集水域の周囲約1.5 kmを柵で囲い、植生を保護する試みが行われてきました。こうした保全活動の成果のひとつとして、林床の植物がある場合とない場合では、植生がない場合に森林斜面から川に流れ込む土砂の量が増加することが報告されていました。

こうした上流部での川への土砂流入の増加は、下流にある調査地の環境にどのような影響を与えたのでしょうか? 一般に森林伐採や土地開発などによって上流部で川への土砂流入が増えると、その土砂は洪水などによって下流に運ばれ、下流部では川底に細かい砂が増え、川の瀬と淵の構造も単純化するといわれています。

一方、芦生研究林内を流れる川は、最上流から十数kmにわたり、この数十年大規模な伐採や開発が行われていない、とても貴重なフィールドです。そのため、人為的な影響ではなく、シカの食べ尽くしによる林床植物の消失が、森林伐採などと同じような機能を果たし、調査地の川の環境を変化させ、魚類の個体数にも影響を与えたと考えられました。

結果として、ガイドの方が話していた「川岸の草をシカが食べた」影響についてははっきりした答えは出ませんでしたが、それをきっかけとして異なる側面から川の魚に対するシカの影響を見いだすことができました。

予想できない長期観察の研究成果

この研究は、伐採や開発などの影響がない大学の研究林で、たまたまシカによる林床植物の食べ尽くしがあった直後に、たまたま魚類の長期的な観察を始めていて、そのデータが10年近く貯まっていたときにたまたま地元の方から相談を受けて、さらにはたまたま良い先行研究が調査地の上流で行われていたおかげで発表につながったものです。こうした研究者自身すら予想していなかった研究成果へたどり着くことも、野外での長期観察の醍醐味のひとつではないでしょうか。

この記事を書いた人

中川 光
中川 光
東京都立大学理学部生物学科を卒業後、京都大学大学院理学研究科にて学位取得、神戸大学および広島大学の研究員を経て、2016年度より京都大学フィールド科学教育センターの特定助教に着任、2019年度からは同東南アジア地域研究研究所へ特定助教として異動。少年時代から大学まで東京日野の実家近くの多摩川でいろいろな生きものを採ってあそんでいましたが、今はそうした川の生きものたちがどのような要因によって増えたり減ったり、または多くの種が共存できたりするのかといったことに興味をもって、川で生きものを採ったり観察したりしています。