「スピン自由度」を活用した次世代デバイス

近年、IoTや人工知能の重要性が増すにつれ、より高度な情報処理技術がますます必要とされています。特に、情報処理に必要なエネルギーを低減することは極めて重要な課題です。

そのなかでも特に、パソコンはもとより、スマートフォンや家電、自動車など日常生活の至るところに利用されている「トランジスタ」の消費電力を低減することが必須です。現在のトランジスタは、電源を切るとデータが失われてしまうことが大きな問題であるため、情報を維持するためだけに常に大量の電力が消費されています。

一方で、電子がもつ磁石としての性質である「スピン自由度」を利用して、現在のトランジスタに長期記憶の機能を持たせる研究が進んでおり、この技術を用いて新たなデバイスが実現できれば、電力の大幅な削減が可能になると期待されています。

特に最近は、磁石の磁化の向きを電流に寄与する電子(伝導電子)のスピンを用いて読み取ることができるようになってきています。この技術を用いることによって、情報を磁化の向きとして蓄えて高速に読み取ることが可能となるため、電力を使わずにデータを保持できるようになります。

磁化反転に必要な”エネルギーの低減”が課題

スピンを用いたデバイスを実現するうえで、強磁性体の磁化の向きを変えるために必要な電力を低減することが大きな課題となっています。

現在、スピン輸送トルクという電子のスピンの向きを磁化に受け渡す手法や、磁石となる金属材料に非磁性の金属を接合させた二層構造に電流を流すことによって生じるスピン軌道トルクという力を利用した磁化反転の方法が実用的だと考えられています。金属の二層構造を用いる方法の場合は、スピン軌道相互作用という相対論的量子効果が大きな非磁性金属を、強磁性金属層にきれいに接合する必要があります。

しかし、これらの方法では、通常107 Acm-2程度の大きな電流が必要となるため、この電流を減らすことが大きな課題となっていました。

低電流密度での磁化反転の実現

今回、私たちは、ガリウム砒素(GaAs)という半導体にマンガン原子を数%加えた「強磁性半導体GaMnAs」の垂直方向に磁化した単層極薄膜を作製し、このGaMnAsに3.4×105 Acm-2という小さな電流密度の電流を流すだけで、磁化の向きが反転することを初めて発見しました。

この物質は、半導体でありながら磁石としての性質も持つ非常にユニークな材料で、半導体デバイスとの相性も良く、将来的には半導体をベースとしたスピンデバイスに利用できる材料として期待されています。

GaMnAsは、その磁石としての性質(強磁性)とともに、物質内部に比較的大きな「スピン軌道相互作用」が存在することが知られていました。この大きなスピン軌道相互作用が、今回の研究においてGaMnAsが低電流密度での磁化反転を可能にした要因と考えられます。

「スピン軌道相互作用」が存在すると、電流の向きとは垂直の方向を向いたスピンをもった電子(または正孔)が流れ、電流を逆に流すとその向きは反対になります。磁化はスピンの向きに対して垂直な面内で回転することがわかっており、その結果、電流を流すことによって磁化が反転し、電流の向きによって磁化の向きを変えることができます。

強磁性半導体GaMnAsの極薄膜に電流を流すことにより磁化が反転することを発見した。物質内部に存在する相対論的量子力学効果であるスピン軌道相互作用により、流れる正孔が面内方向のスピンの成分をもつ。これがトルクとして磁化に働き、磁化が反転する。

この物質は、「分子線エピタキシー法」という原子層を1層ずつゆっくりと積層していく方法で作製されており、原子レベルで平坦でかつ高品質な単結晶でできています。

スピンは結晶の品質が悪いと容易に散乱されてランダムな向きになってしまうことが知られており、このような高品質の単結晶を用いたことにより、電流が流れる際のスピンの散乱が大きく抑制されていると考えられます。この点も、今回の低い電流密度での磁化反転の実現につながっていると考えられます。

さらに、スピン軌道相互作用を十分に活かすためには物質の電子状態も重要で、大きな運動量をもつ電子(または正孔)が伝導に寄与している必要があります。GaMnAsでは、不純物バンドと呼ばれる運動量の大きな正孔が集まるエネルギー帯を電流が流れることがわかっており、それが効率的な電流誘起磁化反転を引き起こしている要因となっていると考えられます。

実験に用いた強磁性半導体GaMnAsの電子顕微鏡による格子像。分子線エピタキシー法により作製した。原子が整然と並んでおり高品質の単結晶薄膜であることがわかる。

実験に成功するまでの道のり

実験を始めた当初は、GaMnAsという物質にこのような効果があることはあまり知られていませんでした。そのため、初めは、他の研究と同様にPtなどのスピン軌道相互作用の大きな金属を接合させた二層構造などを用いて、電流誘起磁化反転の研究を行っていたのですが、なかなか成功しませんでした。

そのようななかで、偶然GaMnAs単層薄膜に電流を流してみたところ、非常に小さい電流密度で磁化が反転しました。初めてこの現象を見たときには非常に驚きましたが、当初は磁化が反転する原理が理解できず、いろいろと試行錯誤が続きました。

物質にはそれぞれ知られていない性質がいろいろと隠れているもので、このように実際に実験をしてみないと何が起こるかわからないところが、物性研究のひとつのおもしろさだと思います。

新たな材料開発へ向けて

この研究により、磁石となる物質の内部に大きなスピン軌道相互作用が存在すれば、電流により磁化を反転できることがわかりました。この場合、単層膜に単純に電流を流せば良く、従来のように二重層構造を精密に制御して作製する必要がありません。したがって、デバイス構造がより単純になります。

今回の研究は40 K程度の低温で行われていますが、それは今回用いた材料の強磁性転移温度が室温以下であることが理由であり、本質的な問題ではないと考えられます。室温で強磁性を示す材料を用いて、その内部に大きなスピン軌道相互作用と大きな運動量を持つ電子が存在すれば、同様の効果が室温で得られることが期待されます。本研究により、今後より低電力で磁化反転できる新たな材料開発が加速していくことが期待されます。

参考文献

  • Miao Jiang, Hirokatsu Asahara, Shoichi Sato, Toshiki Kanaki, Hiroki Yamasaki, Shinobu Ohya, and Masaaki Tanaka, “Efficient full spin-orbit torque switching in a single layer of a perpendicularly magnetized single-crystalline ferromagnet”, Nature Communications 10, pp.2590/1-6 (2019). DOI: 10.1038/s41467-019-10553-x
  • Shinobu Ohya, Kenta Takata, and Masaaki Tanaka, “Nearly non-magnetic valence band of the ferromagnetic semiconductor GaMnAs”, Nature Physics 7, pp.342-347 (2011). DOI: 10.1038/NPHYS1905

この記事を書いた人

Miao Jiang, 大矢 忍, 田中 雅明
Miao Jiang, 大矢 忍, 田中 雅明
Miao Jiang(写真左)
東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻博士課程2年。田中研究室在籍。中国・清華大学を卒業後、清華大学および東京工業大学にて修士号を取得。修士課程では、熱アシスト磁気記録への応用に向けた反強磁性体の電気的磁性制御の研究に従事。現在は、東京大学において半導体スピントロニクスの研究に従事。特に、電流注入により磁化を制御できる新たな革新的な手法として期待されているスピン軌道トルクを用いた磁化制御の研究を行っている。

大矢 忍(写真中央)
東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、博士(工学)。2005年より2010年まで同専攻(電気系工学専攻)助手(助教)。この間、2006年9月から2010年3月まで科学技術振興機構さきがけ「界面の構造と制御」領域研究者を兼任。2010年4月より2014年3月まで東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻准教授。この間、2011年2月より2013年2月まで日本学術振興会海外特別研究員(米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校)を兼任。2014年4月より総合研究機構准教授。主な研究内容は分子線エピタキシー法による結晶成長技術を用いた半導体、酸化物、金属半導体複合構造などを用いたスピントロニクス材料とデバイスの開拓など。

田中 雅明(写真右)
東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(工学博士)。1989年より東京大学工学部電子工学科・助手、1990年より東京大学工学部電気工学科・講師を務める。1992年から94年まで、米国ベル通信研究所にてVisiting Research Scientistとして研究を行う。1994年より東京大学工学部電子情報工学科助教授、1995年から2004年まで同大学院工学系研究科電子工学専攻助教授、2004年から現在まで同大学院工学系研究科電気系工学専攻(~2008年電子工学専攻)教授を務める。2016年より同大学院工学系研究科スピントロニクス学術連携研究教育センター長を兼任。この間、1995年より98年まで科学技術振興事業団さきがけ研究21「場と反応」領域研究者を兼務、2001年より2004年まで科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業さきがけタイプ「光と制御」領域研究者を兼務。2004年より2006年まで同戦略的創造研究推進事業継続研究(SORST)代表者を兼務。半導体量子ヘテロ構造・ナノ構造、金属・半金属・磁性金属・磁性半導体を含むエピタキシャル薄膜や多層膜・ヘテロ構造・ナノ構造の結晶成長とその物性機能の探索、およびデバイス応用の研究およびスピントロニクスの研究に従事。応用物理学会、日本物理学会、日本磁気学会会員、応用物理学会Fellow。日本学術会議連携会員。