「根気」を生み出す脳内メカニズムとは? – 腹側海馬の神経活動から探る
「やる気」と「根気」
私たちはよりよい生活を営もうと目標をもち、その目標の達成に向けて行動します。目標を達成するための行動を「意欲行動」と呼び、意欲行動を成功に導くためには「やる気」と「根気」が必要です。
試験勉強を例に考えてみましょう。X大学に合格したいという目標をもって、実際に行動を開始するには「やる気」が必要です。やる気は持続してこそ意味があり、持続しないやる気は三日坊主に終わってしまいます。やる気の持続には「根気」が必要で、目標達成までねばり強く行動を続けなければなりません。特に目標が高いほど、ねばり強く取り組む必要性が増します。
これまでに、行動の開始、はじめの一歩を踏み出す「やる気」の脳内メカニズムについては、運動制御や報酬を計算する大脳基底核(線条体やドパミン神経)が重要であることが明らかにされてきました。しかし、行動を持続させる「根気」についての研究はなく、その脳内メカニズムはまったくわかっていませんでした。
根気と腹側海馬の関係
では、どういうときに意欲行動が続けられなくなくなるでしょうか? その原因のひとつとして「不安」が考えられます。意欲的に取り組んでいるにもかかわらず、わずかでも不安が高じると行動に集中できず、手を止めてしまうことは私たちの体験からも理解できます。
不安を制御する脳部位のひとつとして「腹側海馬」が知られています。そこで私たちは、根気と腹側海馬の活動の関係を、マウスを用いて調べることにしました。
「根気」を定量する実験系には、マウスがレバーを押すとエサがもらえるというオペラント課題を用いました。この課題では、設定したレバー押しの回数をマウスが制限時間内に押すことができればエサを獲得でき、これを成功とします。設定した回数に至るまでレバーを押し続ける「根気」が続かず制限時間を迎えた場合は、失敗となります。この実験を繰り返し、エサを獲得できた成功確率により「根気」を評価しました。
腹側海馬の活動計測には、ファイバーフォトメトリー法による集団カルシウム計測系を用いました。海馬CA1領域に特異的にカルシウム蛍光プローブを発現する遺伝子改変マウスを用い、このマウスの腹側海馬に光ファイバーを留置します。光ファイバーを通じてプローブを励起し、神経活動によって変化する蛍光を同じ光ファイバーで回収することで、腹側海馬CA1の活動を計測することができます。
この2つの実験系を組み合わせて、課題中に腹側海馬神経細胞の活動を計測しました。その結果、施行開始から徐々に腹側海馬の神経活動が下がり始め、レバー押しの開始(1回目のレバー押し)からレバーを押し終わるまで、腹側海馬の活動抑制が持続しました。一方、途中でレバーを押さなくなった失敗トライアルでは、腹側海馬の活動抑制が解除され、ベースラインに戻りました。
根気には腹側海馬の活動抑制が必須
次に、人為的に神経細胞の活動を操作する実験(オプトジェネティクス)を行い、腹側海馬の神経活動を変化させることで起こる行動の変化を調べました。5回のレバー押しでエサがもらえる課題において、レバー押し行動中に腹側海馬神経細胞を人為的に興奮させ、活動抑制を解除したところ、成功確率が95%から80%へ下がりました。
反対に、20回のレバー押しでエサがもらえる課題において、レバー押し行動中に腹側海馬の活動を人為的に抑制し、本来備わる抑制作用をさらに亢進させたところ、成功確率が50%から83%へと上昇しました。このことから、腹側海馬神経細胞の活動抑制が意欲行動の持続に必須であることを発見しました。
根気を生み出す神経メカニズム
最後に私たちは、腹側海馬神経細胞の抑制メカニズムを探索しました。海馬活動を抑制する神経伝達物質のひとつとして、セロトニン(以下、5-HT)が知られています。そこで私たちは、意欲行動の持続中に生じる腹側海馬の活動抑制に5-HT神経が関与するかを調べました。
その結果、レバー押し中に正中縫線核5-HT神経が活性化することを明らかにしました。加えて、海馬で放出されるセロトニンが、海馬に発現するセロトニン受容体3Aを介して海馬神経細胞の活動を抑制することを発見しました。
このことから、(1) 正中縫線核5-HT神経が活性化することと、(2) 海馬で放出されるセロトニンが海馬に発現するセロトニン受容体3Aを介して海馬神経細胞の活動を抑制することで、「根気」を持続させていることが明らかになりました。
精神・神経疾患でみられる意欲低下の治療に向けて
意欲の低下は、うつ病をはじめとするさまざまな精神・神経疾患で高頻度に生じる症状のひとつです。意欲の低下は治療やリハビリの妨げになり、患者や支援者に悪影響をもたらします。しかし、意欲低下の神経基盤はよくわかっておらず、未だに有効な治療法は存在しません。
たとえば、うつ病の治療に認知行動療法がありますが、これには定期的にクリニックに通い続ける「意欲行動の持続」が求められます。うつ病モデルとして前臨床研究で広く使われている病態モデル動物を用いて、病態時の意欲低下と脳内メカニズムの関係性を調べることで、意欲的に行動が続けられないために認知行動療法を受けることができないケースにどのような介入ができるか、という新しい研究の切り口を提案できます。
参考文献
Keitaro Yoshida, Michael R. Drew, Masaru Mimura & Kenji F. Tanaka, “Serotonin-mediated inhibition of ventral hippocampus is required for sustained goal-directed behavior” Nature Neuroscience, 22, 770–777 (2019)
この記事を書いた人
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吉田 慶多朗(写真)
2013年 東京薬科大学 生命科学部生命科学科 卒業
2015年 慶應義塾大学大学院 医学研究科 修士課程 修了
2015年より現在 慶應義塾大学大学院 医学研究科 博士課程(2018年 日本学術振興会特別研究員DC2)
田中 謙二
2005年 生理学研究所 分子生理研究系 助手
2006年 - 2008年 コロンビア大学 Rene Hen Lab ポスドク
2008年 生理学研究所 助教
2012年 - 2015年12月 慶應義塾大学医学部 精神神経科 特任准教授
2016年1月 - 現在 慶應義塾大学医学部 精神神経科学教室 准教授
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