こころの性差の根源を求めて

女は男を好きになり、男は女を好きになる、これが一番月並みな恋愛のかたちですが、同性を好きになる人も少なからずいます。また、自分のからだの性別が、気持ちのうえでの性と違っていると感じる人も珍しくありません。これは、「肉体の性」とは区別できる「心の性」があることを暗示していると思います。

ならば、心の住処はどこかと問えば、それは脳です。脳も確かに肉体の一部ではありますが、筋肉や生殖器とはどうも違った存在であるといえそうです。ヒトの脳に性差があることは半世紀前から言われていますが、この臓器、あまりに複雑で未だその実体は謎です。

脳はもちろん、ヒトの専売特許ではありません。私たちの身の回りにいる多くの動物たちが脳を持ち、雌雄が愛を育んで子孫を残していきます。ならば、彼らにも性の悩みはつきもののはず。

私たちは今から30年あまり前に、この問題に迫るうえで絶好の研究対象を手にしました。ショウジョウバエの「サトリ」と名付けた突然変異体です。

ショウジョウバエのサトリ変異体

雄同士が求愛するショウジョウバエの「サトリ変異体」の実像

サトリの雄は雌に求愛せず、雄に対して求愛し、不妊です。私たちは、サトリ系統に同性愛表現型をもたらしている突然変異が、どの遺伝子に起きているのかを突き止めて、1996年にこれをクローニングすることに成功しました。それが、フルートレス(fruitless: fru)遺伝子です。

fruの野生型アリル(正常型対立遺伝子)は、同名のタンパク質(Fruタンパク質)を合成するための暗号を担っていて、このFruタンパク質は他の約100個の特定の遺伝子群に(それらが共通して持つDNA配列に)結合する性質を持っています。こうして相手のDNAに結合することで、Fruタンパク質はそれらの標的遺伝子の暗号が読み取れないよう、遺伝子に鍵をかけるのです。

おもしろいのは、雌雄ともにfru遺伝子をゲノム上に持っているにもかかわらず、Fruタンパク質が作られるのは雄だけであり、雌では作られないことです。しかも、fru遺伝子は脳神経系だけで使われています。このことから、Fruタンパク質は雄だけが持つ神経細胞の雄化因子だとする仮説が生まれました。

そこで疑問が浮かぶことでしょう。つまり、神経細胞の「雄化」って、何? という疑問です。そもそも、一個一個の神経細胞に雄と雌の違いがあるかどうかも定かでないという状態が、ごく最近まで続いていましたので、これは当然の疑問です。

そこで、木村賢一(北海道教育大学教授)を中心に、私たちはfru遺伝子が働いている神経細胞(fruニューロン)をひとつずつ染めだして同定し、雌雄で比較しました。

その結果、生まれたときには雌雄で差のない個々のニューロンが、大人になったときにはまるで違った突起を持つようになることがわかり、神経回路が性によって大いに違っていることが明らかとなったのです。さらに、雌にしかないニューロンや、雄にしかないニューロンが続々と見つかりました。

ショウジョウバエのニューロンの性差
(左)雄のニューロン(右)雌のニューロン

これらの性差を示すニューロンのうち、雄だけがもっているP1という名のニューロン群(脳の片半球あたり20個ある)は、求愛行動の司令塔であり、人工的にそれを興奮させるだけで雄に求愛行動を開始させることが可能です。

雌になるか雄になるかを分かつタンパク質「LolaQ」の発見

このような研究から、行動に見られる性差が、一個一個のニューロンの性差によって生み出されることがわかって来ました。そして、ニューロンを雌雄で違ったものに作り上げる作業の指揮をとっているのが、Fruタンパク質なのです。では、Fruタンパク質の有る無しによって、なぜニューロンはまるで違った形に仕上がるのでしょうか。

Fruタンパク質が、100個あまりの遺伝子を封印して読み出せなくするらしいと上に述べましたが、ここで、Fruタンパク質の手足となって働くもう一種類のタンパク質があることを、私のグループの佐藤耕世博士が発見しました。それが、「ローラQ(LolaQ)」という名のタンパク質です。

LolaQは、雌では大きいものと小さいものがあり、一方、雄では大きいものだけしか見あたりません。さらに調べると、雌では大きなほうのLolaQが、そのタンパク質分子の頭の部分(N末端)が削ぎ落とされて、小さいLolaQに変化することがわかりました。雄ではこの刈り込みが起きないため、大きなLolaQしか存在しないのです。この刈り込みの有無が、実は重大な結末をもたらします。

大きなLolaQは、ニューロンに雄独特の突起を作らせる働きを持ちますが、刈り込まれた小型のLolaQは大型のLolaQの作用を妨げて、ニューロンを雌型になるよう仕向けるのです。つまり、大きなLolaQはニューロンの雄化因子、小さなLolaQは雌化因子というわけです。

ではなぜ、雄では大型のLolaQは頭を削り落とされずに済んでいるのでしょうか? 驚くべきことに、雄にだけ存在するFruタンパク質が、LolaQタンパク質の頭の部分に貼り付いて、削り落とされるのを防いでいたのです。つまりFruタンパク質は、DNAに結合して遺伝子の読み取りを妨ぐだけではなく、LolaQにも結合して雄化因子が雌化因子に切り替わることを防いでいたのです。なお、LolaQの頭を削り落とすのは、ユビキチンプロテアソームという、いらなくなったタンパク質を分解する廃棄物処理班でした。

ヒトの脳と性を考える

こうして、動物が雌雄で違った行動をする土台には、ニューロンの性による違いがあり、その性差を作り出す新しい仕組みとして、タンパク質の部分分解があることが初めて明らかとなりました。

LolaとFruの2つのタンパク質はともにBTB-zinc fingerファミリーに属していて、その名に冠されているBTBという構造を共有しており、互いのBTB構造を介してくっつきます。このBTBという構造は、ユビキチンプロテアソームを呼び込む働きも担っています。

BTB構造を持ったタンパク質は我々ヒトにも多数あり、今回ショウジョウバエで見つかった脳の性差を作る仕組みが、人の心の性を生み出すところで使われている可能性は十分にあるでしょう。今後の研究の行方が注目されます。

参考文献
Kosei Sato, Hiroki Ito, Atsushi Yokoyama, Gakuta Toba & Daisuke Yamamoto “Partial proteasomal degradation of Lola triggers the male-to-female switch of a dimorphic courtship circuit” Nature Communications volume 10, Article number: 166 (2019)

この記事を書いた人

山元 大輔
1978年 東京農工大学 大学院農学研究科修士課程修了
1980-1999年 (株)三菱化成生命科学研究所 研究員
1981年 理学博士(北海道大学)
1981-1983年 アメリカ合衆国ノースウエスタン大学医学部 ポストドク
1999-2005年 早稲田大学 教授(人間科学部、理工学部)
2005-2018年 東北大学 大学院生命科学研究科 教授(現在、名誉教授)
2018年-現在 国立研究開発法人情報通信研究機構 未来ICT研究所 上席研究員