ヒトの嗅覚は犬など他の動物より感度が低いといわれますが、とはいえ「におい」が私たちの生活に及ぼす影響は少なくなく、見た目の印象がにおいによって変わることがあります。たとえば、レストランでメニューの写真を見ているときを想像してみてください。同じ写真でも、店内から肉が焼けるようないいにおいを感じるときはメニューも美味しそうに見えるでしょう。反対に、食べ物が腐ったような不快なにおいがするときでは、どんな料理の写真もまずそうに見えるかもしれません。このような現象は、私たちが嗅覚情報と視覚情報を統合的に処理しているからだと考えられます。

視覚情報が嗅覚に影響を与えることは、さまざまな研究から知られています。ある報告では、ワインテイスティングの訓練を受けた人たちに、赤く着色した白ワインのにおいを評価させるという実験を行いました。すると、着色した白ワインのにおいを本物の赤ワインであるかのように評価してしまったのです。このように、視覚(色)が嗅覚の認識を誤った方向に誘導することがあり、それだけ視覚は嗅覚に対する強い影響力があるといえます。

一方で、嗅覚から視覚にどんな影響を及ぼすのかはよくわかっていません。見た目の色を変えただけで嗅覚知覚を誘導したように、においが「色」という視覚的知覚を左右することはありうるでしょうか?

私たちの研究では、色を記憶するテストを行い、テスト中ににおいがあるときとないときで記憶に差があるのかを検討しました。におい物質として、柑橘系の皮に含まれている物質のひとつであるデカナールを採用し、さまざまな色のうち「オレンジ色」にどんな影響を与えるかに着目しました。オレンジ色はその名のとおり、柑橘系フルーツの見た目にとても近い色です。そのため、デカナールが惹起する柑橘臭は、オレンジ色の記憶を助け、記憶成績を上げるのではないか? という予想のもと実験を行いました。

においが色記憶に及ぼす影響

今回の研究で使用した色は、すべて等輝度で、色相(色味の違い)が異なります。色は全部で20色ですが、見た目から「オレンジ・グリーン・ブルー・ピンク」の4群に分類しました。実験では、画面に4色の色が表示され、その後どれか1色についてどんな色だったかを回答します。色が表示される時間は0.2秒ととても短いため、実験参加者は一瞬で4色すべてを覚えなければなりません。回答時は、マウスのトラックボールを円にそって回転させると、回転角度にしたがって色が変化します。実験参加者は、記憶した色と同じ色になるようカーソルを回転させ、回答します。

実験手順
実験参加者は4色の色を短い時間で一度に記憶し、どれか1色を答えるよう指示される。トラックボールの回転角度にしたがって色相が変化するように設計されており、もとの色を再現して回答終了とする。

実験に使用したデカナールというにおい物質は、上述したとおり、ある一定の濃度では柑橘系のフルーツのようなにおいがします。このデカナールを嗅いでいるときと、無臭条件のときの色記憶の成績を比較しました。

色記憶回答時に計測した角度から、「色を記憶にとどめていた確率」を計算することができます。この確率をPm(pobability of memory)と呼びます。私たちは、においあり条件と無臭コントロール条件のあいだで、Pmに差があるかどうかを検討しました。その結果、オレンジ色では、デカナールのにおいがあるときにPmが有意に低くなることがわかりました。この結果は、柑橘系のにおいがあると、オレンジ色を記憶しづらくなる傾向にあることを示唆しています。これは他の色ではみられない現象でした。

記憶テストに加えて、記憶回答時の脳活動も計測し、事象関連電位解析(Event-related potential, ERP)と呼ばれる解析を行いました。ERPは大脳皮質の活動を反映するもので、認知や判断などの情報処理に関係するといわれています。今回、デカナールのにおいがあるときに、P3というERPピークがオレンジ色だけ低くなる傾向がみられました。P3は注意や短期記憶負荷に関連すると考えられており、デカナールのにおいがあるときはオレンジ色の記憶想起が難しくなっていることが予想されます。

実験結果
a) においなし(control)、デカナールあり(odorant) それぞれの条件でのPmを示す。デカナール臭提示時は、オレンジ色だけに記憶成績低下がみられた。b) デカナールあり条件での事象関連電位(ERP)波形。0秒は回答開始時、色線は各色回答時中のERPを示す。矢印のP3ピークがオレンジ色回答時のみ抑制されることが確認された。

デカナールのにおいがオレンジ色記憶を抑制する

実験前の予想では柑橘系に含まれるデカナールは、オレンジ色記憶の「てがかり」となりうるのではないか、オレンジ色に対する記憶成績は上がるのでははないか、と考えていました。しかし得られた結果は予想と真逆のものでした。

なぜデカナールがオレンジ色記憶を抑制してしまうのか、その機構はまだ明らかではありません。ひとつの仮説としては、関連情報がマルチモーダル(視覚と嗅覚の複数感覚)に入力されたとき、注意が分散してしまった可能性が考えられます。関係する情報が多くなったため、記憶を思い出しにくくなったのではないでしょうか。

この仮説が正しければ、たとえば広告などで安易ににおい付加を行ってしまうと、においとの組み合わせによって逆効果を引き起こすこともありうると考えられます。もちろん、別の色とにおいの組み合わせでは、記憶を高める効果がみられる可能性もあります。今後もさらに研究を行い、色とにおいの関係性を解明していきたいと考えています。

参考文献
Morrot, Gil, Frederic Brochet, and Denis Dubourdieu. 2001. “The Color of Odors.” Brain and Language 79(2): 309?20. (October 9, 2018).
Zhang, Weiwei, and Steven J. Luck. 2008. “Discrete Fixed-Resolution Representations in Visual Working Memory.” Nature 453(7192): 233?35.
Tamura, K., Hamakawa, M. & Okamoto, T. Olfactory modulation of colour working memory: How does citrus-like smell influence the memory of orange colour? N. Ravel (ed.). PLOS ONE. [Online]. 2018;13(9):. e0203876. [Accessed: 18 September 2018].

この記事を書いた人

田村かおり
田村かおり
九州大学・基幹教育院・特任助教。九州大学システム生命科学付博士課程終了。博士(システム生命科学)。多様な感覚系情報処理(視覚・嗅覚・聴覚・体性感覚等)に着目し、脳波を中心とした脳活動計測・解析を行っている。最近は、高次で複雑な情報を学習しているときの脳活動についても注目し、研究を広げている。