脳や肛門を持たない海の生きもの「珍渦虫」

珍渦虫(ちんうずむし)は海底にすむ海産無脊椎動物で、脳などの中枢神経系、眼、肛門、循環器官、生殖器官を持たない構造をしています。この構造があまりに単純であるため、他のどの動物と近縁なのか判定することが困難で、長いあいだ珍渦虫は系統樹上を彷徨い続けました。分子系統学的解析が可能になった現在でもその系統学的位置は決着がついておらず、左右相称動物の基部で分岐した動物なのか、新口動物の一員なのかで未だに論争が続いています。しかし、珍渦虫の単純な体が左右相称動物や新口動物の祖先の構造の単純さを保持しているのではないかとも考えられており、珍渦虫の研究から左右相称動物、または新口動物の起源と進化に関する新たな知見が得られることが期待されています。

このように進化学的に重要な動物ですが、珍渦虫の研究はあまり進んでおらず、上述のように系統学的位置もわかっていません。また、その発生過程も遊泳幼生期が2013年に、その卵割期の一部が2015年に報告されたものの、卵から成体になる全過程はまだ誰も見たことがありません。生態学的研究、生理学的研究もほとんどされてきませんでした。

珍渦虫の研究はなぜ遅れているのか

珍渦虫は1949年に科学的に始めて報告されました。Xenoturbella bockiと学名がつけられたこの種は、スウェーデン西海岸に主に生息し、体長は1〜4cm程度です。そして、65年以上に渡って、珍渦虫はこの1種しか知られていませんでした。スウェーデン王立科学アカデミーのクリスティーネベリ臨海実験所の近くに生息地があったため採取が比較的容易で、珍渦虫の形態に関する多くの知見がこの種から得られました。しかし、この種の生息海域は厳冬期には海面が完全に凍りついてしまい、珍渦虫の採取が3、4か月不可能になることがあります。あいにくこの種の繁殖時期が冬であったことから、珍渦虫の発生学的研究はほとんどされてきませんでした。

2016年に、アメリカ・メキシコの太平洋岸から一度に4種が報告されました。これらの種の研究から、一部の種では体長が20cmを超えることや、腹側にventral glandular networkと呼ばれる器官をもつことなどが明らかになりました。しかし、この4種はすべて水深数百メートル以深の海底に生息し、採取にはROV(無人潜水機)などが必要であったことから、実験動物として扱うのが非常に困難でした。実際にこれらの種を用いた分子系統解析では新たな結果が報告されているものの、生態や発生の研究はありません。

このように、X. bockiは1年のうち繁殖時期と重なる3、4か月間採取が不可能な場合があること、太平洋の4種は深海性で採取に特殊な器具が必要なことなど、採取の困難さから珍渦虫の研究、特に発生や生態の研究が遅れていました。

日本で珍渦虫を発見!

私は2004年からスウェーデンに滞在し、X. bockiの研究を行なっていました。2010年に帰国後は、定期的にスウェーデンに出張しながら、その研究を継続してきました。しかし、「日本に珍渦虫がいたらもっと便利なのに」「繁殖時期に凍らない海に珍渦虫はいないのかな」「ROVを使用しなくてもドレッジなど臨海実験所にある器具で採取できる集団がどこかにいないかな」「もっと多くの種が発見されれば珍渦虫の研究も進むのに」などと妄想しながら、国内での情報収拾と珍渦虫探索を行なってきました。調査や学会などで他の研究者に会うたびに珍渦虫の写真を見てもらい、このような動物を見かけたら連絡してください、とお願いすることを続けていました。

その結果、2013年には東北沖で体長1cm程度の個体が、そして2015年には三浦半島沖で体長約5cmの珍渦虫が採取されました。どちらの個体も中央にベルト状に走る線や前端部から左右に伸びる溝など、外部構造はこれまで報告されている珍渦虫5種と酷似したものでしたが、分子系統解析を行ったところ、これまでの5種とは異なった種であることが判明しました。2個体同士は非常に近縁で、互いに別の種であるとは判定できなかったので、同種であるとしてXenoturbella japonicaと命名しました。

三浦半島沖で採取された体長約5cmの珍渦虫。体中央をベルト状に走る線(矢印)がある(撮影:筑波大学・鈴木敦子)

新しい構造、前端孔を発見!

これまで珍渦虫の内部構造の観察には、非常に薄く個体を切っていく薄切切片作製という手法が使われてきました。しかし、得られたX. japonicaが2個体と少なく、珍渦虫の形を保ったまま標本を保存しておきたいという願望もあったため、これらの個体の内部構造の観察にはマイクロCTスキャンという方法を用いました。病院などにあるCT検査機器の小型版で、動物を実際に切断することなく、非破壊で内部構造が観察できます。

この観察の結果、2個体の内部構造も、これまでの5種と酷似していることが判明しました。しかし、両個体の前端に、外界へと続く孔が発見されました。この孔は体内ではventral glandular networkに続いており、おそらく粘液の分泌の機能を持つと推測されます。この孔はこれまでの5種では報告されていませんでしたが、X. bockiをマイクロCTスキャンで確認したところ、この種にもこの前端孔とventral glandular networkが存在することが新たにわかりました。これまで65年以上研究されてきたX. bockiにおいて、おそらくその構造の小ささと脆さから見落とされてきた構造が、マイクロCTスキャンという新たな方法を用いることで発見されたのです。

マイクロCTスキャンによって観察された珍渦虫の内部構造。体中央より少し前方の輪切りを示している(撮影:国立遺伝学研究所・前野哲輝)

なぜこれまで日本で珍渦虫が発見されていなかったのか

日本近海はこれまでに幾度となく生物相の調査が行われており、地球上でもっとも調査の進んでいる海域と言えるかもしれません。そのような海域で、なぜこれまで5cmもの大きさのある、肉眼で簡単に観察できる動物が発見されていなかったのでしょうか。その大きな理由のひとつとして、これまでこの動物を捕まえた人が「珍渦虫」と認識できなかったことが考えられます。丸まった珍渦虫は他の動物の破片のようにも見えます。動き回っている珍渦虫を見ても、これまではヒラムシなどの扁形動物やヒモムシなどの紐形動物の仲間とされてきたかもしれません。「珍渦虫」という動物の正しい情報の啓蒙が、日本での珍渦虫の発見に大きな役割を果たしたと考えられます。

今回、多くの方々との共同研究で、日本で珍渦虫を発見することができました。しかし、まだ日本で2個体が採取されただけです。より多くの個体が生息する場所はないのか、どのように暮らしているのか、何を食べているのか、どのように卵から成長して成体になるのか、などなどわからないことばかりです。このようなことを解明するには、新たな生息情報とより多くの個体を採取することが必要です。

実は、この文章も「珍渦虫」という動物の正しい情報の啓蒙活動の一環です。ここまで読んでいただいた皆様の脳内に、珍渦虫のイメージが形成されたことを期待します。もし、今後どこかで珍渦虫のような生きものを見たらぜひ連絡をください。もしかしたら、今回報告したものとは別の種の珍渦虫が日本近海に生息しているかもしれません。

参考文献

  • Nakano H, Miyazawa H, Maeno A, Shiroishi T, Kakui K, Koyanagi R, Kanda M, Satoh N, Omori A & Kohtsuka H (2017) A new species of Xenoturbella from the western Pacific Ocean and the evolution of Xenoturbella. BMC Evolutionary Biology 17: 245 doi: 10.1186/s12862-017-1080-2
  • Nakano H (2015) What is Xenoturbella? Zoological Letters 1: 22 doi: 10.1186/s40851-015-0018-z
  • Nakano H, Lundin K, Bourlat SJ, Telford MJ, Funch P, Nyengaard JR, Obst M & Thorndyke MC (2013) Xenoturbella bocki exhibits direct development with similarities to Acoelomorpha. Nature Communications 4: 1537 doi: 10.1038/ncomms2556

この記事を書いた人

中野裕昭
中野裕昭
筑波大学生命環境系下田臨海実験センター准教授。
東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻で棘皮動物有柄ウミユリ類の研究により学位取得、博士(生命科学)。その後は日本学術振興会特別研究員PD(慶應義塾大学)、HFSP長期フェロー(スウェーデン王立科学アカデミー)、forskarassistent(独立型助教、イエテボリ大学)などで珍渦虫の研究に従事。日本帰国後は現所属機関にて平板動物の研究に着手。現在はウミユリ、珍渦虫、平板動物を中心に、海産無脊椎動物の多様性、後生動物の進化・起源の研究を行っている。また、JAMBIO沿岸生物合同調査も取りまとめている。